第110話 視察旅行
俺は、新銀河帝国帝都、ノルド・ステーションの最上層に位置する皇帝執務室に居た。
眼下の巨大な宇宙港では、ひっきりなしに艦船が発着を繰り返し、目まぐるしい光の帯を作っている。
つい先日、旧帝国の緩衝地帯を併合し、ドックは24時間体制で稼働し、莫大な数の物資が絶え間なく流動している。
防音の効いた静かな部屋には、俺と、国務尚書のシズだけだ。
淹れたてのコーヒーを一口すすり、俺は分厚い革張りの椅子に深く腰を掛けた。
「よし。艦隊の再建計画も整ったし、新しい戸籍登録の目処も立った。大まかなレールは敷き終わったな」
俺がそう呟くと、傍らに控えていたシズが、タブレット端末から目を上げてコクリと頷いた。
「はい、マスター。改修スケジュールは予定通り進行中。アイリスからの兵員輸送も滞りなく行われています。内政面も、初期の混乱を抜け、現在は安定期に入りつつあります」
「なら、ちょうどいい頃合いだ。……俺は、新銀河帝国を巡る『旅』に出るぞ」
俺の唐突な宣言に、シズは電子的な瞬きを一つだけした。
彼女の優秀な頭脳なら、俺の突拍子もない思いつきにも即座に対応できる。
「旅、ですか。……皇帝陛下自らの行幸ということになりますが、期間はどの程度を予定しておりますか?」
「半年だ」
俺は即答した。
「シャルロットの出産が半年後だからな。それまでには絶対に終わらせて、帰ってくる予定だ。何があっても、俺の子供の出産には立ち会いたい」
「ちなみに、心が捻くれたマスターのことですから、ただの観光旅行ではないのでしょう?」
シズが、眼鏡の奥の瞳を僅かに細めた。
俺の腹を探るような、AIらしからぬ人間臭い表情だ。
「捻くれは余計だが、その通りだ。急速に領土を広げすぎた弊害ってやつを、自分の目で確かめておきたくてな。それと、シズ。お前もついてこい」
「私が、ですか?」
シズは珍しく、本当に驚いたように目を丸くした。
「はい。お供できるのは光栄ですが、国務尚書としての莫大な業務が……」
「お前の並列処理能力なら、遠隔でも問題なく回せるだろ?直接的な物理的決済が必要な案件は、シャルロットとヴォルフに権限を委譲しておけばいい。現場でリアルタイムに情報を引き出したり、裏帳簿をハッキングしたりするには、お前が隣にいてくれた方が遥かに効率がいいからな」
俺がそう言うと、シズは小さく息を吐き、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「……マスターがそう仰るなら。護衛とサポートに専念します」
「頼もしいことだ。……領土が銀河の三割にまで拡大し、人口も300兆人を超えた。旧帝国の貴族どもは、俺の武力に恐れをなして忠誠を誓ったが……連中の本質がそう簡単に変わるとは思えん」
特権階級として、何百年も5等民を家畜のように扱ってきた連中だ。
表向きは新帝国の法に従い、身分制度の撤廃や基本的人権の尊重を掲げているだろうが、見えないところで私腹を肥やし、昔ながらの搾取を続けている屑が必ずいるはずだ。
「俺の寄子たちが弛んでいないか、新帝国の理念が末端の平民にまで行き届いているか……抜き打ち検査だ。もし、俺の定めた法を破り、私腹を肥やしているような腐れ貴族がいたら、その場で即刻『粛清』する」
「承知しました。ですが、皇帝陛下と国務尚書が大々的に視察に赴けば、相手も入念に隠蔽工作を行うはずです」
「だから、俺たちはお忍びで行く」
俺はニヤリと笑った。
「誰も、新帝国の皇帝とトップ官僚が、二人でふらりと街を歩いているとは思わないだろう。顔も変えるしな」
「マスターは生体ナノマシンで一時的な骨格・皮膚の再構成を行うとして、私はどうしましょうか。外装パーツの換装を行いますか?」
「ああ。地味な平民の服に着替えて、髪の色も変えておけ。俺の名前はそうだな……『ジョン・スミス』とでもしておくか。実にありふれているだろう?」
「では、私はジョンの妹の『ジェーン・スミス』という設定で戸籍を偽造しておきます」
シズが淡々と端末を操作し始めると、俺は呆れたように首を振った。
「おいおい、シズ。人聞きの悪いことを言うな。『偽造』じゃないぞ」
「ですがマスター、存在しない人間の戸籍を新規に作成し、IDを発行するのですから、辞書的な意味では公文書偽造にあたるかと」
「馬鹿を言え。何せ『発行元』である皇帝と、国務尚書であるお前自身が行うんだぞ?正規の手続きを踏んで国家のデータベースに登録された以上、これはれっきとした『正規の身分証』だろう?」
俺が堂々と理屈をこねると、シズはパチリと瞬きをした後、小さく息を漏らした。
「……なるほど。国家権力の濫用、というわけですね。確かに『皇帝が本物だと言えば本物になる』のが帝国の法です。マスターの論理には敵いません」
「濫用って言うな」
俺は苦笑しながら指示を続けた。
「あと、俺はお忍びで行くから、移動は『民間船』の相乗りだ。一般客と同じようにエコノミークラスのチケットを買って、定期航路を使う」
「民間船ですか。セキュリティ上、極めて危険な行為ですが」
「案ずるな。護衛として『フェンリル』だけは連れて行く。常にステルス状態で民間船の周囲に随伴させ、何かあれば即座に介入させるから安心だろう?」
「……フェンリルをステルス随伴ですか。民間船の乗客が知ったら気絶しそうな過剰警備ですが、マスターの安全には代えられませんね。承知しました。ジェーン・スミス名義でのチケット等の手配は、全て私にお任せください」
シズとの打ち合わせを終えた俺は、自室のプライベート通信回線を開き、別室で休んでいるシャルロットを呼び出した。
『クロウ様、どうされましたか?』
ホログラムスクリーンに映し出されたシャルロットは、少しふっくらとしたお腹を愛おしそうに撫でながら、突然の通信に目を丸くしていた。
「シャルロット。急で悪いんだが、俺はシズを連れて各地の視察に出かけることになった」
『視察、ですか?しかもシズさんまで……。また、危険な戦いに行くのではありませんか?』
彼女は不安そうに眉をひそめた。
無理もない。
俺はこれまで、何かにつけて自ら前線に出ては、派手な大立ち回りを演じてきたからな。
「今回は違う。ただの旅行みたいなもんだよ。俺たちの国がどうなっているか、自分の目で見ておきたいんだ。……もちろん、危ない真似はしない。お忍びで行くから、目立つことは避けるさ」
まあ、悪党を見つけたら物理的に「掃除」はする予定だが、それは彼女には内緒だ。
「それに、約束する。出産までには必ず戻る。……半年後、お前と、生まれてくる子供の顔を見るためにな」
『クロウ様……』
シャルロットの表情が、パッと明るく華やいだ。
『はい。信じてお待ちしております。……どうか、お気をつけて』
「ああ。家のことは任せるぞ、シャルロット。俺とシズが不在の間、ヴォルフと協力して、この帝都を頼む」
『はい、お任せください!』
彼女は力強く頷いた。
彼女はただの令嬢ではない。
かつて、腐敗した貴族社会の中で、自らの領地の民を守るために知恵を絞り、身を粉にして働いてきた「元為政者」なのだ。
政治的な勘も鋭く、いざという時の決断力もある。
俺の不在を預けるのに、これほど相応しい人間はいない。
通信を切ると、俺は執務室の裏手にある医療ポッドへと向かった。
生体ナノマシンを注入し、顔の骨格と筋肉の配置を調整する。
少し痛みがあったが、五分もすれば終わった。
鏡を見ると、そこには黒髪黒目の、どこにでもいそうな平凡な青年「ジョン」が立っていた。
魔王クロウ・フォン・フライハイトの威圧感は欠片もない。
「お待たせしました、兄さん」
振り返ると、そこにはシズが立っていた。
銀色の美しい髪は地味な栗色に変更され、普段の冷徹な官僚スーツではなく、少し野暮ったいパーカーとジーンズ姿だ。
眼鏡の奥の冷たい光も調整され、どこからどう見ても『少し大人しい平民の妹、ジェーン』にしか見えなかった。
「完璧だな。よし、行くぞ、シズ……いや、ジェーン」
「はい、ジョン兄さん」
俺たちは執務室を出て、エアカーに乗り込み、ノルドステーションの宇宙港へと向かった。
***
エアカーが宇宙港の民間ターミナルに到着すると、そこは想像を絶する熱気と喧騒に包まれていた。
出稼ぎ労働者、家族連れ、バックパッカーのような若者。
その大半が、つい最近まで「5等民」として旧帝国の過酷な労働環境に縛り付けられていた人々だ。
「みろ。宇宙港には人がたくさんだ」
俺は、ターミナルの手すりからその光景を見下ろしながら、深く息を吐き出した。
「皆、いい顔をしている。絶望に沈んだ澱んだ目じゃない。これからどこへ行こうか、何をしようか、希望に満ちた目をしている。……こうして、平民でも気軽に星から星へと移動できるようになった。これは、とてつもなく大きな一歩だな」
俺の呟きに、隣に立つシズが静かに頷く。
「はい。旧銀河帝国では、宇宙船の運賃は意図的に天文学的な価格に設定されており、平民の移動は事実上阻まれていました。彼らを一つの惑星に縛り付け、反乱を防ぐための愚劣な政策です。ですが、新帝国では流通革命によりコストが劇的に下がり、また法的な移動の自由が保障されたため、誰でも自由に宇宙を行き来できるようになりました」
「ああ。人は、移動の自由を手に入れて初めて『人間』になれる。生まれた場所で死ぬまで家畜のように働かされるなんて、間違ってるからな」
俺は、自分が作り上げたこの国の「正しさ」を、肌で感じていた。
これを守るためなら、俺はどんな血でも流す覚悟がある。
「ところで、俺たちが乗る船はどこ行きのチケットなんだ?」
歩き出しながら尋ねると、シズは偽造された電子チケットを表示させた。
「行き先は……旧緩衝地帯、『アイゼンハルト伯爵領』の主星、アイゼンです」
「アイゼンハルト伯爵領か」
俺は歩みを止めず、ニヤリと笑った。
「なるほど、新入りの親玉のところか。いい人選だ。裏の情報が集まるのもそこだろうからな」
初期の『登用試験』をクリアした貴族たちの領地には、内政や財務を監視するドロイド軍の諜報網が完璧に構築されている。
彼らは、俺の目の黒いうちは汚職などできようもない。
だが、アイゼンハルトたちは違う。
彼らはつい数週間前、俺の圧倒的な武力に恐れをなして『無条件降伏』に近い形で併合された、いわば「新入りの外様貴族」だ。
アイゼンハルト伯爵自身は、帝国を裏切って俺に取り入るなど、機転が利き、生存本能に長けた男だとは評価している。
だが、所詮は旧帝国の腐敗した水で育った日和見主義者。
本質的に5等民をどう思っているかなど、怪しいものだ。
「新入りを重点的に調べるのは、いい機会だ。化けの皮が剥がれなきゃいいがな」
「倫理基準を越えられなければ、彼らの首が物理的に飛ぶことになりますね。ご愁傷様です」
「俺は寛大だぞ?ちゃんと法を守ってさえいれば、フライハイト産の最高級ステーキでも奢ってやるさ」
俺たちはゲートに到着した。
目の前には、全長数キロにも及ぶ巨大な流線型の民間客船が停泊している。
旧帝国のボロ船とは違い、新帝国の技術で改修された、安全で快適な船だ。
俺は偽造されたIDカード――『ジョン・スミス』名義の身分証を、シズは『ジェーン・スミス』のそれをゲートのセンサーに翳した。
小気味良い電子音が鳴り、ゲートが開く。
俺たちは、大勢の平民たちに混じって、タラップを登った。
周囲の乗客たちは、自分たちのすぐ隣に、銀河の三割を支配する冷酷なる魔王とその右腕が歩いていることなど、知る由もない。
見えない宙域では、戦艦『フェンリル』が、俺たちを静かに追尾し始めているはずだ。
アイゼンハルト伯爵領。
そこには、俺が求めている平穏な統治があるのか、それとも腐敗した貴族の残滓があるのか。
俺は指定されたエコノミークラスの狭い座席に腰を下ろし、シズと顔を見合わせながら、これから始まる「お忍びの視察旅行」への期待に、密かに胸を躍らせていた。




