↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第五章 降りなかった者たち

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
89/140

第89話 上では標準

 その日の練習で、背番号が配られた。


 用具係の二年が、段ボールから一枚ずつ出して名前を読み上げる。走の番が来た。


「東さん」


「はい」


 渡されたのは、二番だった。


 走はそれを、しばらく手の中で見ていた。


 布の厚みも、生地に縫い込まれた糸の目も、二年前と同じだ。違うのは、数字が一つ減っていることだけだった。


 二十二番は、走のほうが覚えられる側の番号だった。


 二番は、違う。


 右サイドバックの番号だ。名簿を見なくても、この番号を着ている人間がどこに立つかを、誰でも知っている。


 場所が、番号のほうに書いてある。


 走は着替えのとき、胸の紋章を一度だけ指でなぞった。


 二年前、ガラスの扉の外から見た形だ。


 消灯のあと、走は机の灯りだけをつけた。


 引き出しから、中一の十二月のノートを出す。


 ――刈り取る手。


 その下に、当時の走が要素を三つ書いている。体重。地面を押す力。当たる直前に身体を固める速さ。


 三つのうち、当時できたのは三つ目だけだった。


 いま、三つとも揃っている。


 走は新しいページに書いた。


 ――五月十九日。刈り取る手、獲得。


 書いてから、しばらくそれを見ていた。


 二年ぶんの行が、この一行に集約されている。


 走はその満足を、そのまま少し置いておいた。


 置いておいてから、ペンを持ち直した。


 その下に、もう一行足した。


 ――上では標準。


 書いた瞬間に、胸のあたりが少しだけ冷えた。


 書いたのは事実だからだ。


 空になった相手からボールを奪う。この年代では、走にしかできない形かもしれない。だが上のカテゴリーでは、それは特別なことではない。


 黒木岳は、走が削り切っても平然と立っていた。あれが上へ行くときの、標準の身体だ。


(――また、これか)


 走はそれを、三度目に思った。


 一度目は、中一の四月だった。


 高山で積んだものは、名古屋でも通じた。入団して十日目に対面を抑えたのも、紅白戦で岳の脚を一度だけ間に合わなくしたのも、あの空き地で覚えた読み方だ。


 通じた。通じたのに、席は来なかった。


 一人で四人を管理する読み方は、十一人の中では一枚ぶんにしかならない。通じることと、勘定に入ることは別だった。


 二度目は、九十分落ちない身体だった。


 中一の走にとって、それは唯一の武器だった。財前にも岳にも勝てないなかで、それだけが走の手にあった。


 中二の秋に、それは武器のまま勝ちに繋がった。だがカップ戦の相手の左ウイングも、八十分は走っていた。上へ行けば、落ちないことは前提になる。


 そして今日、三度目だ。


 刈り取る手を手に入れた瞬間に、走はそれが上では標準だと知っている。


 走はペンを置いて、天井を見た。


 これは、たぶん一生続く。


 走が何かを手に入れると、その瞬間に、それが次の階では前提条件になる。


 登った天井が、次の階の床になる。


 床になるということは、足をつけて立てるということでもある。


 高山で覚えた読み方は、消えていない。九十分落ちない身体も、なくなっていない。全部、いまも走の脚の下にある。その上に、今日また一枚積んだ。


(……終われないな、これ)


 走はその形を、はっきり理解した。


 理解して、少し笑った。


 嫌な気持ちではなかった。


 前の生の走は、終わらされた。


 まだ走れるのに、確かめる前に蓋をされた。あのとき走の天井は、他人が決めた。


 いまは違う。


 走の天井は、走が登るたびに上がっていく。上がるから、終わりが来ない。


 終わりが来ないというのは、途中で終わらないということでもある。


 走が前の生でいちばん欲しかったのは、それだった。


 走はノートを閉じかけて、もう一行だけ足した。


 ――中三のうちに、次を見つける。


 刈り取る手の次に、何が要るか。


 走にはまだ分からなかった。


 分からないのは、走がまだそこへ行っていないからだ。上のカテゴリーに立って、そこで通用しないものを一つずつ数えるまで、次の設計は書けない。


 だから、まず上がる。


 上がることが、次の設計図を書くための条件になっている。


 早く上がりたい、と走は思った。


 翌朝、走は江口と食堂で会った。


 江口は三年になっても江口だった。相変わらずよく喋り、朝はいつも最後に起きてくる。


「東くん、昨日の紅白戦、あの三年から獲ってたよな」


「見てたのか」


「見てた見てた。あれ、すごくない?」


 走は少し考えた。


 すごくない、と言いかけて、やめた。


「……うれしかった」


「え」


「二年狙ってた。中一の十二月から」


「まじで」江口はパンを持ったまま固まった。「そんな前から?」


「そんな前からだ」


「うわ、こわ」


 江口は笑って、それから言い直した。


「いや、こわくないわ。……いいじゃん、それ」


「何がだ」


「うれしいって言うの、いいじゃん。東くん、あんま言わないし」


「言った」


「聞いた」


 江口はパンをかじって、それから「おれ二年とか覚えてらんない」と言った。


 走も小さく笑った。


 この男は、そのままでいい。


 その日の練習で、走は右サイドバックに立った。


 三年になって、この席は走のものになっている。


 背中には、二番があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。