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『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第五章 降りなかった者たち

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第96話 幕間・アカネ ~いないのと同じ~

 その日の後半、アカネは完璧に抜けた。


 相手の最終ラインが一歩上がった、その内側。走り出しの角度も、速さも、置きどころも合っていた。声も出した。名前を呼んだ。


 ボールは、逆サイドへ運ばれた。


 アカネは走るのをやめて、歩いて戻った。


 戻りながら、自分の中で数えた。今日、これで四回目だ。


 責める気にはならなかった。


 いまのアカネにパスを出さない判断を、昔のアカネならいちばん先に下している。


 それが分かることが、いちばんきつい。


 試合の終わりぎわに、ケンジが横を通った。


「アカネちゃん、さっきの抜け出し、めっちゃよかった」


「出てないけどね」


「あー……」


 ケンジは本気で困った顔をした。困った顔のまま、続けた。


「おれ、見えてなかったわ。ごめん」


「いいよ。見えてないのはあんただけじゃないし」


 言ってから、少しきつかったかと思った。


 ケンジは気にしていない顔で「次は見る」と言って、走っていった。


 次は見る、と言った人が、去年からもう何人もいる。


 試合が終わって、アカネはベンチに座ったまま、しばらく立てなかった。


 悔しいのに、悔しがる資格が薄い。動けている。走れている。ただ、ボールが来ないだけだ。


 こういう日が、この秋はもう何度もあった。


 それでも、アカネの眼だけは動いていた。


 ベンチから見ると、ピッチの全部が見える。


 誰がどこで足を止めるか。誰が声を出さないか。前半の三十分で、どのあたりから走り方が変わるか。


 去年の秋からノートに書いてきたことが、今年は書く前に見えるようになっていた。


 その日、アカネはひとつ気になるものを見つけた。


 一年の細い子だった。


 三本目の上下動から、着地の音が変わる。左だけが重い。本人は普通に走っているつもりでいる。


 去年のアカネなら、ここで止まっていた。


 理由が言えないから、言えない。危ない気がする、では誰も動かない。


 今年は、そこで止まらなかった。


 試合後、アカネは顧問のところへ行った。


「先生」


「おう」


「一年の相田(あいだ)くん、後半の三本目から左の着地の音が変わってました。今日だけじゃなくて、先週の練習でもです」


 顧問は「へえ」という顔をした。


「原因は分かるの」


「分かりません」


 アカネは言った。


「分からないんですけど、回数だけ数えました。今日で三回目です」


 顧問はしばらくアカネを見て、それから手帳を出した。


「回数、言って」


 アカネは日付を三つ言った。顧問はそれを書き取って、「見とく」と言った。


 それだけだった。


 それだけだったが、アカネは自転車を漕ぎながら、ずっとそのことを考えていた。


 理由が言えなくても、数えたものは渡せる。


 去年、松葉杖の一年を廊下で見たとき、アカネは何も渡せなかった。


 今日は、三つの日付を渡した。


 家に帰って、アカネはノートを開いた。


 一冊目は、去年の秋に始めたものだ。表紙には何も書いていない。


 最初のページの、同学年の男子の名前の横。


 ――後半十五分で落ちる。前日の量に比例。


 去年のアカネが書いた一行だ。


 書いたときは、なぜかが分からなかった。


 いまは、半分だけ分かる。


 図書館で借りた本に、疲れた筋肉が力を戻すまでの時間の話があった。前の日に使いすぎると、翌日は戻り切らないまま始まる。戻り切らない状態で始めた身体は、同じ距離を走るのに余計な燃料を使う。


 だから、後半に早く落ちる。


 アカネはその一行の下に、小さく書き足した。


 ――前の日に戻り切ってないから。


 書いてから、しばらくそのページを見ていた。


 一年前の自分に、返事を書いた気分だった。


 二冊目のノートには、新しい問いが増えている。


 ――戻り切るまでに、何時間いるのか。


 ――食べる時間と量で、その何時間かは変わるのか。


 ――そもそも「戻り切った」は、どうやって測るのか。


 三つ目のところで、アカネのペンが止まった。


 これは、五冊では分からない。


 図書館の棚には、まだ読んでいない列がある。読んでいない列を思い浮かべると、胸のあたりが少し落ち着かなくなった。


 早く、日曜が来ればいい。


 アカネはノートを閉じた。


 閉じてから、鞄の横のスパイクを見た。


 明日も練習がある。


 ボールは、たぶん来ない。来ても収まらない。


 それでも、明日も蹴りたい、とアカネは思った。


 それは調べたい気持ちとは別のところにあって、どちらも同じくらいはっきりしていた。


 二つあることを、アカネはまだうまく並べられない。


 並べられないまま、アカネはスパイクの紐を結び直して、鞄の口を閉じた。

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