第八章 外交官の戦い
マイケルには、父より見えていないものが多かった。
経験が違う。
立場も違う。
だから本来なら、父より先に動くべきではない。
それでも動いた。
理由は単純だった。
このまま終わらせることだけはできない。
現在、モリア王国とフラン王国の間には、少しずつ力関係の変化が生じていた。
以前はほぼ対等だった。
モリア王国は豊かな農地を持つ。
大量の農産物を輸出できる。
一方、フラン王国は優れた製鉄技術を持ち、質の高い鋼製品を生産していた。
モリアの農産物。
フランの鋼製品。
互いに必要とする物があり、交易は均衡していた。
だが、近年になって事情が変わり始めた。
モリア王国でも良質な鋼製品を生産できるようになってきたのである。
まだフラン製に完全に置き換わるほどではない。
それでも以前ほど依存する必要はなくなった。
逆にフラン王国にとって、モリアの農産物は変わらず重要である。
天秤が少しずつ傾いている。
モリア王国が優位になりつつあった。
そんな時期だからこそ、モリア王国は慎重だった。
力が強くなったからといって、隣国を威圧する必要はない。
友好関係を保つ方が双方の利益になる。
第一王女シャーロットを国外へ留学させたのも、その意思表示の一つだった。
我々は閉じない。
争うつもりもない。
友好を望んでいる。
そのモリア王国の王女が、外国大使令嬢に公衆の面前で貶められた。
しかも友好のために行った留学時代の恋情を使って。
マイケルには、それが許せなかった。
もちろん、シャーロットが先に声を荒らげた。
そこは擁護できない。
だから難しい。
ここでシャーロットが謝罪すれば、表面上は丸く収まる。
だが、それでは駄目だった。
モリア王国は友好を求めている。
従属を求めているのではない。
まして現在の力関係なら、こちらが一方的に頭を下げる理由などない。
マイケルはジュリアへ話しかけた。
穏やかな口調だった。
シャーロットにも声を掛ける。
まず二人を離そうとした。
だが難しい。
周囲には大勢の貴族がいる。
外国大使もいる。
すでに皆が注目している。
ここで強引にジュリアを退席させれば、モリア側が外国大使令嬢を追い出した形になる。
逆にシャーロットだけを下がらせれば、王女が逃げたように見える。
マイケルは会話を続けながら考えていた。
足りない。
自分にはカードがない。
ジュリアの挑発を証明したところで水掛け論になる。
父も動けない。
国王が来るまで待てば、この騒動は会場中へ広がる。
その時だった。
「ロッシ男爵」
横から声がした。
ソフィアだった。
マイケルは彼女を知っている。
若いロール伯爵。
二度の離婚歴がある。
プリストンを治めている。
その程度だった。
ソフィアは小さな声で言った。
「場所を変えてはいかがです?」
マイケルは一瞬だけ彼女を見た。
それだけだった。
意味を理解した。
「ジュリア嬢」
マイケルはすぐに会話を組み替えた。
この場には関係のない者も多い。
両国の友好に関わる話だからこそ、落ち着いた場所で話すべきではないか。
フラン王国大使にも同意を求めた。
大使も、このまま見世物になることは望んでいない。
断りにくい形を作った。
シャーロット。
ジュリア。
フラン王国大使。
外務大臣アラン。
マイケル。
そして必要最低限の関係者だけが別室へ移動する。
第一段階。
成功した。
だが、場所を変えただけでは何も解決していない。
むしろここからが本番だった。
別室へ向かう途中、ソフィアがマイケルを呼び止めた。
「ロッシ男爵」
「はい」
「プリストンを使って構いません」
マイケルが足を止めた。
「……何を、でしょうか」
「交易権です」
ソフィアはそれだけ言った。
マイケルは彼女を見つめた。
今度は意味を理解するまで数秒かかった。
そして顔つきが変わった。
「どこまで?」
「あなたが必要と思うところまで」
「ロール伯爵。それは……」
「貸すだけです」
ソフィアは平然としていた。
「返してくださいね」
マイケルは笑った。
「承知しました」
第二の矢を手に入れた。




