↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
83/140

第83話 臆病

 十二月に、青嵐との練習試合が組まれた。


 カップ戦のあと、走は右サイドバックで使われるようになっていた。先発ではない日もある。だが、後半から入る順番は、走が最初になった。


 この日、走はメンバー表の右に自分の名前を見つけた。


 中二の主力の並びで先発に入るのは、これが最初だった。


 一年八ヶ月かかった。


 先月の試合で、走は二十分立っているだけで終わった。鬼塚に「来なけりゃ手ぶらだ」と言われて、走はその夜、初めて自分の設計の外側を書いた。


 ――上がる。来させるために。


 今日、それを試す。


 そしてもう一つ、走には今日が待ち遠しい理由があった。


 八十分、リクと向き合える。


 新人戦のときは、後半にリクが左へ回ってきて、二十分だけだった。今日は最初からだ。


 整列で、走はリクと目が合った。


 一年二ヶ月ぶりだった。


 リクは背が伸びていた。走より高い。肩の幅も、走の一段上にある。青嵐の紋章が、その胸で新しく見えた。


「走」


 リクが笑った。


「先発? やるじゃん」


「……ああ」


「じゃあ、八十分あるな」


「ある」


 走はそう返した。


 返してから、自分の声が少し弾んでいたことに気づいた。


 リクの言い方には、それとは別のものが混じっていた。


 混じっていることは分かったが、正体は掴めなかった。


 前半の五分で、リクが右へ来た。


 走の前だ。


 リクは仕掛けてこなかった。ボールを持って、走の間合いの手前で止まった。


 止まって、こちらを見た。


「なあ、走」


「……」


「お前、ここで来ないだろ」


 走は黙っていた。


 答える必要がなかった。リクの言っていることは、事実だからだ。


 走は前半、自分から奪いに行かない。相手の進路を消して、外へ運ばせる。奪うのは、相手の脚が落ちてからだ。


「そういうとこだよ、お前」


 リクは笑って、内へ切れ込んだ。


 三十分に、青嵐が先制した。中央を割られて、ソラのいない前線でも一点は取れた。


 〇対一。


 リクは走を抜くたびに、抜き方を選んだ。


 走の左は空いている。走の脚では追えない。そこを使えば、リクは何度でも楽に抜ける。


 リクはそこを使わなかった。


 毎回、走が閉じている側から来た。閉じた蓋の上を、身体をねじ込んで押し通した。技術と勇気と力で、走の設計を正面から踏み越えていく。


 走は三本抜かれた。三本とも、いちばん難しい道を通されていた。


(――こいつ、俺の読みの上だけを来る)


 走にはそれが分かった。


 新人戦のときと同じだ。あのときより、意志がはっきりしている。


 止めたい、と走は思った。


 抜かれるたびに、その気持ちが濃くなっていく。三本目のあと、走は自分の太腿を一度叩いた。


 三十分過ぎに、リクが言った。


「走。お前さ、俺の脚、まだ数えてんの」


 走は初めて、リクの声に混じっているものを聞き取った。


 挑発ではない。


「数えてる」


「やっぱりな」


 リクは吐き捨てるように言った。


「昔からそうだよ、お前。人の脚ばっかり見て、あと何本走れますとか言って、止めてくる」


「……」


「小六のときもそうだった」


 走の中で、何かが冷たくなった。


 準決勝だ。走がリクを下げた試合。


「あのとき俺、まだ走れたんだよ」


 リクは走を見ていなかった。前を向いたまま言った。


「お前が視て、下げた。正しかったんだろ。俺の脚は残ったし、いまも走れてる。……感謝してる。ほんとに」


 リクは、そこで一度だけ言葉を切った。


「してるからさ。……言えないんだよ」


 走は動けなかった。


「あのとき出てたら勝ってたかも、って。恩人に、言えるかよ」


 リクは走の前で腰を落とした。


「だから、こっちで言う」


 仕掛けてきた。


 四本目も、走は抜かれた。


 同じだった。走が閉じた場所を、力で押し通された。


 肩がぶつかって、走の身体が芝へ飛んだ。


 起き上がりながら、走はいま聞いたことを、頭の中で並べ直していた。


 夏の終わりの空き地で、リクは「すげー、悔しい」と言った。あれは、言えたことだ。


 言えなかったほうが、二年半、この男の中に残っていた。


 走が視て、走が止めて、走が守った。そのおかげで、この脚はいまここにある。だから文句が言えない。


 言えないものが、この抜き方になった。


 走の設計を、走の読みの真ん中で、力ずくで踏み越える。


 それがこの男にできる、唯一の言い方だった。


 走は自分の判断を、もう一度見直した。


 あのとき下げたのは、正しかった。下げなければ、この脚はここにない。それは動かない。


 動かないのに、これも残った。


 正しかったからこそ、リクは怒れなかった。


 怒れない怒りは、消えない。行き場のないまま、身体の中で形を変えて残る。


 走は前の生で、それを知っている。


 父の判断も、たぶん正しかった。だから走は、六十八年、それを恨みつづけた。恨みながら、恨む資格がないことも知っていた。


 同じものを、走はリクの中に作った。


 治したことが間違いだったのではない。治したあとに、この話をする場所を作らなかった。


 その二つは、別の失敗だった。


 前半の終わりに、リクがもう一度こちらへ来た。


 走は今度、下がらなかった。


 いつもなら、進路を消して外へ運ぶ。この日は、正面から間合いを詰めた。


 届く間合いだった。無理な距離ではない。走の身体は、二年前とは違う。


 リクが仕掛ける。走が入る。肩がぶつかる。


 二人とも倒れた。


 ボールは外へ出た。


 起き上がったリクが、少し驚いた顔をしていた。


「……お前、いま来たな」


「来た」


「なんで」


「止めたかった」


 走はそう答えた。


 設計ではなかった。相手の脚を数えた結果でもない。


 目の前の一人に、勝ちたかった。それだけだ。


 リクは走を見て、それから、口の端を上げた。


 今日いちばん、素直な顔だった。


「そういうのも、できるじゃん」


「できる」


「じゃあ、後半もやれよ」


「やる」


 笛が鳴った。前半が終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。