↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/140

第9話 勝てないチーム

 その大会のことを教えてくれたのは、田口の爺さんだった。


 夏になると、名古屋や岐阜の市内で、少年たちの小さな大会が開かれるのだという。四人ずつでやる、小さなコートの試合。腕試しに出てみたらどうだ、と。


「行きたい!」


 真っ先に手を挙げたのは、アカネだった。


「あたし、この辺のやつらとしか、やったことないもん。よそのやつら、どんだけ強いのか、見てみたい」


 こうして、五人は――走、アカネ、タケル、ケンジ、そして交代要員のハルは――親たちに車を出してもらい、初めて、"外の世界"へ出ることになった。桐生だけは、まだ脚が治らない。一緒に連れて行くことにしたが、出るのは、あくまで見学だった。


   *


 名古屋の会場に着いて、走はまず、その規模に圧倒された。


 整備されたグラウンド。真新しいユニフォームの、都会の子供たち。コーチに引率され、統率のとれたアップをしている。空き地で、田口の古びたボールを蹴っていた自分たちとは、何もかもが違った。


「うわ、なんか、みんな上手そう」


 タケルが気圧されたように呟く。だが、アカネだけは、目を輝かせていた。


「上等じゃん。強いやつがいるほうが、面白い」


 そして――試合が始まると、走の戦術が、静かに機能しはじめた。


 走は最後尾に構えた。速さで前に出られない自分が、いちばん力を発揮できる場所。そこから、味方を動かす。「健、右に寄れ」「健司、その場を動くな」。空き地で、飽きるほど繰り返してきた"位置取り"の指示。それは、個々の技術で上回る相手を、組織の力で食い止める、走の設計だった。


 都会の子たちは、確かに、一人ひとりが上手かった。だが、バラバラだった。走の指示で正しく並んだ四人は、その個の力を、位置取りで相殺していく。相手のエースがドリブルで来ても、走が誘導し、二人がかりで囲んで奪う。


 一度、相手のいちばん上手い子が、中央を単騎で持ち上がってきた。走は慌てて詰めなかった。ただ、自分の片足を、わずかに内へ向ける。それだけで、相手は、走が"わざと開けておいた"外のコースへ、誘われるように流れていった。その先には、あらかじめタケルを待たせてある。挟まれた相手が、苦しまぎれに蹴り出したボールを、ハルがどんくさく身体で止めた。走の描いた線の上に、四人が正しく立ってさえいれば、都会のエースからでも、こうして一つ、ボールを取り上げられる。設計は、間違いなく、上のレベルでも通用していた。


 守れる。互角に、守れている。


 だが、走の眼にも、限界があった。


 相手の重心を、次の一手を、一人ぶんずつ読み続ける。それは、想像以上に、消耗した。試合の後半、こめかみの奥が、鈍く痺れはじめる。集中が切れた一瞬、走は相手のエースの切り返しを、初めて読み違えた。あわてて足を出すが、届かない。危うく、失点しかけた。


 ――そうだ。この眼も、万能じゃない。凝らせば凝らすほど、燃料を食う。今のこの身体では、九十分、視続けることすら、できやしない。


 それでも、走は歯を食いしばって、また眼を凝らした。都会の子たちの、洗練された技術。整然としたベンチ。自分たちとの、あまりにも大きな隔たり。この差の、さらにずっと先に、走がいつか立つと決めた場所がある。今はまだ、名前をつけることもできない、遠い、遠い場所が。気が遠くなるほど、遠い。だが、そこへ行くと決めた。ならば、今日のこの一試合から、逃げるわけにはいかなかった。


 だが――問題は、その先だった。


   *


 守れても、点が、取れない。


 奪ったボールを、アカネに預ける。アカネは無論、規格外だった。一人で二人、三人と抜き去り、ゴール前まで持ち込む。だが、そこから先が、続かない。アカネが囲まれたとき、彼女に続いて飛び出す、二人目、三人目の"才能"が、いなかった。


 タケルも、ケンジも、ハルも、守るのに精一杯で、攻撃で違いを作れるほどの技術は、まだない。結局、点を取れるのは、アカネの個人技だけ。そして、都会の強豪は、そのアカネを、複数人で厳重にマークしはじめた。


 ――決定力が、足りない。


 走は最後尾で、歯噛みした。設計は、機能している。守備は、通用している。だが、勝つためには、最後にゴールを割る"才能"が要る。そして、それだけは、位置取りでは、どうにもならなかった。


 スタンドから、その試合を、桐生が食い入るように見ていた。


 自分の脚さえ、動けば。桐生の握った拳が、震えていた。かつての自分なら、アカネが引きつけた守備の、その裏に飛び出せる。決定的な一点を、決められる。この五人に足りない"最後のピース"は、ほかならぬ、自分なのに。


「……俺が、出れば」


 桐生が無意識に、呟いていた。


 その呟きは、隣に座っていた走の耳に、確かに届いた。走は桐生のほうを見ずに、静かに言った。


「焦るな」


「でも、走、俺なら……!」


「今、無理して走ったら、お前は、一生走れなくなる。この一試合のために、これからの全部を捨てるのか」


 桐生がぐっと、言葉を詰まらせた。走の言うことは、正しい。正しいと、分かっている。だが、目の前で、仲間が、あと一歩のところで勝てずにいる。その光景は、桐生の胸を、焼けつくように、締めつけた。


 正しさと、勝ちたさ。走の"科学"と、桐生の"才能"が、このとき、初めて、静かにすれ違った。


   *


 試合終了の笛が、鳴った。


 スコアは、〇対〇。だが、勝ち上がりを決めるのは、PK戦だった。そして――アカネ一人に頼った四人は、そのPK戦で、力尽きた。


 あと一点が、どうしても、遠かった。


 走は、蹴っていない。最後尾の走に、順番は回らなかった。それでいいはずだった。


 悔しかった。蹴ってもいないのに、悔しかった。


 両手が、勝手に握られていた。爪が手のひらに食い込んで、開くのに、少し時間がかかった。まだ小さい手だった。六十八年ぶんの分別が、その手には、届いていなかった。


 うなだれる四人。ただ一人、アカネだけが、悔しさに唇を噛んで、まだ前を睨んでいた。そして、スタンドでは、桐生が震える拳を、握りしめたままだった。自分がいれば、と。その思いだけが、行き場を失って、彼の中で、渦を巻いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。