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『無職転生』論~ヒトガミと物語の呪縛  作者: 深海周二


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第6回 無色の容疑者

※本連載は、『無職転生』の原作完結までの筋に言及する。


文庫のミステリーを開くと、本文の前に「登場人物」の一覧が載っていることが多い。名前の下に、一行ずつ短い紹介がつく。「被害者の妻」「被害者の主治医」「館の執事」といった具合である。


試しに、『無職転生』の人物表をこしらえてみよう。


ルーデウス……本作の主人公。前世は34歳の無職

パウロ……ルーデウスの父

ゼニス……ルーデウスの母

リーリャ……グレイラット家のメイド。アイシャの母

ノルン、アイシャ……ルーデウスの妹

シルフィエット……ルーデウスの幼なじみ。のちに妻

ロキシー……ルーデウスの魔術の師。のちに妻

エリス……ルーデウスの教え子。のちに妻

クレア……ゼニスの母


ほとんど全員が「誰々の何々」で紹介できてしまう。眺めていると、ミステリーの人物表というより、結婚式の席次表に近い。「新郎父」「新婦叔母」の世界である。


さて、表には一人だけ、書き足さなければならない人物がいる。


ヒトガミ……神


紹介は「神」の一語で終わる。少なくともルーデウスの家族の中には、この神の席がない。


ミステリーを読み慣れた人なら、ここで少し身構えるかもしれない。人物表で紹介のいちばん短い人物は、どうにも気になる。少なくとも私は、そういう人物から疑ってかかることにしている。


容疑者の初登場は、原作の第3巻、アニメでは第1期の第9話だ。魔力災害で魔大陸まで飛ばされたルーデウスは、目を覚ます前に夢を見る。何もない白い空間に、全身が白く、モザイクのかかった人の形が立っていて、ずいぶん軽い調子で話しかけてくる。


以後、ヒトガミはルーデウスの夢にしか現れない。現れては助言を告げ、ルーデウスが目を覚ませばいなくなる。ここでは助言の内容ではなく、容疑者の身元に絞ろう。手がかりは三つある。


一つ目の手がかりは、ヒトガミが家族の一員として描かれないことである。


来歴は、のちに明かされる。ヒトガミは太古の七神の生き残りで、かつて、人の世界を除く五つの世界を滅ぼした。親戚づきあいどころの騒ぎではない。同業の神々の世界を、自分の手で滅ぼしているのである。


年賀状を送る相手も、喪中はがきを書く理由になる身内も、人物表には載っていない。『無職転生』の主要な登場人物の中で、ここまで身軽に紹介される人物はほかにいない。


人が「克服すべき」課題を最初に背負わされるのは、多くの場合、家族の中である。親の期待に応える、兄弟と比べられて劣らない、自分も家庭を持つ。


ヒトガミが親から期待され、兄弟と比べられ、親戚から「いい人はいないのか」とせかされる場面はない。家族から課題を届けられる人物として、ヒトガミは描かれていないのである。


二つ目の手がかりは、ヒトガミが変わらないことである。


『無職転生』は、人が変わっていく物語だ。ルーデウスは失敗し、後悔し、本気になる。エリスに去られて引きこもりかけ、立ち直り、妻を迎えて父親になる。パウロも、再会した息子を責めた言葉を悔い、父親として息子と向き合い直す。主要な登場人物の多くが、欠如から解消への筋を一本ずつ持っている。


ヒトガミだけは、筋を持たない。ルーデウスが少年から父親になり、老いていくあいだ、ヒトガミは同じ白い姿で、同じ軽い調子のまま夢に現れる。


駄菓子屋の看板に描かれた子どもを思い出してほしい。店先で小銭を握りしめていた子どもたちが大人になり、自分の子の手を引いて来るころになっても、看板の子どもは同じ年格好のまま、同じ笑顔で立っている。ルーデウスにとって、ヒトガミは看板の子どもである。


もっとも、作品は後半で、ヒトガミに一つの動機を与える。20年ぶりの同窓会に、ヒトガミを連れていってみよう。


旧友に「あれからどうしてた?」と聞かれたら、ルーデウスは5分で答えられる。前世の失敗、異世界でのやり直し、妻と子に囲まれた今。見事な一本の筋である。


ヒトガミは、たぶん「特に何も」と答える。


前世の男に自分を重ね、自分の20年には人に語るほどの出来事がなかったと感じる読者も、同窓会で「特に何も」と答えるだろう。答えは一字一句同じである。違うのは、ヒトガミが少しも恥じていないことだ。恥じる理由がない。始まりの欠如も、終わりの解消も、ヒトガミの来歴には書き込まれていないからである。


ヒトガミは涼しい顔で「特に何も」と言ってのけるだろう、と書きかけて、私は手を止めた。ヒトガミには、顔がないのだった。


三つ目の手がかりは、ヒトガミの顔である。


ヒトガミの顔にはモザイクがかかっていて、目も口も見えない。モザイクと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、テレビのニュース番組だろう。匿名を条件に証言する関係者は、顔にモザイクをかけ、声を加工して画面に映る。


視聴者は証言を聞けても、証言者が誰なのかは知らされない。うそをついているのか、本当のことを言っているのか、確かめる手立ては証言の言葉しかない。


ほかの登場人物なら、表情を頼りにできる。ルーデウスが泣けば、読者は悲しみを読み取る。パウロが酒でやつれた顔を見せれば、読者は父の苦しみを読み取る。読者は顔を頼りに人物の気持ちを推し量り、人物を筋の中に位置付けていく。


ヒトガミについては、顔を頼りにできない。親切で助言しているのか、ルーデウスをからかっているのか、読者には読み取れない。ヒトガミは、作品の最初から最後まで、匿名の証言者なのである。


さて、手がかりが三つそろった。家族の中に席がない、変わらない、顔がない。


並べてみると、三つの手がかりは、物語が人に課題を課す三つの経路と、ぴたりと重なる。課題は、家族の中で最初に背負わされる。課題は、欠如から解消へという筋の中で、後から設定される。人は、自分の人生を筋の形で語るよう、周りから求められる。


ヒトガミは、三つの経路のどれにもつながっていない。家族から課題を届けられる場面がない。変わらないから、筋を持たない。顔がないから、周りの者もヒトガミを筋の中に位置付けにくい。


三つの経路のどれにもつながっていない人物を、私は「無色」と呼びたい。この連載で無色とは、どの関係にも属さず、どの価値にも染まっていないことを指す。


ヒトガミが誰とも関わらないという意味ではない。実際、ルーデウスに助言し、オルステッドと敵対する。私がここで問題にしているのは、人を父や子や夫として位置付け、その人生を成功と失敗、欠如と解消の物差しで測る関係である。無色だから善悪の評価を免れるわけでもない。


念のため断っておくと、白いから無色、という駄洒落ではない。白さは、ヒトガミの姿の描き方の一つにすぎない。


無色ぶりを確かめるには、ヒトガミに履歴書を書かせてみるのがいちばん早い。


氏名 ヒトガミ

生年月日 太古

現住所 無の世界

学歴・職歴 なし

配偶者 なし

志望動機 (空欄)


面接官なら、まず「この空白期間は何をしていましたか」と尋ねるだろう。だが、欠如は、解消が用意されたときに後から書き込まれる。前世の男の20年が空白期間になったのは、家族に看取られる老衰という終わりが、筋の最後に用意されていたからだった。


ヒトガミには、終わりが用意されていない。家族を得て、職に就き、看取られて死ぬ筋を、作品はヒトガミのために一度も予告しない。だから、ヒトガミの空いた欄は空白期間にならない。ヒトガミのもとには、桃が届く予定がないのである。


家族の描かれない孤独な神だ、と同情する読者もいるだろう。しかし孤独と呼べるのは、家族のいる暮らしと比べたときである。比べているのは読者のほうで、ヒトガミの履歴書には「孤独」と書く欄すらない。


ちなみに、家族の中で居場所を失った人物は、作中にもう一人いた。家族との関係を修復できないまま、部屋に閉じこもって20年を過ごした、前世の男である。作品は、前世の男には異世界でのやり直しという解消を用意し、ヒトガミには何も用意しなかった。


さて、ミステリー読みの勘は当たったのか。


原作の第15巻で、ルーデウスはヒトガミの提案に従って龍神オルステッドと戦い、敗れる。以後、ルーデウスは「龍神配下」を名乗り、オルステッドとともにヒトガミと敵対していく。夢の中の助言者は、ここから倒すべき敵になる。


人物表の「神」の一語に、作品はあとから二文字を書き足したのである。「黒幕」と。


ただ、私は書き足された二文字に、どうも釈然としない。ミステリーの犯人には、たいてい動機と証拠がそろっている。ヒトガミにも、五つの世界を滅ぼし、ルーデウスを欺いたという前歴がある。黒幕という紹介に根拠がないわけではない。だが、身元を洗って見つかった三つの手がかり――家族の中に席がない、変わらない、顔がない――は、いずれも悪事の証拠ではなかった。三つはむしろ、ヒトガミがほかの人物のような課題と克服の筋に組み込まれていないことを示している。


物語の外にいたただ一人の人物が、なぜ物語の側から、倒すべき敵に仕立てられたのか。

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