↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第五章 降りなかった者たち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
99/140

第99話 進路

 十二月に、三者面談があった。


 走の親は来られなかった。高山から名古屋まで、平日の午後に出てくるのは難しい。


 電話で済ませることになった。担任の机の上に、走の母の声だけが置かれる形になる。


「東くん、成績はいいんです」


 担任はそう切り出した。


 三十代の女性教師だった。走の担任は三年間この人で、走のことをよく見ている。よく見ているぶん、この面談は難しくなると走は思っていた。


「学年で、上から十番以内にずっといます。理系が強い」


 スピーカーの向こうで、母が「あら」と言った。


「知りませんでした」


「言ってないんですか」


「言わないんですよ、この子。試合の話はするんですけど」


 担任が走を見た。


 走は少しだけ気まずくなって、机の木目を見た。


「それで、進路なんですけど」


 担任は書類をめくった。


「東くん、サッカーのほうは、上のカテゴリーに上がる話が進んでいるんですよね」


「はい」


「上がれたら、そのまま系列の高校ですか」


「いえ。県立を受けます」


 尾張のユースは、高校を指定しない。選手は自分で高校を選び、放課後にクラブへ通う。走が行く予定の県立高校は、寮から自転車で二十分の場所にある。


「そこは、進学校ですよ」


「知っています」


「部活と両立できますか」


「クラブなので、部活ではありません」


「同じことです」


 担任の言い方は、厳しくはなかった。


 むしろ、心配していた。


「東くん」


 担任は少し身を乗り出した。


「これは、担任として言っておきたいんですけど」


「はい」


「サッカーで、プロになる子は、何人に一人だと思いますか」


 走は答えなかった。


 数字なら知っている。この年代でクラブの下部組織にいる子供のうち、プロ契約に至るのは百人に一人もいない。ユースまで上がっても、そこからさらに絞られる。


 担任が言おうとしていることは、全部正しい。


「あなたの成績なら、もっと上の高校も狙えます」


 担任は続けた。


「医学部だって、いまの成績なら無理じゃない。三年真面目にやれば、たぶん届きます」


 走の指先が、少しだけ止まった。


「東くん、将来なりたいものはありますか」


 担任が聞いた。


 走はそこで、初めて口を開いた。


「サッカー選手です」


「それは、分かってます。その先です」


「その先」


「怪我をしたら。上がれなかったら。二十五歳で契約が切れたら」


 担任は言った。


「そのときのために、いま選べる道を狭めないほうがいい」


 走は、その一文を静かに受け取った。


 正しい。


 この人は、走を潰そうとしていない。走の道を、なるべく広く保っておこうとしている。教師としては、これ以上ないくらい真っ当な助言だった。


(――同じことを、言われた)


 走の膝の裏が、冷たくなった。


 前の生で、父が言った。


 お前はもう十分やった。


 あのときも、父は走を潰そうとはしていなかった。息子の道が細くなるのを見て、広いほうへ戻そうとしただけだ。医者になれ、と言ったのは、そこがいちばん広い道だったからだ。


 そして走は、その道を行った。


 いま目の前の担任は、まったく同じ場所に立って、まったく同じことを言っている。


 違うのは、一つだけだった。


 この人は、走に選ばせようとしている。


 選択肢を狭めるな、と言っているのであって、サッカーをやめろとは一度も言っていない。


 父は、やめさせた。


「東くん?」


 担任が呼んだ。


 走は顔を上げた。


「……ありがとうございます」


 走は言った。


「こっちで続けたいです。県立を受けます。医学部は、たぶん受けません」


 スピーカーの向こうで、母が少し笑ったのが聞こえた。


「先生、すみません。この子、昔から一回決めると聞かないので」


「いえ」担任は少し笑った。「聞かない子のほうが、伸びますから」


 走はその一言を、少し意外に思った。


 この人は、走に医学部を勧めながら、走が断ることを織り込んでいた。


 だから、あの言い方だったのだ。


 その夜、走は自分から電話をかけた。


 三コールで出た。


「どうしたの」


「さっきの話」


「うん」


「県立、寮から自転車で二十分だ。練習は五時からで、学校は三時半に終わる」


「ぎりぎりじゃない」


「ぎりぎりだ。定期テストの週は、クラブが練習を落とす」


「へえ」


 母は感心したような声を出した。


「あんた、それ全部調べたの」


「調べた」


「心配なことは?」


 走は少し黙った。


 言うかどうかで、一拍迷った。


「電車が止まると、遅れる」


「それだけ?」


「あと」


 走は言った。


「三年やって上がれなかったら、そのとき何をするかは、まだ決めてない」


 電話の向こうが、少し静かになった。


「決めてなくていいでしょ、それは」


 母は言った。


「決めてないって言えるようになったなら、上等だよ」


 走は天井を見た。


「……うん」


「他には?」


「ない」


「そう」


 母は「じゃあね」と言いかけた。


 言いかけたところで、走が止めた。


「母さん」


「なに」


「卒業式、来られそう?」


 言ってから、走は自分の心臓が速いのに気づいた。


 電話の向こうで、紙をめくる音がした。


「三月……何日」


「十五日」


「金曜か」


 母はそこで少し考えていた。


「午前?」


「十時から」


「うーん、前の日に出れば行けるわ。父さんは無理かも。あの人、その週忙しいって言ってた」


「一人でいい」


「一人でいいの?」


「一人で、じゅうぶんだ」


 走はそう言って、それから、続けた。


「来てほしい」


「行くよ」


 あっさりしていた。


 走はしばらく、受話器を持ったまま何も言わなかった。


「まだなんかある?」


「……ある」


「なによ」


「今日、江口が八十分走った話、したっけ」


「してない」


「あいつ、一年のときは三本目で死んでた」


「はいはい」


 母は笑った。


 走はそのまま、十分喋った。


 電話を切ってから、走は自分のノートを開いた。


 書くことは、特になかった。


 開いて、閉じた。


 寮の窓から、名古屋の十二月が見えた。高山より三度暖かい。雪は降らない。


 三月には、この街に母が来る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。