第83話 臆病
十二月に、青嵐との練習試合が組まれた。
カップ戦のあと、走は右サイドバックで使われるようになっていた。先発ではない日もある。だが、後半から入る順番は、走が最初になった。
この日、走はメンバー表の右に自分の名前を見つけた。
中二の主力の並びで先発に入るのは、これが最初だった。
一年八ヶ月かかった。
先月の試合で、走は二十分立っているだけで終わった。鬼塚に「来なけりゃ手ぶらだ」と言われて、走はその夜、初めて自分の設計の外側を書いた。
――上がる。来させるために。
今日、それを試す。
そしてもう一つ、走には今日が待ち遠しい理由があった。
八十分、リクと向き合える。
新人戦のときは、後半にリクが左へ回ってきて、二十分だけだった。今日は最初からだ。
整列で、走はリクと目が合った。
一年二ヶ月ぶりだった。
リクは背が伸びていた。走より高い。肩の幅も、走の一段上にある。青嵐の紋章が、その胸で新しく見えた。
「走」
リクが笑った。
「先発? やるじゃん」
「……ああ」
「じゃあ、八十分あるな」
「ある」
走はそう返した。
返してから、自分の声が少し弾んでいたことに気づいた。
リクの言い方には、それとは別のものが混じっていた。
混じっていることは分かったが、正体は掴めなかった。
前半の五分で、リクが右へ来た。
走の前だ。
リクは仕掛けてこなかった。ボールを持って、走の間合いの手前で止まった。
止まって、こちらを見た。
「なあ、走」
「……」
「お前、ここで来ないだろ」
走は黙っていた。
答える必要がなかった。リクの言っていることは、事実だからだ。
走は前半、自分から奪いに行かない。相手の進路を消して、外へ運ばせる。奪うのは、相手の脚が落ちてからだ。
「そういうとこだよ、お前」
リクは笑って、内へ切れ込んだ。
三十分に、青嵐が先制した。中央を割られて、ソラのいない前線でも一点は取れた。
〇対一。
リクは走を抜くたびに、抜き方を選んだ。
走の左は空いている。走の脚では追えない。そこを使えば、リクは何度でも楽に抜ける。
リクはそこを使わなかった。
毎回、走が閉じている側から来た。閉じた蓋の上を、身体をねじ込んで押し通した。技術と勇気と力で、走の設計を正面から踏み越えていく。
走は三本抜かれた。三本とも、いちばん難しい道を通されていた。
(――こいつ、俺の読みの上だけを来る)
走にはそれが分かった。
新人戦のときと同じだ。あのときより、意志がはっきりしている。
止めたい、と走は思った。
抜かれるたびに、その気持ちが濃くなっていく。三本目のあと、走は自分の太腿を一度叩いた。
三十分過ぎに、リクが言った。
「走。お前さ、俺の脚、まだ数えてんの」
走は初めて、リクの声に混じっているものを聞き取った。
挑発ではない。
「数えてる」
「やっぱりな」
リクは吐き捨てるように言った。
「昔からそうだよ、お前。人の脚ばっかり見て、あと何本走れますとか言って、止めてくる」
「……」
「小六のときもそうだった」
走の中で、何かが冷たくなった。
準決勝だ。走がリクを下げた試合。
「あのとき俺、まだ走れたんだよ」
リクは走を見ていなかった。前を向いたまま言った。
「お前が視て、下げた。正しかったんだろ。俺の脚は残ったし、いまも走れてる。……感謝してる。ほんとに」
リクは、そこで一度だけ言葉を切った。
「してるからさ。……言えないんだよ」
走は動けなかった。
「あのとき出てたら勝ってたかも、って。恩人に、言えるかよ」
リクは走の前で腰を落とした。
「だから、こっちで言う」
仕掛けてきた。
四本目も、走は抜かれた。
同じだった。走が閉じた場所を、力で押し通された。
肩がぶつかって、走の身体が芝へ飛んだ。
起き上がりながら、走はいま聞いたことを、頭の中で並べ直していた。
夏の終わりの空き地で、リクは「すげー、悔しい」と言った。あれは、言えたことだ。
言えなかったほうが、二年半、この男の中に残っていた。
走が視て、走が止めて、走が守った。そのおかげで、この脚はいまここにある。だから文句が言えない。
言えないものが、この抜き方になった。
走の設計を、走の読みの真ん中で、力ずくで踏み越える。
それがこの男にできる、唯一の言い方だった。
走は自分の判断を、もう一度見直した。
あのとき下げたのは、正しかった。下げなければ、この脚はここにない。それは動かない。
動かないのに、これも残った。
正しかったからこそ、リクは怒れなかった。
怒れない怒りは、消えない。行き場のないまま、身体の中で形を変えて残る。
走は前の生で、それを知っている。
父の判断も、たぶん正しかった。だから走は、六十八年、それを恨みつづけた。恨みながら、恨む資格がないことも知っていた。
同じものを、走はリクの中に作った。
治したことが間違いだったのではない。治したあとに、この話をする場所を作らなかった。
その二つは、別の失敗だった。
前半の終わりに、リクがもう一度こちらへ来た。
走は今度、下がらなかった。
いつもなら、進路を消して外へ運ぶ。この日は、正面から間合いを詰めた。
届く間合いだった。無理な距離ではない。走の身体は、二年前とは違う。
リクが仕掛ける。走が入る。肩がぶつかる。
二人とも倒れた。
ボールは外へ出た。
起き上がったリクが、少し驚いた顔をしていた。
「……お前、いま来たな」
「来た」
「なんで」
「止めたかった」
走はそう答えた。
設計ではなかった。相手の脚を数えた結果でもない。
目の前の一人に、勝ちたかった。それだけだ。
リクは走を見て、それから、口の端を上げた。
今日いちばん、素直な顔だった。
「そういうのも、できるじゃん」
「できる」
「じゃあ、後半もやれよ」
「やる」
笛が鳴った。前半が終わった。




