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『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第五章 降りなかった者たち

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第100話 幕間・アカネ ~葬式~

 最後の試合は、十二月の第一週だった。


 三年にとっての引退試合で、相手は同じ市内の中学だった。


 アカネは、後半の頭から入った。三十分あった。


 ボールは、二回だけ来た。


 一回目は収まらなかった。


 二回目は、来る前から決めていた。


 背中で受けるのはもう無理だ。今年ずっとそうだった。だからアカネは、受ける前に半身を作って、相手の足が届かない側へ一度触ってから落とした。


 狙ったとおりに、味方の前に転がった。


 そこから点にはならなかった。


 それでも、アカネは自分の足の裏に残った感触を覚えていた。


 三十分走って、アカネがやったのは、それだけだ。


 それだけだが、最後の一本は、狙って通した。


 笛が鳴った。


 両チームが並んで、礼をした。


 三年が何人か泣いていた。アカネは泣かなかった。


 泣かなかったのは、悲しくなかったからではない。


 まだ終わっていない気がしたからだ。


 脚は動く。呼吸も乱れていない。三十分走って、まだ走れる。走れるのに、もう試合がない。


 更衣室の外で、ケンジが待っていた。


「アカネちゃん、おつかれ」


「……うん」


「三年間、すごかったよ。まじで」


 ケンジは本気でそう言っていた。


 悪気は、どこにもない。


 うれしかった。


 うれしかったが、三年間すごかった、というのは、終わった人に言う言葉だった。


 その二つが、同時に来た。


「ありがと」


 アカネはそれだけ言った。


「あとさ」ケンジが続けた。「後半の二本目の落とし、あれよかった」


 アカネは足を止めた。


「……見てた?」


「見てた。おれ、あれ拾えなかったけど」


「拾いなよ」


「ごめん」


 ケンジは笑って、走っていった。


 アカネは少しのあいだ、そこに立っていた。


 見ていた人が、一人はいた。


 その週の土曜、アカネは整体院へ行った。


 膝を診てもらう用事はなかった。


 受付で、遠野が顔を上げた。


「あら」


「……終わりました」


「なにが」


「最後の試合」


 遠野はしばらくアカネを見て、それから、奥の休憩室を顎で指した。


「入りな」


 休憩室は狭かった。


 パイプ椅子が二脚と、小さいテーブルがある。壁に人体の図が貼ってあった。


 遠野はインスタントのコーヒーを二つ作って、片方をアカネの前に置いた。


「飲める?」


「たぶん」


 アカネは一口飲んで、顔をしかめた。遠野が少し笑った。


「まずいって言ったでしょ」


「言ってました」


「で」


 遠野は自分のカップを持った。


「どうだった」


「勝ちました」


「へえ」


「あたしは、二回しかボール触ってないです」


 アカネは言った。


 言いながら、なぜか少し笑おうとしていた。


「でも、二回目はよかったんですよ。半身作って、触ってから落として。ケンジも見ててくれて、あれよかったって……」


 そこで、声が続かなくなった。


 アカネは口を閉じた。


 閉じてから、自分の膝を見た。


「……まだ、走れるんです」


「うん」


「三十分走って、全然平気で。なのに、もう試合がないんです」


 アカネは言った。


「終わった感じが、しない」


 遠野はコーヒーを飲んだ。


 しばらく、何も言わなかった。


「それ、あたしもだった」


 遠野が言った。


「最後の試合の日、ぴんぴんしてた。悔しいとも思わなかった。ただ、明日から練習がないんだなって、それだけ」


「……はい」


「で、あとから来た」


「いつですか」


「あたしは春だった」


 遠野は言った。


「あんたがいつかは、知らない。来ないかもしれない。ただ、来たときに一人でいるのは、あんまりよくない」


 アカネはうつむいた。


 膝の上で、指が震えていた。


「……あたし、誰に言えばいいですか」


「あたしでいいよ」


 遠野はあっさり言った。


「いつでもいい。来な」


 アカネはそこで、泣いた。


 泣きながら、明るく言おうとして、失敗した。


「あの、あたし、ほんとは、そんな、泣くほどじゃ」


「うん」


「二回しか、触ってないし」


「うん」


 遠野は、ティッシュの箱を机の端へ滑らせた。


 それだけだった。


 しばらくして、アカネは鼻をかんだ。


「で、そろそろ聞くけど」


 遠野が言った。


「……はい」


「あんた、あのノート、まだ書いてる?」


 アカネは顔を上げた。


「なんで知ってるんですか」


「前に来たとき、鞄から出てた」遠野は肩をすくめた。「表紙、無地の。中は見てないよ」


 アカネは自分の鞄を見た。


 今日も、二冊とも入っている。


「見せてみ」


 アカネは少しためらってから、二冊とも出した。


 遠野はそれを開いて、しばらく黙って読んでいた。


 ページをめくる音だけがした。


 三分ほどして、遠野が言った。


「一冊目、去年?」


「去年の秋です」


「二冊目のここ、一冊目の一行に返事してるでしょ」


 アカネは驚いた。


 気づかれるとは思っていなかった。


「してます」


「一年かけて、自分に返事したわけだ」


 遠野はノートを閉じて、テーブルに置いた。


 それから、アカネの顔をまっすぐ見た。


「これ、どこで詰まった」


「理由です」


 アカネは即答した。


「見えるんです。あの子が落ちるとか、あの膝が危ないとか。当たるんです。でも、なんでかが分からない」


「うん」


「だから、人に渡せない。この前、顧問に日付だけ渡したんですけど、それが精一杯で」


「渡したんだ」


 遠野が、少し眼を開いた。


「渡しました」


「それ、けっこうすごいよ」


 遠野は言った。


「見えるのに黙る人のほうが、多いから」


 アカネは、その一言をしばらく受け取れなかった。


「あんたが欲しいのは、理由でしょ」


「はい」


「理由は、勉強すれば手に入る。あんたの見えてるものに、名前と数字がつく。つけば、渡せるようになる」


 遠野はコーヒーを飲み干した。


「そこまで行くには、高校三年と、そのあと何年かいる。楽な道ではないよ」


「……何年ですか」


「人による。四年で足りる人もいるし、もっとかかる人もいる」


 遠野は言った。


「いま決めなくていい。高校で何を取るかだけ、春までに調べときな」


「……はい」


「あと」


 遠野はノートの二冊目を指した。


「ここの三つ目の問い。戻り切ったをどう測るか、ってやつ」


「はい」


「それ、答えの出てない問いだよ」


 アカネは顔を上げた。


「え」


「まだ誰も、きれいには測れてない。いろんな測り方があって、どれも半分」


 遠野は少し笑った。


「あんた、中三で、その辺に手をかけてる」


 アカネの胸のあたりが、熱くなった。


「次来るとき、それの本を一冊持ってくるわ。日本語のやつあったかな」


「……お願いします」


 帰り道、アカネは自転車を押して歩いた。


 まだ、葬式は出していない。


 出す日がいつかも、決まっていない。


 決まっていないまま、アカネは自転車にまたがった。


 家に着く前に、公園の横を通った。


 小学生が二人、ボールを蹴っていた。転がってきた一つを、アカネは足の裏で止めて、蹴り返した。


 ちゃんと、届いた。


「うま!」


 子供が言った。


 アカネは笑って、自転車を漕ぎ出した。


 十二月の高山は、もう雪の匂いがしていた。

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