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『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第五章 降りなかった者たち

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第87話 三年目

 三月の終わりに、ユース昇格が発表された。


 三年三十人のうち、上がったのは六人だった。


 右サイドバックの先輩の名前は、なかった。


 発表の紙が貼られた廊下に、走は行かなかった。行っても意味がないからだ。誰が上がったかは、走が見なくても、その日のうちに全員が知る。


 夕方、走は用具室でボールを片付けていた。


 去年の秋に、あの人と二人になった場所だ。


 あの日、この人は「おれは上がらん」と言った。うすうす分かっていた、とも言った。分かっていたことが、今日、紙になった。


 走はボールを籠へ入れながら、自分の手が少し止まっているのに気づいた。


 走はこの一年、あの席を取りにいった。


 取った。


 そして今日、あの人はここを出ていく。


 走が取ったから出ていくのではない。走がいなくても、あの人は上がれなかった。それは分かっている。分かっていて、走は自分の中の何かが片付かないままなのを感じた。


 走が一年半で覚えたことの一つは、正しさが誰かを傷つけるということだった。


 小六の準決勝で、リクを守った。守って、リクの中に二年半消えない澱を作った。


 今年、右の席を取った。取って、あの人の最後の一年を短くした。


 どちらも正しかった。


 正しくても、片付かない。


 片付けようとするのが、たぶん間違っている。


 四月になった。


 新しい一年が入ってきて、走は三年になった。


 二〇三号室に、走と財前と江口が残った。三人とも、去年と同じベッドで寝ている。


 朝の食堂で、走はまた列の端に座っている一年の隣に座った。


 二年前、走がそこにいた。


 去年、走は隣に座って、飯の話しかしなかった。


 今年もそうした。


 違うのは、座るまでに迷わなかったことだ。


 去年は、盆に持っていく皿を選ぶふりをして、三十秒立っていた。今年は、空いている席がそこにあったから座った。


 その一年生は、走を見て少し固まってから、「おはようございます」と言った。


「おはよう」


「……あの、東さん、ですよね」


「東だ」


「背番号2の」


「まだ配られてない」


「あ、そうですか」


 それで会話は途切れた。


 途切れたまま、走はその隣で味噌汁を飲んだ。


 去年の走なら、この沈黙を数えていた。今年は数えなかった。


 数えないことが、走にとっての一年ぶんの差だった。


 新シーズンの初戦のメンバー表が貼られた朝、走は輪の後ろからそれを見に行った。


 右サイドバックの欄に、東走と書いてあった。


 走はその名前を、しばらく見ていた。


 二年かかった。


 去年の四月、走は同じボードの前で同じ場所を探して、そこに自分の名前がないことを知った。


 あのとき走は、視界の端が冷えた。


 今日は、冷えなかった。


 かわりに、腹の底が温かくて、同じくらい重かった。


 欲しかったものを、手に入れた。手に入れたということは、ここから先、右で起きたことは全部走のものになるということだ。


 海が隣に立った。


「取ったな」


「……はい」


「一年遅かったな」


「はい」


「その一年で、お前は何を積んだ」


 走はその問いに、少し考えてから答えた。


「九センチと、八キロです」


 海は短く笑った。


 この男が声を出して笑うのを、走は初めて聞いた。


「上等だ」


「氷室さんは」


「八センチ。体重は聞くな」


「聞きます」


「三キロだ」


「少ないですね」


「お前、いま俺に喧嘩売ったか」


「事実です」


「食え、って言うんだろ」


「食ってください」


「言うと思った」


 海は行きかけて、振り返った。


「一六三か」


「三です」


「まだ抜かれてるぞ、俺に」


「抜きます」


「抜け」


 その日の練習後、走はグラウンドの端に立った。


 二年前、走はここで隣のピッチを見た。


 中三の実戦をやっていて、その中に岳がいた。走はその背中を見て、眼中に無いという言葉の重さを受け取った。


 いま、そのピッチには誰もいない。


 岳はユースにいる。二年目だ。上ではあの身体が標準になる。あの人がいまどうしているかを、走は知らない。


 次はユースで待ってる、と言われた。


 あと一年で、走はそこへ行く。


 行けるかどうかは、この一年で決まる。


 走はノートを開いた。


 中三の四月の行を書いた。


 ――一六三センチ。五三キロ。


 その下に、走はこの一年でやることを書いた。


 一つ。右サイドバックとして、八十分を通しで戦う。


 二つ。継ぎ目が落ち着くのを待って、秋から本格的に負荷を上げる。


 三つ。空にした相手から、ボールを奪う。


 三つ目のところで、走はペンを止めた。


 中一の十二月に、走は同じことを書いた。


 ――刈り取る手。


 あれから一年四ヶ月、走はまだそれを持っていない。カップ戦で相手を削り切ったとき、走が奪ったのは燃料だけだった。ボールを奪ったのは、走ではなく味方だった。


 削るところまでは、できる。


 最後の一手は、まだ他人に渡している。


 走はその行の下に、線を引いた。


 ――今年、自分で獲る。


 窓を開けると、四月の名古屋の風が入ってきた。


 高山より二週間ぶん早い春だ。二年前、走はこの街の匂いに戸惑った。いまはもう、戸惑わない。


 この一年で、走は右の席を手に入れた。


 走はページを伏せて、電気を消した。


 三年目が始まる。

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