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第9話:バキュームカーの強襲、あるいはジャングルの玉砕

 兵営の汲み取り式便所と馬糞が黄金比率で混ざり合った地獄の悪臭テロから数分後。魔法の仮設トイレの扉がガラリと開き、「ふぅ」と完全にスッキリした大満足の顔でお婆さんの姿のマリーが戻ってきた。

 高級タバコ『ゴールデンバット』の煙を完全に汚染された佐藤伍長は、青光りする坊主頭を両手で押さえ、深く頭を抱えた。

(とんでもないババアだ……。皇軍のいかなる猛者でも、この老婆の排泄力には敵わんわ……)

 佐藤伍長が凄まじい精神的疲弊に襲われた、まさに次の瞬間だった。

 タァン! タァン! ……バリバリバリバリバリッッ!!!

 じっとりとしたジャングルの奥深くから、空気を鋭く引き裂く不気味な金属音が小さく、しかし確実に響き渡った。オーストラリア軍の斥候(パトロール)が放った、エンフィールド小銃とブレン軽機関銃の連射音だ。敵の包囲網が、すぐそこまで迫っている。

 その瞬間、佐藤伍長の空気が一変した。

 彼は一瞬にして、極限のニューギニア戦線を生き抜いてきた「帝国陸軍歩兵・佐藤伍長」の鋭い戦眼を取り戻した。新調された完全軍装の背筋を伸ばし、略帽の帽垂布(ぼうたれぬの)をキリッと引き締めて、最後の一発が装填された三八式歩兵銃を音もなく前方へ構える。

 だが、絶体絶命の戦火が迫る中、黒い服に黒いとんがり帽子のマリーが、曲がったデカ鼻を涙で濡らしながら佐藤伍長の軍衣の袖を必死に引っ張った。

「伍長さん、聞いてください! 私の魔法は、この呪いが解けたらもっと、もっとパワフルになるのよ! 敵の飛行機だって大砲だって、私の大魔法があれば一発で吹き飛ばせるの! だから……だからお願いします! 武士の情けでお願いします! 私と、愛のこもったキスをくださいっっ!」

 涙ながらに「接吻」を懇願する、鼻の曲がったお婆さんマリー。

 佐藤伍長は敵の銃声を目の前にしながら、完全に唖然とした。

(嘘だろ……? なんで俺が、こんなモアイ像みたいな顔のでかい、鼻の曲がったババアと、神聖なる接吻(口づけ)を敢行せねばならんのだ……!?)

 敵のブレン軽機関銃よりも恐ろしい現実を前に、伍長が思考を完全に停止させた、その刹那だった。マリーはお婆さんの姿のまま、考える間もなく猛烈なスピードで佐藤伍長の顔面へと急接近してきたのだ。

「うわーーーっっっ! 敵襲ッ! 違う、玉砕だあぁぁぁーーーッッッ!!!」

 佐藤伍長が悲痛な叫びを上げた次の瞬間、マリーの唇が、佐藤伍長の乾いた口元を完璧に捉えた。

 それは、可憐な少女のロマンチックな口づけなどでは決してなかった。さっきまで魔法の仮設トイレで大音量のスコールを繰り広げていたマリーの口は、さながら昭和の汲み取り式『バキュームカー』の強力な吸引ホースのごとき凄まじい吸引力を発揮し、佐藤伍長の口を「ぶちゅーーーっっっ!!!」と強烈に吸い上げたのだ。

 硫黄の口臭と、バキュームカー並みの気圧の暴力が、佐藤伍長の脳髄を直撃する。

 激戦のポートモレスビーをたった1人で生き抜いてきた不屈の男、佐藤伍長は、オーストラリア軍の銃火に倒れるよりも前に、老婆の強烈すぎる接吻の衝撃によって、白目を剥いたまま泥濘の中にバタリと沈み、完全に気絶(戦死)するのだった。

 その横で、仮設トイレの屋根の上からすべてを目撃していたエゾフクロウの『五郎』が、あまりの凄惨な光景(地獄)に(南無阿弥陀仏……)とでも言うかのように、完全に目を点にして「ホウ……」と力なく鳴き声を漏らすのだった。

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