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『無職転生』論~ヒトガミと物語の呪縛  作者: 深海周二


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第8回 ヒトガミと顔のないトラック運転手

※本連載は、『無職転生』の原作完結までの筋に言及する。


証拠品第1号は、最初の助言だ。魔力災害で魔大陸まで飛ばされたルーデウスは、目を覚ます前の夢で、初めてヒトガミと会う。ヒトガミはルーデウスに、目覚めたとき近くにいる男を頼り、さらにその男を助けるようにと告げる(Web版第二十話、書籍版第3巻、アニメ第1期第9話)。


目を覚ましたルーデウスの前にいたのは、スペルド族の戦士ルイジェルドだった。スペルド族は、魔大陸でも忌み嫌われている種族である。ルイジェルドは倒れていた二人のために焚き火を起こし、故郷へ送り届けると約束した。ルーデウスはその言動を確かめて手を組み、ルイジェルドに守られながら、エリスとともに故郷を目指して旅をする。


証拠品第2号は、港町ウェンポートでの助言である。ヒトガミは、食べ物を持って路地裏を探せ、という趣旨の指示をする。


神のお告げというより、夕飯の買い物メモである。ところが言われたとおり路地裏を探すと、空腹で倒れている少女がいた。少女の正体は魔界大帝キシリカで、ルーデウスは食べ物を分けた礼として、少し先の未来を見る魔眼、予見眼を授かる。


証拠品第3号は、ベガリット大陸をめぐる助言である。父パウロは、母ゼニスを救い出すために、ベガリット大陸の転移迷宮に挑んでいた。父のもとへ向かうかどうか迷うルーデウスに、ヒトガミは、ベガリット大陸へ行くのはやめておけ、という趣旨の助言をする。


ルーデウスは助言に従わず、ベガリット大陸へ渡る。迷宮でロキシーと再会し、母を結晶から救い出す。その一方で、父パウロはヒュドラからルーデウスを庇って死ぬ。


検察官の見立てでは、三点を並べれば、被告人の狙いが浮かび上がるはずだった。


並べてみると、狙いはどうにも浮かび上がらない。第1号と第2号は、ルーデウスを救った。第3号は、父を失った後からなら、行くなという忠告が正しかったようにも見え、ロキシーと再会して母を救い出した点では、忠告が誤っていたようにも見える。ただし、従っていたら父が死ななかったかどうかは、確かめようがない。


ルーデウスを幸せにする狙いの証拠なら、三点は同じ方向を指すはずだ。ところが三点は、てんでばらばらの方向を指している。


もっとも、結果がばらばらだからといって、被告人に一貫した狙いがないことにはならない。少なくとも、ルーデウスを幸せにするという方向は、三点から読み取れないのである。


ここで、被告人の供述を読み上げたい。初めて会ったとき、ルーデウスは、なぜ助言をくれるのかとヒトガミに尋ねている。ヒトガミの答えは、「君が生きていると面白そうだから」だった。


本物の法廷で、動機を問われた被告人が「面白そうだったから」と答えたら、傍聴席はざわつくだろう。検察官は、供述は嘘だと主張するに違いない。物語の後半では、助言の裏に別の狙いが明らかになるからだ。


供述が本心かどうかは、まだ決められない。それでも弁護人として、ひとまず供述をそのまま受け止めてみたい。


面白いとは、どういう態度だろうか。昼のドラマを見ている視聴者を思い浮かべてほしい。


ヒロインの縁談が破談になっても、親の反対を押し切って結ばれても、視聴者にとってはどちらでも面白い。視聴者は画面に向かって「その男はやめておきなさい」と声をかけるが、ヒロインが本当に男と別れたら、翌日の放送が少し退屈になるかもしれない。


面白いという言葉は、ヒロインが幸せになるか不幸になるかを一つに決めていない。どちらの結末になっても、視聴者は面白がれるからである。


供述どおりなら、ヒトガミの「面白そう」も、同じ形をしている。ルーデウスが救われても、苦しんでも、ヒトガミは面白がれる。助言がルーデウスを救っても、ルーデウスに痛みを強いても、ヒトガミにはどちらでも構わない。


面白がる以上、ヒトガミにも興味という好みはある。ただし、ルーデウスの人生を成功と失敗のどちらに分類するかは、関心の的ではない。その意味での「どちらでも構わない」という態度を、私は「どうでもよい」と呼びたい。


では、ばらばらの方向を指す証拠品に、意味をつけているのは誰なのか。正月のおみくじを思い出してほしい。


「待ち人 来る」と書かれたおみくじを引いた人が、翌週、昔の友人から電話をもらったとする。引いた人は「当たった」と思うだろう。電話がなければ、おみくじを引いたことさえ忘れてしまう。


紙に印刷された「来る」の二文字は、電話があってもなくても変わらない。当たりか外れかを決めるのは、紙ではなく、引いた人の翌週である。


ヒトガミの助言も、おみくじと同じ形をしている。


証拠品第1号を見直そう。目覚めて近くにいる男を頼り、その男を助けよと言われても、目の前にいたのは、忌み嫌われた種族の戦士である。助けを求めるかどうかを決めたのは、ルーデウスだった。


ヒトガミの助言は、ルイジェルドに向き合うきっかけになった。しかもルーデウスは、助言をそのまま信じたのではなく、自分の気持ちとルイジェルドの言動を確かめて手を組んでいる。


ロシアの研究者プロップは、昔話を登場人物の行為が果たす働きから調べた。私は、行為の意味が後に続く展開によって変わることに注目したい。森へ向かう一歩は、竜を退治すれば英雄の旅立ちになり、木の実を拾って帰れば散歩になる。


助言の意味も、後に続く展開から決まる。証拠品第2号の路地裏の指示は、ルーデウスが予見眼を授かった時点で、ありがたい導きになった。


のちにルーデウスは、オルステッドから、助言の裏の狙いを聞かされる。同じ路地裏の指示を、ルーデウスは今度は陰謀として読み直す。


指示の文言は一字も変わっていない。変わったのは、指示の後に続いた筋である。


導きとして読むか、陰謀として読むか。どちらの読み方でも、ヒトガミを自分の筋の登場人物として位置付けているのは、ルーデウスのほうである。証拠品が示しているのは、被告人の狙いそのものではなく、証拠品を読んだ側が組み立てた筋でもあるのだ。


証拠品第3号は、もっと扱いが難しい。父の死は、紛れもなくルーデウスの痛みである。父を失った悲しみは、後から筋を与えられたために生まれたものではない。


けれども、父の死を、助言に背いた報いと読むか、息子を守り抜いた父の最期と読むかは、ルーデウスと読者が決める。痛みは事実として起きる。痛みに「克服すべき課題」という意味をつけるのは、筋のほうである。


ここまで調べてくると、ヒトガミとよく似た存在が、作中にもう一つあることに気づく。前世の男を轢いたトラックである。


なろう系の読者のあいだには、「転生トラック」という言い方がある。主人公がトラックに轢かれて異世界へ転生する導入があまりに多いので、トラックが異世界への送迎係のように語られるのである。


試しに、『無職転生』の人物表に、トラックの運転手を書き足してみよう。


運転手……


書き足そうとして、私は手が止まった。運転手には名前がない。原作Web版では、運転手がハンドルに突っ伏していたことは書かれるが、名前も顔立ちも明かされない。


考えてみれば、奇妙な扱いである。前世の男の34年を断ち切り、ルーデウスの74年を始めさせたのは、運転手の握っていたハンドルだった。作中の誰よりも大きく男の人生を変えた人物が、紹介の一行どころか、名前の一語さえ与えられていない。


ヒトガミの紹介は「神」の一語だったが、運転手の紹介は一語もない。


同じ事故の現場にいた高校生の一人には、のちに名前が与えられる。男が助けようとした高校生の一人、七星静香は、事故に巻き込まれ、のちに異世界へ転移した人物として再び登場する。同じ現場にいながら、七星は人物として筋に組み込まれ、運転手は物語の発端を担いながら、自分の人生を語られないまま残されたのである。


運転手には運転手の一日があり、事故に至る事情があったはずだ。しかし、運転手のそれまでの暮らしは、男の20年の引きこもりとも、男が人生を悔やんでいたこととも関係がない。二人の一日は、あの路上で交わった。


物語は、原因から帰結へと出来事を並べる。引きこもったから後悔し、後悔したから本気になり、本気になったから家族を得た。『無職転生』の筋は、因果の鎖でつながっている。


ところが、鎖のいちばん最初の輪である男の死だけは、男の引きこもりや後悔の帰結として起きたわけではない。事故には、高校生を助けようとして男が道路へ踏み出したことや、運転手がハンドルに突っ伏していたことが関係している。だが、男が引きこもっていたことが、トラックの進行を招いたわけではない。トラックは、相手が20年引きこもった男でも、高校生を助けようとした男でも、同じ重さで男を轢いた。


人生の課題から必然的な帰結へとつながる鎖の外側にあることを、私は「脱因果」と呼びたい。原因のない事故という意味ではない。トラックの事故は、男の人生の筋から見れば、脱因果の出来事である。事故自体は何も意味しておらず、事故に「やり直しの入口」という意味をつけたのは、事故の後に続いた筋のほうである。


ヒトガミの助言も、ルーデウスの人生の筋から見れば、脱因果である。助言にはヒトガミ自身の目的がある。それでも、ヒトガミが助言を告げるのは、ルーデウスが努力したからでも、罪を犯したからでもない。ルーデウスに示された理由は「面白そうだから」の一言で、少なくとも課題の克服に対する報酬や、過去の失敗への罰として助言が与えられたわけではない。


それでも助言は、ルーデウスをルイジェルドやキシリカに引き合わせ、ルーデウスの人生を大きく変えていく。


並べてみると、運転手とヒトガミは同じ形をしている。どちらも、男の人生を急に別の方向へ曲げた。どちらも、男がそれまで生きてきた人生の筋の外側から来た。


そしてどちらも、顔がない。運転手の顔立ちは原作に記されず、ヒトガミの顔にはモザイクがかかっている。


違うのは、ヒトガミには口があることだ。


人は不運に見舞われると、「なぜ自分なのか」と世界に問う。世界は答えないし、名前のない運転手も答えない。もし世界に口があって、問いに一言だけ答えるとしたら、「面白そうだったから」がいちばん正直な答えではないだろうか。


ヒトガミは、世界の無関心を人の形にした存在である。運転手が名前を持たない世界の無関心だとすれば、ヒトガミは、呼び名と声を与えられた世界の無関心なのだ。


もちろん、ヒトガミには意思も目的もある。私が無関心と呼ぶのは、ルーデウスの人生を、成功や失敗という物差しでは測らないという、その一面である。


私はヒトガミを「無色」と呼んだ。どの関係にも属さず、どの価値にも染まっていない、という意味である。ただし、誰とも関わらないということではない。ルーデウスの人生を家族の役割や成功と失敗の物差しで測る関係に属さないのである。


今回の証拠調べで、ヒトガミを無色と読む理由が、もう一つ見えてきた。ヒトガミはルーデウスに働きかけながら、その人生を課題として裁いたり、克服の成果として褒めたたえたりする側には立たないのである。


課題と克服の枠組みの外側にいることを、私は「脱物語」と呼ぶことにする。作品はヒトガミに「倒すべき敵」という役を与える。だが、役を与えられることと、ヒトガミ自身がルーデウスの人生を課題と克服の物差しで測ることは違う。運転手も事故の発端を担う以上、作品と無関係ではない。けれども、その人生は課題と克服の筋としては語られない。主要な登場人物の中で脱物語の象徴となるのは、ヒトガミただ一人である。


弁護人として、証拠調べの結論を述べておく。検察官の提出した証拠品は、被告人が倒すべき敵である証拠にはならない。助言が人を動かし、ときには害を及ぼすことは否定できない。それでも三点の証拠品から浮かび上がるのは、被告人がルーデウスの人生を、成功と失敗という物差しでは測らない――「どうでもよい」という姿である。


運転手は、ハンドルに突っ伏していた姿以外、その日の事情も名前も与えられなかった。ところが作品は、ヒトガミの「面白そうだから」という供述を、最後まで供述のままにしておかなかった。物語の後半で、未来に自分を倒す者たちへの恐れが、助言の背後にある動機として明かされる。


作品は、ヒトガミを無色のままにしておけたのか。

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