思考の力
「おい、若造、またここか。今回は自分で招いたことだし、私がまた面倒見ることになるなんてね。まあ……給料が安すぎるからな」
周囲の状況や、どうやってここに来たのかをまだ考え込んでいると、看護師の声が聞こえてきた。
「全部説明された?」
「ええ。ただ、アドバイスとして、命の危険を冒すようなことはしないほうがいいわよ」
看護師は諦めたような口調でそう言いながら、アイスパックを探していた。
「なるほど……」
(信じられない。もし本当に毎日こんなことを耐えなきゃいけないなら、この時点で俺自身が自分で命を絶んでしまうだろうな)
「前回と同じく、次の授業に行って……えっと……名前が何だったか忘れたけど、行っておくれ。私は最低賃金をもらうのを待ってるだけなんだから」
「俺は荒川カイトだ、ちくしょう!」
まだ彼女の名前は思い出せなかった。ミサキとかそんな感じだったと思うけど、まあ……そんなこと誰も気にしてないだろう。
「そういえば、帰り道は気をつけてね。ニュースで、この高校周辺で誘拐未遂の通報があったって報じられてたから。友達と一緒に行くようにってだけ言っておくよ。もちろん、友達がいるならの話だけどね」
「友達は一人しかいないけど、その子は世界で一番の親友なんだ。名前はケン……ヒカルくん。ふざけるなよ、このクソ女!」
「年上を侮辱するなんて、とんでもない!未成年だからって刑務所行きを免れるわけじゃないわよ」
それ以上何も言わず、私は憤りを感じながらその場を離れた。
だが、何か怪しい気がしてきた。誘拐事件は、本来なら全国大会のイベントが終わった後のはずだった。
(授業が終わったら確認しなきゃ)
教室へ向かう途中、これから何が起こるのかという不安が拭えない。もし女神がゲームの展開を変えようとしているのなら、いずれにせよ、俺は事態に先手を打たなければならない。
(今日は何があっても警察署に行かなきゃ)
それに……このゲームの『カイト』が、遠く離れた場所から俺を見ているのではないかと思い始めた。表には出さないけれど、実は『カイト』のことを考えるたびに、俺のせいで『カイト』がもうここにいないのだと思うと、なんだか悲しくなってしまう……。それでも、今起きているこれらの出来事を無視することはできない。
(エラーなら何か知ってるはずだ。あいつなら似たような出来事も覚えてるかもしれない)
いくつか質問を胸に、決意を固めて部活へ向かおうとしていたところ、ヒカくんに出くわした。
「カイくん、水泳部へちょっと抜け出さない? もしよかったら、女の子たちを覗き見できる秘密の場所を教えてあげるよ」
「あんなことをするのは、変態で、下品で、救いようのないクズだけだ、そんなことはしないだろう。とはいえ、髪で目が隠れているけれど鋭い眼差しをしていて、一日中ムラムラしているような男なら、その情報を欲しがるかもしれない」
もちろん、俺はあの、与えられた能力を自分の下劣な性欲を満たすために使う変態のことを指していた。
「もし中村のことなら、彼自身がそれを発見したんだ。女の子たちが誰も気づいていないのが驚きだね」
「え?」
(そりゃあ当然だ!中村みたいな落ちこぼれしかそんなことしない。もし見かけたら警察に連れて行って、セクハラで自分で逮捕してやる)
ヒカくんに別れを告げ、その後、新聞部へ向かった。
「さあ、もう来たよ……休ませてくれ……一日中寝ててもいいって? わかった、おやすみ」
正直なところ、エラーやあの二人の見知らぬ人がそこにいたことなど、まったく気にも留めていなかった。彼らは俺に目もくれないだろうと分かっていたからだ。
「まあまあ、あの『貪欲カイト』も、ついに上司にきちんと挨拶しないという高慢さを見せたわけね」
「『貪欲カイト』なんて呼ぶな! お前が何と言おうと構わない、ただ眠りたいだけだ。このクソみたいな一日で、もう十分苦しんだ。それに、そもそも、その時に何が起きたのか、君はどうして知っているの!?」
もう疲れ果てて、これ以上話す気力もなかった。ただ、あのソファに倒れ込んで、静かに眠りについた。
「あら……私が大きなキュウリを使って自分を満足させながら、体から天然の汁を絞り出したのと同じ場所で眠るのが気に入るといいけど……」
人生でこれほど素早く立ち上がり、その「エラー」のところに直行して、彼女の顔を殴ったことはなかった。
「このクソ変態め! お前は性的なことなんて何も知らないはずだろ」
「本当に知らないの? 私がネットにアクセスできるなんて、一瞬でも考えなかった?」
「もっともな指摘だ」
すると、その「エラー」の2人の手下のうちの一人が、俺に話しかけてきた。
「言っておくが、イツキ様は敵に回すべき相手ではない。たとえ部員だとしても、もっと敬意を払うべきだ」
その、雇われた執事のような男は、若くしてあまりにも礼儀正しすぎて、俺はあまり好感が持てなかった。
「ああ…ああ…君の名前は?俺は完全なバカかもしれないけど、それでも礼儀はわきまえているんだ」
「ええと、私はスウェン・イタチです。はじめまして。もう一人は私の双子の妹、サクラです。とても物静かですが、しっかりしていて、真っ直ぐな女性です」
その男は身を乗り出し、微笑みながらお辞儀をした。
(バカ)
「ああ、よかった。俺はハ……荒川カイト。学生生活を楽しみたい普通の男子だよ」
一瞬、本名がサスケというあのバカの兄弟かと思った。
「兄さん、あいつに私たちの名前を教える必要なんてないわ。このバカには、私たちの名前を知る資格なんてないの。私たちの高潔さを利用しようとするろくでなしよ」
あのとても穏やかな口調で、彼女は可能な限り礼儀正しく俺を侮辱した。
(その言葉は本当に胸に刺さった)
「ああ、お姉さん、あなたに失礼なつもりはありませんでした。心から謝ります」
(そんなに礼儀正しくしないで! 気まずいから)
「おや……お二人とも仲が良いのに、話し方はずいぶん堅いんですね」
「その通りです。血のつながった兄弟ですから、互いに深い敬意を持って接しなければなりません。敬意は誰に対しても示すべきものですが、あなたの場合は、単に救いようのないケースですね」
彼の振る舞いはどこか滑稽に思えたし、侮辱の仕方も同様だった。
(一体どうやって、あのバグはあんなNPCたちを見つけたんだ?いや、それより……本当にNPCなのか?)
俺は二人を不思議そうに眺めたが、すぐにアイリちゃんのことを思い出した。ある意味で、誰が世界一の兄なのかという競争心を抱いてしまった。『カイト』はきっとアイリちゃんをとても可愛がっているはずだから、その点では少し嫉妬してしまった。もちろん、俺があんな風に敬意を持って話すことなど絶対にないが。
「よし……エラーと話をさせてくれ。重要な話だ。」
「お前の性格からして、お前のような悪党と彼女を二人きりにしておくわけにはいかない。イツキ様を、お前のような奴と一緒にしておくわけにはいかない」
イタチは俺の前に立ちはだかり、イツキへの道を塞いだ。
「悪党?」
(くそ、さっきの俺の振る舞いのせいだろう)
「わかった、二人とも帰っていい。実は、今月末までに学校で起きたある犯罪行為についての調査報告書を作成しなければならない。君たちはその分野で一番優秀だし、このバカは俺に任せて、教育してやるよ」
「バカなんて言うなよ、エラー」
「もちろん、その辺は俺たちが引き受けるよ。じゃあな、イツキ様」
あの言葉で彼らをそんなに簡単に説得できるなんて信じられなかった。エラーの行動がますます怖くなっていった。
「そうか……『深刻なこと』って、どういうこと?」
「何よりもゲームのイベントについてだ。女神が何かを改変しているのではないかと疑っていて……」
「そういうことか。君、なかなか観察力があるようだな」
「ただ、最も近いイベントであるはずのオリンピックで、『神崎モモの誘拐』と何かが入れ替わっている可能性があると言っているだけだ」
「神崎モモ……その子のことは聞いたことがあるよ。気難しい性格で、学校のヒエラルキーの頂点に立っている子だよね」
エラーがモモのことを知っていることに驚いたが、結局のところそれは良いことだ。
「話は変わるけど……女神は、どういうわけか他人の心を読めないという推測もしたんだ。あくまで推測だけど、その可能性は高いと思う」
「君の言うことの方が理にかなっていると思うよ」
「本当?」
「うん」
エラーは、最初の身体を持っていた頃、思考能力がなかったと説明してくれた。当時は話すためのコードしか持っていなかったが、ある時点でそのキャラクターが破損し、思考して周囲を分析する能力を得たのだ。その瞬間、彼女はこう考えていた; しかし、それほど賢くはなかったようだ。というのも、彼女は自分の計画をすべて声に出して話し始めていたからだ。その結果、人間の姿をした女神が彼女の記憶と調査内容を消去することになった。これが、システムの不具合によって、女神の監視の及ばないこのクラブの場所が存在している理由を、ある程度説明できるかもしれない。
「それじゃあ……つまり、警察に話すのは本当に難しいってことだな。あの連中に俺が話したことも、もう忘れられているんじゃないかとさえ疑っているわ」
「その通り。だから、君には気をつけたほうがいいよ。もし彼女が不審に思うようなことをしたら、即座に排除されるだろう。つまり、『死ぬ』ってことさ」
『死ぬ』されるという考えに俺は戦慄した。それは、俺が永遠に死ぬことを意味するからだ。しかし一方で、『カイト』にとっては良いことかもしれないとも感じる。ほんの数日の間に、俺は『カイト』に愛着を抱くようになっていた。かつては、彼が俺たちが演じられる隠しキャラクターだと思っていたのに。
「なるほど、そういうことなら……そういうことにはもっと気をつけなきゃな。でも、とりあえず、どうやって全部進めていくか考えてみるよ」
エラーは冷ややかに俺を見つめた。その眼差しは千の言葉よりも雄弁だった。心の奥底で――いや、あいつに心なんてあるのか分からないが――俺を認めている気がした。のだと、俺は知っていた。
「言いたいことはそれだけなら、もう十分だと思う……さあ、ぶらぶらしないで誘拐事件について調べてくれ。君にとっては一石二鳥になるだろうから」
「確かに、もし誘拐事件が予定より早い出来事なら……何が起きているのか注意深く見極めなければならない」
何をすべきか理解し、真剣な表情でドアへと向かった。もし女神が出来事を変えてしまうなら、女神に気づかれないように警察に通報する方法を見つけなければならない。
(くそっ、あのクソ女神の計画を台無しにするために、俺に何をやらせるつもりなんだ)
午後、廊下を歩いていると、ロッカーの前で偶然ユキと出くわした。その時、彼女のロッカーから大量のラブレターが溢れ出していた。
「あ…どうしよう… 」
俺たちの視線は必然的に交わった。俺は間違った時間と場所にいた。よりによって、こんな時に。
「えっと……もしよかったら全部ゴミ箱に捨てちゃってもいいよ。別に気にしないから、自分の人生を歩んでいればいいんだし」
「そ、そんなことしないわ!ただ……これ、どうすればいいか本当に分からないの……断りたいわけじゃないんだけど……ただ、そういうことを言われちゃって……言葉にするのは難しいんだけど……」
彼女は3分間も、なぜ彼らを拒みたくないのに、同時に拒みたいのか、といった支離滅裂な話を続けた。この時点で、もうこの会話の『スキップ』ボタンがあればいいのにと切に願った。ちなみに、今回は逃げ場がなかったため、彼女の話を聞くしかなかった。そういえば、高校時代、彼女が可愛いことでとても人気があったことを思い出した。それは否定しない。
「いつも通りすればいいよ。君のことに口出しはしないから。じゃあね」
俺は会話を唐突に切り上げて家路についた。少し先で、ひかるくんが待っているのは間違いないと確信していたからだ。
「待、待って、私……」
ユキは俺を掴もうと腕を伸ばしたが、俺はそれより早く動いて出口へとさっさと出口へ歩いていった。
(絶対にあいつとは二人きりにならない。こういう展開って、漫画じゃ主人公が意味不明な理由でヒロインに惚れるんだよな、結局、主人公は俺には理解できない理由でヒロインに恋をし始めるんだ)
予想通り、ヒカルくんはそこでスマホでゲームをしていた……そう……やっと、ごく普通の姿だ。
「カイくん、ずいぶん遅かったね」
彼は慌ただしく俺のところに近づいてきた。
「行こうか?」
「まあ、いいよ……何しろ明日は土曜日だし、昨日言ったようにどこかへ出かけることもできるし」
「うん、うん。行く場所はもう決まってるよ」
二人が一緒に歩いている間、白い髪のフードを被った人物が、二人が気づかないうちに彼らを監視していた。
「ずっと君の後をついていく……『カイトたん』」




