でゑと
休日を前にした日の夜、レイはいつものようにクオンが夕食を作るのを待っていた。
明日はミレーナと共に昼食を取る約束になっている。しかも彼女の奢りと言う事で、懐が寂しく、また自炊もクオンによって全力で阻止されるレイにとってはこの上なく有難い事だった。
そこまで考えたところで、今まさに自分の為に食事を用意してくれているクオンの存在に気が付いた。
彼女から作りに来てくれているとはいえ、それを当たり前のものとして感謝を忘れては礼節を欠くというもの。
それに、クオンにばかり負担がかかるのはレイとしても好ましくは思えなかった。
「クオン、何か手伝……」
レイがたまには何か手伝おうと椅子から立ち上がろうとしたその時だった。彼の頭上を何かが風を切りながら通過していった。
後ろを振り返ると、部屋の壁には先程までクオンが握っていた包丁が突き刺さっていた。
「すまぬ、手が滑った。次にやったら首が飛ぶかもしれんから座っていろ」
「あ、はい……」
クオンが包丁を回収している間にレイは水浸しの動物のように縮こまった。
彼女の負担を軽減したいのであれば、別の方法を考えた方が賢明かもしれない。
夕食を作り終えたクオンが料理をテーブルに並べる。出来立ての料理の匂いが鼻孔をくすぐり、瞬く間に食欲をそそられる。
「今日は明太子だ。少々辛いが、白米には良く合う」
「美味しそうだね。いただきます」
手を合わせ、食材と作り手への感謝を示してから食べ始めたところで、レイはある事を思い出した。明日はミレーナと食事に行くという事は忘れる筈もないが、そのために部活を欠席する事をベルリッツに伝え忘れていた。
この時間に女子寮まで行ってベルリッツを訪ねるのは流石に非常識と思い、レイは自分に代わってクオンに伝えて貰う事にした。
「レイ、明日は……」
「クオン、俺、明日は……」
二人が話し始めるタイミングが偶然にも重なった。クオンはすぐさま、“お前が先に話せ”とレイに続きを促した。
「明日は部活休むから、部長に伝えておいてくれる? 今日言い忘れてて」
「構わんが、何かあったのか?」
ここで、普通に食事に行くと言えばいいものを、いらぬ悪戯心がレイを唆した。
「いやぁ、実はデュランさんとデートする事になっちゃって」
「デュラン……確か生徒会の副会長だったか。ところで、その“でゑと”とは何だ」
横文字が苦手なクオンがデートと言う単語を知らないのは無理もない話だ。
それを考慮していなかったレイは、行った事もないデートの説明を意中の相手にして幼馴染であるクオンにする羽目になった。
「ほら、日にちを決めて一緒に出掛ける……あれだよ」
「成る程、逢引の事か……」
そこに思い至った所でクオンの思考は停止した。
一瞬納得しかけたが、先程レイの口から出た言葉が到底聞き捨てならないものであったと、遅まきながら理解したのだ。
彼女は思わず手に持っていた食器を取り落とす。
「なっ、逢引……お前がか!? あの副会長と!?」
「じ、冗談だよ。ただ、推薦演説のお礼にご飯を奢ってくれるんだってさ」
「そ、そうか……冗談か……」
いつになく取り乱したクオンの姿にはさすがに罪悪感を覚えたので、レイはすぐに冗談のタネを明かす。
ほんの小さな冗談でも放っておけばただの嘘となる。クオンとの間にそのような後味の悪いものを残すのはレイとしても望むところではなかった。
「それに、デュランさんが俺なんかとデートしてくれるわけないだろ?」
「ふむ、それもそうだな」
随分と心外な言葉を返されたが、実際のところレイも自分がミレーナと釣り合うなどとは到底思ってはいない。
クオンとならデートに行ってみたいとは思うが、この伊達にヘタレをやっていないレイ・ヴェナブルズに誘う勇気などある筈もなく、向こうがレイをそういう間柄として見ていない以上、いきなりデートに誘われても話が飛躍し過ぎていて迷惑に思われるかもしれない。
そう考えるとデートなどというものは、クオンとの進展が一向に見込めない自分には全く以って縁遠い話だと改めて実感させられ、レイは無性に悲しくなった。
「……明日は見せたいものがあったのだがな……」
食事を終えた後、クオンがぼそりと何かを呟いたが、レイはというと頭の中で自分がクオンをデートに誘う局面を想定して自問自答を繰り返していた為、聞き逃す事となった。
「と、いう訳だ、今日レイは来られん」
翌日、治安維持部の部室を訪れたクオンは、真っ先にレイの欠席を部長のベルリッツへと報告した。
「ふーん、レイ君がデートねぇ……」
「それはレイの冗談っつったろ?」
さも面白げに呟くベルリッツにすかさずフェーゴがその誤りを指摘するが、ベルリッツもまた承知の上といった様子で飄々と受け流す。
「レイ君にそのつもりがなくても、向こうはどうかしら?」
「それって、もしかして……」
セシリアがその先を言わずとも、クオンの話を聞いた部員たちはその可能性を頭に過らせていた。
幾らかの死線を超えて来たとはいえ彼らは学生、若い男女が食事を共にする約束をしたとなると、そこに言葉以上の意味があるのではないかと勘繰ってしまうものだ。
「面白くなってきたわね……みんな、今日は校内の見回りは中止。活動内容を変更するわ」
「部長、まさか……」
ベルリッツの悪戯な眼差しからイーノがいち早く何かを察する。
「そのまさかよ!」
「あまり気が進まんな……」
ジオスもベルリッツの提案には難色を示す。
「まーたそんな事言っちゃって、ジオスも気になってるんでしょ?」
「……まあ、な」
ジオスがそう答えるとベルリッツは満足げな表情を浮かべる。何とも言えぬ盛り上がりに部室が湧く中、ひとり話の意図が理解できずにいるクオンは目を白黒させた。
「一体何が始まるというのだ」
頭の中が疑問符だらけのクオンが誰に尋ねるでもなく発した言葉にはジオスが答えた。
「また姉さんの迷惑な思い付きだ」
「さ、行くわよ。イスルギさんも立って立って」
勢いよく立ち上がったベルリッツに続くかのように、部員たちも身辺を整理して出かける仕度を始める。
クオンはとりあえず、これから皆で部室を出るのでそれに自分も着いて行く流れになっている、という事だけは理解した。




