第98話 秋の負荷
十月に、走は自分の身体を測り直した。
一六八センチ、五八キロ。九月は、一六七・五センチだった。
四月から五センチ、五キロ。
伸びの速度が、落ちていた。
この半年、走の背は月に一センチ近く動いていた。九月から十月にかけて、それが五ミリになった。
(――来たか)
走はその数字を、二度確かめた。
伸びが緩んだ。身体が伸びることに使っていた燃料が、減りはじめた合図だ。継ぎ目が固まったかどうかまでは、この数字では分からない。
この合図を、走は二年半待っていた。
待っていたが、一気に増やす気にはならなかった。
中二の八月に、走は一度、順番を破っている。三日で消えた。消えたが、ノートの一行は残っている。
あの一行は、走に「大丈夫だった」と「危なかった」の両方を教えていた。どちらを取るかは、走が決めることだった。
走は、線を引くことにした。
三ヶ月の平均が、月五ミリ以下になったら増やす。
十月、十一月、十二月。九月を起点にした、三つの増えぶんだ。
十月の五ミリは、もう出ている。残りは、十一月と十二月。
三つ揃うまで、走は待った。
そのあいだ、走は重さを一定に保った。
三十七・五キロで止めた。
夏からずっと同じだ。増やしていない。
同学年の何人かは、この倍を挙げる。財前は走の二倍以上を挙げるようになっていた。
「東、止まってるな」
ある日、財前が言った。
「止めてる」
「なんで」
「三ヶ月、様子を見てる」
財前は少し考えて、それから聞いた。
「その三ヶ月って、なんの三ヶ月だ」
「背が伸び終わるかどうかの三ヶ月だ」
「……そんなの、分かるのか」
「分からない」
走は正直に答えた。
「分からないから、三ヶ月見る。それでも分からない」
「分からないのかよ」
「分からない。中を見る機械が、ここにはない」
財前は自分の掌を見て、それから言った。
「おれ、去年から止めずにずっと上げてる」
「知ってる」
「まずいか」
「分からない」
走は同じ答えを返した。
「財前は、去年の春から伸びが止まってる。俺より先に、たぶん継ぎ目は固まってる。だから、たぶん大丈夫だ」
「たぶんばっかりだな」
「たぶんしか言えない」
「言い切れよ」
「言い切ると、外したときに取り返しがつかない」
「ふうん」
財前は少し笑って、それから真顔に戻った。
「お前、そういうとこは絶対に言い切らないよな」
「言い切ったことは、ある」
「え?」
「自分にだけな」
財前は意味が分からないという顔をした。走もそれ以上は言わなかった。
言わなかったが、会話はそこで終わらなかった。
「じゃあさ」財前が続けた。「お前、いつ上げるんだよ」
「十二月に決める」
「決めたら教えろよ」
「教える」
「絶対だぞ」
「絶対だ」
十一月の練習試合で、江口が八十分を走り切った。
三年になって、江口は右のサイドハーフでほぼ全試合に出ている。走のすぐ前だ。
その日、江口は最後の一本まで戻ってきた。
笛が鳴ったあと、芝に大の字になって叫んでいた。
「おれ、いま人生でいちばん走った!」
走は歩いていって、その横に立った。
「最後までいたな」
江口が顔を上げた。
「見てた?」
「見てた。八十分目の戻り、間に合ってた」
「うっそ、数えてたの」
「数えてた」
江口は起き上がって、両手を上げた。
「おれ、八十分の男だわ!」
「八十分の男だ」
「言い方おかしいけど、まあいいや」
江口はそのまま、味方の一人ずつに同じ報告をして回った。三人目で「それ、さっき聞いた」と言われていた。
帰りの道で、江口はまだその話をしていた。
「東くん、おれ一年のとき、三本目で死んでたんだよ」
「その話、今日何回目だ」
「四回目」
「知ってて言ってるのか」
「知ってて言ってる」
走は笑った。
江口は満足そうに、もう一度同じ話を始めた。
走はその隣を歩きながら、聞いていた。
十二月の測定で、走は三ヶ月目の数字を見た。
一六九・〇センチ。
九月から、三ヶ月で一・五センチ。月にすると、五ミリ。
線の上に、ちょうど乗った。
走はその数字を、しばらく見ていた。
この数字は、継ぎ目が閉じたことを証明しない。伸びが緩んだことしか言っていない。閉じたかどうかは、中を見なければ分からない。
それでも、走は待つ材料を使い切っていた。
ノートに、走は書いた。
――解禁。ただし、証明ではない。
二行目を書いたのは、去年の八月の一行が同じページの綴じの向こうにあるからだった。
翌日から、走は増やしはじめた。
週に二・五キロ。それまでの倍のペースだ。
それでも、記録は追わなかった。
フォームが崩れる一歩手前で止める。三分の休憩も変えなかった。
その二つだけは、この三年、走が自分に課したまま置いてある。
置いてあるが、一度は外している。
外した日のことを、走は十二月の夜にもう一度だけ思い出して、それからノートを閉じた。




