第12回 「無職」は何レベル?
※本連載は、『無職転生』をはじめ、取り上げる作品の物語後半までの筋に言及する。
赤ん坊が、魔術の教科書を読んでいる。
理不尽な孫の手『無職転生』の第三話「魔術教本」で、前世の記憶を持つルーデウスは、家にあった本から魔術を学び始める。水の弾を撃つために教本の詠唱を唱えると、右手の先に水弾が現れた。初めての魔術は成功かと思いきや、水弾はそのまま床に落ちる。飛んでいかなかったのである。
それでもルーデウスは諦めない。何が足りなかったのか、どうすれば水弾を飛ばせるのか、自分の身体の感覚を頼りに試し直す。教本の説明を暗記するだけでなく、実際に魔術を使って確かめるところが面白い。
この世界の魔術には、初級、中級、上級、聖級、王級、帝級、神級という七つの階級がある。魔術師の実力も、どの階級の魔術を使えるかによって評価される。ルーデウス自身、魔力の総量は生まれつき決まるという教本の記述を読み、ゲームならレベルアップで増えるはずのMPが増えないのかと首をひねっている。
前世の男はゲームに親しんでいた。魔力をMPにたとえるのも、魔術を段階的に覚えていくのも自然だろう。では、彼自身のレベルはいくつなのか。いったん本を閉じ、ステータス画面を開いて確認すれば済みそうだが、『無職転生』には、そのための画面がない。
むろん、魔術の階級や剣術の流派による序列はある。しかし、ルーデウスの職業、知力、体力、技能を一つにまとめ、現在の強さを数字で表示するRPG式の仕組みが、物語の中心にはない。ルーデウスは、自分の魔力の総量さえ最初は知らない。だから水弾を撃って、結果から考える。
ここで奇妙なことに気づく。『無職転生』は、「なろう系異世界転生のルーツ」と呼ばれる作品ではなかったか。
アニメの宣伝では、実際に「なろう系ラノベのパイオニア」と紹介されている。ところが、今日の異世界ファンタジーから連想されるレベルやスキルの表示を、ルーツと呼ばれる『無職転生』は中心に据えていない。
もっとも、歴史を確かめれば、ステータス画面が『無職転生』から後続作品へ広まったと考えること自体が間違いである。橙乃ままれの『ログ・ホライズン』は、2010年4月に「小説家になろう」で掲載を開始した。『無職転生』の開始は2012年11月だから、こちらのほうが二年以上早い。
『ログ・ホライズン』では、オンラインゲーム〈エルダー・テイル〉のプレイヤーたちが、ゲームによく似た異世界で暮らすことになる。主人公シロエは、自分の意識の中に浮かぶメニューを操作する。そこにはキャラクター名や装備が表示され、能力値やスキルも確認できる。レベルは90。当時の上限に達している。
ただし、レベル90は特別な勲章ではない。プレイヤーの半数近くが、そのレベルに達しているからだ。しかもシロエの職業〈付与術師〉は、攻撃力が低く、一人で戦うのには向かない不人気な職業である。シロエ本人は気に入っているのに、周囲からは不人気という理由で色眼鏡をかけて見られる。
レベル90という表示は、シロエがどれほど成長したキャラクターなのかを教える。しかし、付与術師がどんな仲間と組み、何を成し遂げるかまでは教えてくれない。職業の人気と本人の好みも、別である。ステータス画面は情報を与えるが、人間関係の答え合わせまではしてくれないのである。
では、その情報から、仲間でいる資格まで決めたらどうなるか。
ざっぽんの小説『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』には、ギデオンという男が登場する。世界には、生まれつき神から授けられる「加護」があり、人々は加護に応じたスキルを得る。ギデオンの加護は「導き手」。最初から加護レベルが高く、レベル31で生まれた彼は、少年のうちから騎士として活躍し、勇者となった妹ルーティの旅を支える。
ところが「導き手」には専用のスキルがない。仲間たちが成長して強力な技を覚えるにつれ、ギデオンは戦闘で後れを取るようになる。
魔王軍の幹部を倒した祝賀会の夜、賢者アレスは彼を館の外へ呼び出して告げる。
「君は真の仲間じゃない」
アレスの説明は、単なる悪口ではない。先ほどの戦闘で、ギデオンの剣は敵に十分な傷を与えられず、敵から狙われもしなかった。攻撃を受ければルーティが兄を回復させ、そのぶん仲間の行動が費やされた。アレスには、戦闘の効率という観点からの言い分がある。
しかし、戦闘で役に立てなかったことと、仲間でいる資格がないことは同じではない。戦闘に向かない者を前線から外すことは検討できる。妹に相談することも、別の役割を探すこともできたはずだ。アレスが選んだのは、ギデオンを勇者の一行から追い出すことだった。
ギデオンは装備を置いていくよう求められ、手持ちの宝剣や指輪まで外し、わずかな路銀と安物の銅の剣を受け取って去る。能力についての評価は、所属を失うという具体的な出来事になったのである。
彼はレッドと名を変え、辺境の町ゾルタンで薬草採取を仕事にする。季節ごとの薬草の分布を地図に記し、いつか薬草屋を開くつもりだ。魔王軍の幹部に剣が通じなかったことは、薬草を採って暮らす能力がないことを意味しない。勇者の仲間という役を失っても、彼の日々は終わらない。
さらに厄介なのは、ギデオン自身もアレスの評価に納得していることだ。彼は自分を、序盤の勇者を助け、途中で退場する仲間だったと考える。誰かから与えられたはずの役を、自分の人生の説明として引き受けてしまったのである。
もちろん、加護は数値そのものではない。「導き手」は役割の名前であり、レベル31は能力に関する数字である。アレスが追放を決めた直接の根拠は、目の前の戦闘でギデオンが働けなかったことだった。表示された数字が勝手に「仲間失格」と宣告したわけではない。宣告したのはアレスという人間である。
ここで『無職転生』に戻ろう。
34歳で死んだ前世の男には、ステータス画面がなかった。無職だったことも、長く引きこもっていたことも、ゲームの能力値ではない。学校や仕事、家族との関係についての事実である。
考えてみれば、『無職転生』という題名そのものが、男の経歴から一つの事実を選び取っている。男は最期に見知らぬ高校生を助けようとして死んだ。だが、表題に刻まれたのは「無職」のほうだった。仕事の有無が、男の人生を紹介する最初の言葉になっている。
ところが、男が異世界でルーデウスとして生まれ変わると、その事実が、やり直すべき人生の説明になる。前世では人とうまく関われなかったから、今度は人と関わろう。前世では家族を失ったから、今度は家族を大切にしよう。ルーデウスは本気で生きると決め、かつてできなかったことに挑む。
ここにはアレスのように、他人を追放して満足する判定者はいない。前世の男が自分の人生を悔やんでいるのである。その後悔を偽物だと言うつもりはない。両親を亡くし、家族に家から追い出され、関係を修復できなかった痛みは、確かに彼自身の痛みだった。
しかし、痛みが本物であることと、そこまでの20年がまるごと失敗だったことは、別の話である。
『無職転生』の語り手は、後悔した34歳の男の記憶を持っている。だから、前世の20年は欠けた人生として語られ、ルーデウスが得た友人、仕事、妻、子ども、家は、その欠如を克服していく過程として語られる。男が引きこもっていた20年にも日々の暮らしがあったはずだが、物語の中で詳しく知らされることはない。
ステータス画面の代わりに、語り手が自分の過去に判定を下している。しかも他人から聞かされた悪評ではなく、本人の悔いとして語られるため、読者も疑いにくい。「無職」は職業の有無を表す言葉なのに、いつの間にか人生そのものの評価として働き始める。
ルーデウスが魔術を学んで強くなったのは事実である。だが、彼が父パウロと喧嘩したあと和解したこと、引きこもった妹ノルンと向き合ったことは、魔術の階級を上げた成果ではない。父はヒュドラからルーデウスを庇って死に、救い出された母ゼニスは言葉を失った。魔術が使えても、父を生き返らせることはできなかった。
冒険の強さと家族の関係は、同じ尺度では測れない。なろう系のルーツと呼ばれる『無職転生』の中心にあるのが、まさにその家族の問題なのである。
だから、ルーツという呼び名は慎重に扱いたい。後に現れる作品が、先行作品の装置をすべて受け継ぐわけではない。『ログ・ホライズン』の画面は『無職転生』に先行しているし、『真の仲間』の追放劇が『無職転生』から直接生まれたと証明する資料も、ここにはない。
それでも作品を並べると、共通する問いが見えてくる。人は何ができれば一人前なのか。誰とどのように暮らせば、欠けた人生を克服したことになるのか。『無職転生』ではルーデウスが自分に問い、『真の仲間』ではアレスがギデオンを問い詰める。だが、どちらの問いにも、能力の数値だけでは答えられない。
そのことを、もっとはっきり示す人物が『真の仲間』にはいる。勇者ルーティである。
ルーティは人類最強の力を持つ。病気にも疲労にも苦しまず、暑さや寒さからも身体を守られる。しかし、彼女は湯船につかっても、昔のような気持ちよさを感じられない。兄が作ってくれた蜂蜜ミルクも、かつてほどおいしく感じられない。勇者の加護は彼女を守る一方、感情や身体の喜びまで変えてしまったのである。
誰よりも強いのに、温かい風呂を温かいと喜べない。レベルやスキルが充実していても、本人の幸福まで保証されるわけではない。しかもルーティは、勇者になりたいと頼んだ覚えなどない、と神の側に反発する。
勇者という役を果たすことが、ルーティの人生の成功になるとは限らないのである。
ルーデウスとルーティの立場を、同じだとは言えない。ルーティの加護には本人の意志を左右する働きがあり、ルーデウスは自分で本気で生きると決めた。だが、ここには対照的な二つの生き方がある。ルーデウスは、かつて担えなかった役を引き受けようとする。ルーティは、最初から与えられた役を降りようとする。
どちらが正しいのかと採点するなら、私たちはまた別の物差しを作ってしまう。大切なのは、本人が望む生き方と、周囲や物語がその人にふさわしいと決めた生き方は、必ずしも一致しないということだ。勇者を辞めて兄と暮らしたいという願いまで、新たな克服の物語にはなりうる。その点でも、ルーティだけが物語の外へ逃れたとは言えない。
ステータス画面にも良いところはある。思い込みで過小評価されていた人の能力を、数字が証明することだってある。「役立たず」とされた人物が実は優秀だったと分かれば、不当な評価は覆る。読み手にとっても、人物の得意不得意が一目で分かるのは便利である。
だが、「本当は強かった」と証明することと、「弱い人間でも、ここで暮らしてよい」と認めることは、まったく違う。前者は採点の間違いを正す。後者は、なぜその採点に人の居場所を決める権限があるのかを問う。
『無職転生』をなろう系のルーツと呼ぶとき、私たちはつい、その後に増えた魔術や戦闘やレベル表示から、共通の特徴を探したくなる。しかし、家族のドラマとして読み直した『無職転生』は、もっと根本的な問題を抱えていた。能力の点数がなくても、人は人生を失敗と成功に分けてしまうのである。
ルーデウスが教本を見ながら初めて作った水弾は、床に落ちた。水弾が飛ばなかったのは、魔術の使い方に足りないところがあったからだろう。練習して飛ばせるようになれば、失敗した魔術を成功させたと言える。
では、前世の男が過ごした20年はどうなのか。働いていなかったことは確かめられる。家族との関係を失ったことも確かである。しかし、その20年を「人生の失敗」と判定し、二度目の人生で克服すべき欠如にしたのは、いったい誰だったのか。
ルーデウスの目の前にステータス画面が現れたとしても、その問いに答える欄は、きっとない。




