第9回 二度目のトラックは未来から来る
# 第9回 二度目のトラックは未来から来る
※本連載は、『無職転生』の原作完結までの筋に言及する。
検察側は、まず証人を呼ぶ。アニメ第3期第12話に現れる、未来から来た老いたルーデウスである。
発端は、ヒトガミの頼みごとだった。家の地下室の様子を見てきてほしい、というのである。地下室には魔石病を運ぶネズミが潜んでいた。老人が経験した未来では、ルーデウスが扉を開けるとネズミが台所に逃げ、齧った食べ物を妊娠中のロキシーが口にする。それがロキシーの死につながった。
扉を開ける直前、老人がルーデウスの前に現れる。老人は、地下室を開けてしまった未来を生きたルーデウス自身だった。
老人が残した日記には、失った人々の名前が並ぶ。ロキシーは魔石病で死に、シルフィエットはアリエルの政争に巻き込まれて戦死し、遺体をさらされた。エリスはルーデウスを庇って死んだ。老人は、ヒトガミに騙されていたことを明かす。
老人は、未完成の過去転移魔術を使って、若い自分のもとへ戻ってきた。身体の一部を未来に残したまま、日記を残して死ぬ。
老人の筋に、見覚えはないだろうか。私は、物語の始まりを思い出した。
転生という出来事を分解すると、二つの要素が残る。一人の男が死ぬことと、死んだ男の記憶が別の体に引き継がれることである。
一度目は、前世の男だった。男はトラックに轢かれて死に、男の記憶は赤子のルーデウスに引き継がれた。
二度目は、老いたルーデウスである。老人は若い自分の前で死に、その経験は、日記という形で若いルーデウスに伝わる。
死と、記憶の引き継ぎ。二つの要素は、地下室の前でもそろっている。むろん、若いルーデウスは老人の記憶を自分の記憶として獲得したわけではない。日記を通じて、まだ生きていない時間の経験を受け取ったのである。作中で二度目の出会いが転生と呼ばれるわけではないが、私は、ルーデウスは『無職転生』の中で二度転生した、と読みたい。
違うのは、引き継ぐ側の体が、二度目には人生の途中にあること、そして記憶の代わりに日記を受け取ることである。赤子として誕生し直す代わりに、ルーデウスは、自分の人生の途中で、もう一人の自分の経験を読み継ぐ。
しかもアニメでは、二度の転生で、死ぬ側の声が同じである。前世の男も老いたルーデウスも、杉田智和が演じている。作品は同じ筋書きを二度上演し、配役の声まで同じにしたのである。
二度目の転生で、ルーデウスは何を引き継いだのか。
作品の前提は、一度目の人生の後悔は、二度目の人生で本気になれば解消できる、ということだった。題の「異世界行ったら本気だす」が、前提をそのまま言い表している。
老いたルーデウスは、本気の人生を最後まで生きた男である。魔術を磨き、家族を守ろうとし、それでも家族を失って悔やんだ。
二度目の転生は、作品の前提が一度破れたことを、作品自身が認めた場面なのだ。少なくとも老人が生きた未来では、異世界で本気になっても、後悔は解消できなかった。だから作品は、若いルーデウスに別の未来を選ばせる。
後悔は誰のものか。二度目の転生で、この問いは奇妙な形になる。
若いルーデウスが引き継いだのは、若いルーデウス自身がまだ経験していない喪失への後悔である。ロキシーもシルフィエットもエリスも、若いルーデウスの前では、まだ生きている。
ルーデウスは、自分ではない自分の後悔を、日記ごと相続したのだ。老人と同じ喪失を味わったわけではない。けれども、借金の付いた遺産を相続するように、ルーデウスは、まだ起きていない喪失への恐れまで背負い込む。
一度目の転生では、過去の後悔を解消するために、新しい人生という先の時間が用意された。二度目の転生では、先の時間自体が、失敗として現在へ届けられる。過去の後悔を解消するために、作品は未来を呼び寄せたのである。
なぜ、未来が要ったのか。銀行や保険会社が、就職、結婚、住宅の購入、子の誕生などを年齢順に並べて見せる、ライフプラン表を思い浮かべてほしい。
ルーデウスは、学び、職を得て、家を買い、妻を迎え、子をもうけた。二度目の人生の後半には、表の欄はほとんど埋まっていた。悩みが消えたわけではない。だが、前世の失敗を埋め合わせるという物語上の欠如は、ほとんど残っていなかったのである。
欠如が尽きた人生で、後悔の筋を続けるにはどうするか。未来から欠如を借りるしかない。
家を買ったルーデウスは、住宅ローンを組んだかどうかは知らないが、未来に後悔のローンを組んだ。返済の期日の欄には、妻たちの死が書かれている。
ここで、私が『無職転生』と異世界もの全般に抱いている反感の根を、一度だけ書いておきたい。
人生は一度きりだ、とよく言われる。だが、一度きりなのは人生全体ではない。朝に交わした一言も、言いそびれた謝罪も、選ばなかった進路も、どれもが一度きりであり、人生は一度きりの瞬間が途切れずに続いた連なりである。
取り返しがつかないことは、人生の例外ではなく常態である。少なくとも、死をやり直しの入口にする異世界ものは、この常態を拒む。主人公は死に、記憶を持ったまま別の世界でやり直す機会を与えられる。
やり直しを前提にした時点で、最初の人生は下書きになる。下書きは、書き直されるために存在する。前世の男の34年は、ルーデウスの人生を正しく書くための下書きとして扱われた。
二度目の転生は、下書きの範囲を広げた。今度、下書きにされたのは、本気で生き抜いたルーデウス自身の一生である。
老人の生きた数十年が消えたわけではない。だが、日記を受け取った若いルーデウスにとって、老いたルーデウスの数十年は、これから自分が書き直すための下書きになった。一度目の転生は過去を下書きにし、二度目の転生は未来まで下書きにしたのである。
取り返せる人生を思い描く習慣は、取り返せない今日を軽く扱う習慣を育てる、と私は考えている。二度目の転生を読んだ読者は、本気で生きても、まだ書き直せると教わる。一度きりであるはずの今日は、二重に軽くなる。
では、二度目の転生は、ヒトガミをどう変えたのか。手がかりは、転生の入口にある。
一度目の入口は、トラックの運転手だった。運転手には顔も名前も与えられず、事故は、男が二十年近く引きこもっていたことから必然的に起きたわけではない。事故そのものには原因があっても、男の人生の課題からは導かれない。その意味で、脱因果の事故だった。
二度目の入口は、老いたルーデウスである。老人はルーデウス自身の顔を持ち、自分の意思で魔術を使って戻ってきた。二度目の入口は、因果のかたまりなのである。
トラックに轢かれて異世界へ向かう、なろう系の「転生トラック」の言い方を借りれば、二度目の転生にもトラックはあった。二度目のトラックは、未来から来たのである。しかも、今度のトラックは比喩であり、その運転席に座っていたのは、顔も名前もない運転手ではなく、ルーデウス自身の顔をした老人だった。
二度目の入口には、老人の後悔と、過去へ戻ろうとした意思がある。それに伴って、もう一人の顔のない者の役が変わる。一度目の筋で、顔のないトラック運転手は、人生を急に曲げる入口だった。二度目の筋で、顔にモザイクのかかったヒトガミは、人生を壊した原因として名指される。
老人の日記では、家族の喪失を招いた発端に、ヒトガミの欺きがある。もちろん、その後の喪失すべてをヒトガミ一人の行為へ還元はできない。前世の男は、自分の人生が詰んでいたと気づき、自分を悔やんだ。老いたルーデウスは、ヒトガミを責める。
一度目の後悔は、自分に向いていた。二度目の後悔は、ヒトガミに向いている。後悔が、告発に変わったのだ。
告発には相手が要る。家族を失ったルーデウスにとって、妻も妹も子も、責める相手ではなく、守りたかった相手である。だから、日記の告発は家族の外にいた神へ向かう。
ヒトガミは、家族の中で父や夫という役を担わず、人生の成否を測る物差しにも属していなかった。どの価値にも染まっていない者ほど、罪の色を塗りやすい。ただし、神の悪事は現実に起きている。塗られたのは罪そのものではなく、すべての失敗を引き受ける「倒すべき敵」という役の色である。無色だったヒトガミは、二度目の転生で、失敗の原因の役を割り振られたのである。
物語を左右から支える本立てを思い浮かべてほしい。左端の支えには「克服すべき前世」、右端の支えには「倒すべき敵」と書いてある。
二度目の転生を見ると、右端の札がどうやって書かれたのかが分かる。一度目の筋で、克服すべき失敗の役を負っていたのは、前世の男の34年だった。二度目の筋で同じ役を負わされたのが、ヒトガミである。
証人の告発に続いて、検察官は、ようやくヒトガミの動機を読み上げる。
ヒトガミには、未来を見る力、未来視がある。ヒトガミは、龍神オルステッドと、ルーデウスの子孫に倒される未来を見た、とルーデウスに語る。子孫は、ルーデウスとロキシーのあいだに誕生する子の血筋につながる。
動機に照らすと、これまでの助言が並び直る。ヒトガミ自身、ルーデウスをロキシーから遠ざけようとしたと語っている。ベガリット大陸へ行くなという助言や、ラノア魔法大学への入学を勧めた助言は、再会を妨げる工作として読み直せる。だが、港町ウェンポートの路地裏でキシリカを探させた指示まで、同じ狙いだったと一括して断定はできない。
夕飯の買い物メモのようだった路地裏の指示さえ、別の思惑を疑われる。父のもとへ行くなという忠告は、未来の妻から男を引き離す工作に読み替えられる。
順番に注意してほしい。読者の前では、証人の告発が先にあり、動機の説明はあとから来る。だが、ヒトガミがそのとき初めて動機を持ったのではないし、作者がその順番で動機を考えたと分かるわけでもない。読者に「倒すべき敵」という役が示され、のちに明かされた動機によって、その役が過去の助言にまでさかのぼって与えられるのである。
しかも、後から読者に明かされたヒトガミの動機は、二度目の転生と同じ形をしている。
二度目の転生で、ルーデウスは日記という形で、未来の知識を得た。老人にとっては過去の記録だが、若いルーデウスにとっては、これから起こりうる未来の記録である。日記は、人間の手で書かれた未来視である。未来を知る仕組みは違っても、まだ来ていない出来事を手がかりに行動を変えられる点で、二人は並ぶ。
ここから先、ルーデウスとヒトガミの対立は、未来を見た者どうしの争いになる。ルーデウスは、日記に書かれた未来を避けようとする。ヒトガミは、未来視で見た自分の敗北を避けようとする。
過去を悔やんだ前世の男、未来の後悔を運んできた老いたルーデウスに続いて、ヒトガミは、まだ起きていない自分の敗北を恐れる。実際に経験した失敗への後悔ではない。後悔の先取りである。後悔を解消する筋書きは、ここで三度目の上演を迎える。
予言を避けようとする者の筋には、古くからの型がある。ギリシア悲劇の『オイディプス王』で、テーバイの王ライオスは、自分の子に殺されるという神託を聞き、赤子の息子を山に捨てさせる。息子は生き延び、相手が父とは知らずに父を殺す。
ヒトガミの筋も、この古い型を思わせる。原作の第15巻で、ヒトガミはルーデウスにオルステッドと戦うよう持ちかける。敗れたルーデウスは龍神の配下になり、ヒトガミを倒すはずの二者が手を結ぶ。
少なくとも、未来を避けようとした策が、その未来を実現しうる敵同士の協力を招いたのである。神託の成就を描く悲劇と違い、ヒトガミの敗北がこの時点で確定したわけではない。
二度目の転生は、ルーデウスの助言者も交代させた。原作第15巻で、ルーデウスは、老人の残した助言を信じて、5年前に別れたエリスへ手紙を送る。
ヒトガミの助言にも、神自身の目的があった。ただ、それはルーデウスが家族を失わず、幸福に生きることを基準とする目的ではなかった。神はルーデウスの人生を成功や失敗として評価していない。その意味で、ルーデウスが救われるか苦しむかは「どうでもよい」のである。
老人の助言は、正反対である。老人の助言には、二度と家族を失わないという、ただ一つの方向しかない。「どうでもよい」神の助言から、後悔の向きしか持たない未来の自分の助言へ、助言者が交代したのである。
助言者の座を降ろされた神には、黒幕の席が用意される。物語の登場人物一覧に「神」の一語で紹介されていたヒトガミの欄は、次のように書き替わる。
ヒトガミ……神。本作の黒幕。ルーデウスの子孫の宿敵で、子孫の誕生を妨げようとする
紹介が長くなり、長くなった分は、ルーデウスの家族との関係で埋まっている。家族を持たない神が、ほかの人物と同じく、「誰々の何々」で紹介される人物になった。
黒幕には手下も付く。使徒は同時に3人までという決まりのもとで、ルーデウスと顔なじみだった冒険者ギースは、終盤で使徒としてルーデウスと敵対し、敗れて死ぬ。五つの世界を滅ぼした神の手駒が、定員3人である。
地下室のネズミを、もう一度思い出してほしい。ネズミが運んだ魔石病は、家の中でロキシーを襲った。
後悔を解消する筋書きも、上演されるたびに、近くにいる人物へうつっていく。前世の男から老いたルーデウスへ、老いたルーデウスから若いルーデウスへ、そして、未来視を持つヒトガミへ。
脱物語の神は、物語に打ち負かされたのではない。物語の繰り返しに、うつされたのである。
皮肉なことに、地下室の扉を開けさせようとしたのは、ヒトガミのほうだった。病を家の中へ持ち込ませようとした神が、筋書きの病にかかったわけだ。
法廷の言葉で言い直せば、未来の敗北を恐れていることは、被告人自身が認めている。だが、その供述を「倒すべき黒幕」の証拠としてまとめ、人物表の欄を書き替えるのは検察官である。供述は本人のものでも、そこにつけられる役名は検察官の作文なのだ。
人に「課題」とその「克服」を強いているのは、物語である。神自身が未来の敗北を恐れていたのは事実だ。だが、その恐れまで「克服すべき課題」という筋へ組み込み、ルーデウスと対決する黒幕の役を与えたのは、物語のほうである。ヒトガミもまた、物語に強いられた側だったのである。
もっとも、強いられた筋は、本編の中では完結しない。ルーデウスは生涯のうちにヒトガミを倒せず、決着は子孫とオルステッドに引き継がれる。後悔のローンは、ルーデウスが死んだあとも、子孫の代まで返済が続くのである。
最後に、証人席をもう一度見ておく。弁護側の証人は、ヒトガミの前で前世の姿に戻る、過去のルーデウス、つまり前世の男だった。検察側の証人は、未来のルーデウスである。
二人の証人は同じ一人の男であり、アニメでは同じ声で話す。しかも未来のルーデウスは、ルーデウスの人生を一人称で書いた日記を携えてきた。若いルーデウスは、自分の人生の筋を、語り手から先に聞かされたのである。




