第22話:開演の鐘
Jアリーナの地下コントロールルーム。
巨大なマルチモニタに映し出されるトラフィックの波形は、昨夜の超大型台風の猛威が嘘のように、どこまでも滑らかで美しい直線を描いていた。
「五代さん、いよいよですね……!」
隣の席でモニターを見つめる三島さんの顔には、寝不足による疲労の色こそ濃かったが、それを遥かに上回る晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
重機事故による光ファイバーの物理切断、そして昨夜の台風による大規模停電と回線喪失。数々の絶望的なトラブルを、俺たちは三島さんや現場のスタッフ、そして協力会社の人々と共にすべて跳ね返してきた。
三重冗長化された通信回線(トリプルパス構成)は完璧にリンクアップし、神宮寺グループの総力で手配された電源車からの電力も、アリーナ全体のシステムへ安定したエネルギーを供給し続けている。
俺はコンソールのインカムのマイクを引き寄せ、息を整えた。
エンジニアとして、これ以上ない最高のシステムが組み上がっている。あとは、あのステージに立つ歌姫が、その回路に魂を吹き込むだけだ。
「……インカム、回線チェック。聞こえますか、藍奈さん」
回線を通じて、ステージ袖にいる彼女へ直接語りかける。
「ラインOK、全系統の周波数同期、完了です。……俺たちの作った最高の舞台へ、いってらっしゃい」
◇
アーティスト専用控室の姿鏡の前で、私はゆっくりと立ち上がった。
鏡に映っていたのは、オープニングのために特別に作られた仕立てのドレスだった。
雨上がりの静かな夜空を思わせる深いネイビーから、裾に向かって柔らかな光を孕むシルバーへと移り変わる繊細なグラデーション。華美な装飾でごまかすのではなく、光の当たり方で表情を変える生地のドレープが、私の体のラインを優雅に引き立てている。若い頃の勢いや派手なパフォーマンスで魅せるアイドルではなく、30代を迎えた一人の大人の表現者として勝負するための、私にとっての特別な戦闘服だった。
「藍奈、まもなく開場の時間です」
マネージャーの落ち着いた声に、私は深くうなずいた。
控室の扉を開け、Jアリーナの広大なステージ袖へと歩みを進める。
客席からは、待ちに待ったこけら落とし公演の初日を祝う、数万人の観客たちの高鳴るざわめきと、期待に満ちた熱気が押し寄せてくる。
その時、右耳のインイヤーモニターから、静かでどこまでも優しい声が飛び込んできた。
『ラインOK、全系統の周波数同期、完了です。……俺たちの作った最高の舞台へ、いってらっしゃい』
地下コントロールルームにいる五代さんの声だった。
胸の奥が熱い光で満たされていく。私はマイクを両手でギュッと握りしめ、インカム越しにそっと呟いた。
「……いってきます、五代さん」
開演の鐘が、いま、世界に向けて鳴り響いた。
『水曜日、雨が降ったら』をお読みいただき、ありがとうございます。
雨の日の喫茶店で出会った中年エンジニアの五代と、孤独を抱える歌姫の藍奈。
華やかな舞台の裏側で誠実に「音」を創るプロのプライドと、互いを思いやる不器用な二人の絆レゾナンスを描いた物語です。
日々仕事や人間関係で戦う皆様の心に、雨の日の温かいコーヒーのような癒やしとなっていれば幸いです。
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