↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
82/140

第82話 来ない相手

 カップ戦の次の試合で、走はまた後半から出た。


 先発ではなかった。


 鬼塚は右サイドバックに、あの三年を先発で使った。走の交代は、後半の二十分だった。


 二対〇でリードしている場面だった。


 走はピッチに入って、いつもどおり対面を測った。


 中三の左ウイング。速くはない。体格は普通。前半に二度、こちらの右を仕掛けて、二度とも止められている。


(――削れる)


 走はそう判断した。


 外を半歩空けて、餌を見せる。相手が縦へ出れば、走はその行き先を潰す。何本か繰り返せば、脚は落ちる。


 走は、その形を作った。


 相手は、来なかった。


 最初の五分、走の側にボールが一度も来なかった。


 十分経っても来なかった。


 相手は逆サイドからしか攻めてこない。走の対面は中央へ寄って、そこでボールを受け、そのまま向こうへ流す。


 走の前には、誰も立たなかった。


(――来ない)


 当たり前だった。


 二対〇で負けているチームが、堅い側から攻める理由はない。相手のコーチが走を見て判断したのかもしれないし、単に逆のほうが崩しやすかっただけかもしれない。


 走はボールが切れた合間に、財前のところへ寄った。


 去年の秋、走はこの男に五メートル寄ってもらったことがある。頼めば動く。それは分かっている。


「財前」


「なんだ」


「右に、誰も来ない」


「見てる」


「俺が前に出る。裏を」


「無理だ」


 財前は前を向いたまま言った。


「九番、俺が付いてる。離れたら中央が空く」


 走は相手の九番を見た。


 一八〇近い。今日はそれ一枚に放り込む形で押してきている。財前が五メートル動けば、その一発で終わる。二点を守っているチームの中央は、動かせない。


「分かった」


「悪いな」


「いや」


 走は自分の位置へ戻った。


 去年できた頼み方が、今日は使えない。


 頼み方が悪いのではない。この日の十一人の並びでは、その手が成立しないだけだ。


 海はベンチにいた。走が上がって空けた裏を、黙って埋める人間が今日はいない。


 だから走は、右サイドに立っていた。


 二十分、立っていた。


 試合は三対〇で終わった。三点目は、後半の四十分にレオが決めた。走はそのプレーに、一度も触っていない。


 笛が鳴ると、レオが両手を上げて走ってきた。


「三点! おれ二点!」


「見てた」


「アズマ、なんか静かじゃない?」


「勝ったからいい」


 それは本当だった。


 三対〇は、いい勝ち方だ。前半のうちに二点取って、後半で締めた。鬼塚の言う「前半で折る」が、そのまま出た試合だった。


 チームが勝ったことが、走はうれしかった。


 うれしいまま、腹の底に別のものが残っていた。


 走がこの二十分でやったのは、右を閉じておくことだけだった。


 閉じておくのは、今日の仕事だった。二点を守る側で、財前は中央を離れられず、海はベンチにいる。走が上がって空けた裏は、その日の並びでは誰も埋められない。走はそれを確かめたうえで、上がらなかった。


 それは判断だ。


 判断は、数字には出ない。ボールに触った回数、四回。すべて味方への横パス。走行距離は、たぶん一・八キロ。


 勝った。守り切った。そのうえで、走の武器は一度も使われていない。


 三つは、同じ胸の中に並んで入っていた。


 ロッカーへ戻る途中で、鬼塚に呼ばれた。


「東」


「はい」


「今日、なにをした」


 走は、そこで少し考えた。


「右を閉じてました」


「それは見た」


 鬼塚は腕を組んだ。


「閉じるだけなら、去年の三年でもできる。おれが聞いとるのは、そこにお前が何を足したかだ」


「……何も、足していません」


「そうだな」


「先週は、お前が試合を動かした。今週は動いとらん。なぜだ」


「相手が、来なかったからです」


「来なけりゃ、何もできんのか」


 その一言が、走の中の何かを正確に突いた。


 鬼塚は続けた。


「お前の勝ち方は、相手の脚を借りとる」


 走は顔を上げた。


「相手が走って、相手が減って、そこをお前が拾う。先週はそれで勝ちを拾った。認める」


 鬼塚は言った。


「だがな。借りる相手が来なけりゃ、お前は手ぶらだ」


 鬼塚はそこで、一度だけ言葉を切った。


「今日は二点あった。二点あったから、お前は閉じとけばよかった。その判断は間違っとらん」


 走は顔を上げた。


「〇対〇でも、同じことを言うか」


 走は、何も言えなかった。


 言えなかったのは、その通りだったからだ。


 この一年半、走は自分の設計をずっと磨いてきた。


 餌の撒き方。間合いの詰め方。燃料の数え方。刈り取るための身体。


 どれも、相手が来ることを前提にしている。


 来ない相手には、一つも効かない。


 走はそれを、一度も考えたことがなかった。


「東。おれはな」


 鬼塚は言った。


「前半で流れを決める選手が欲しいと言った。覚えとるか」


「はい」


「あれは、飛ばせという意味じゃない」


 走は顔を上げた。


「相手に、こっちのやりたいことをやらせるという意味だ」


 鬼塚は言った。


「前半で流れを決めるってのは、相手に選ばせんことだ。お前は逆をやっとる。相手に選ばせて、選んだ先で待っとる」


 鬼塚はそこで、一度言葉を切った。


「待ってる奴は、来なけりゃ終わりだ」


 鬼塚はそれだけ言って、背を向けた。


 走はロッカーの前で、しばらく座っていた。


 一年半、この人に外され続けてきた。


 その理由を、走はずっと「思想が違うから」だと思っていた。今日勝ちたい人と、最後に勝ちたい人。時間軸の話だと、白石も言った。


 違った。


 この人は、走の設計の穴を、たぶん最初から見ていた。


 走の武器は受け身だ。相手が動いてくれてはじめて働く。相手が動かなければ、八十分、正しく立っているだけの選手になる。


 正しく立っているだけの選手は、リードがあるときには要る。今日は、実際に要った。


 〇対〇から試合を動かすには、それだけでは足りない。


 勝利至上主義の名将が、そういう選手を先発で使わない理由は、思想でも好みでもない。


 どちらの試合になるかを、先に決められないからだ。


 その夜、走はノートを開いた。


 書くことは、決まっていた。


 ――来ない相手には、効かない。


 書いてから、その下に長い時間をかけて、次の行を探した。


 来ないなら、来させるしかない。


 どうやって。


 走の頭に、一つだけ浮かんだものがあった。


 新人戦で、海に言われたことだ。


 ――お前が上がったら、その裏は俺が埋める。


 あのとき走は、上がるのは攻めるためだと思っていた。


 それだけではないのかもしれない。


 走が上がれば、相手は走の裏を狙いたくなる。狙いたくなれば、こちらへ来る。


(――上がるのは、呼び戻すためか)


 走はその一行を書いた。


 ――上がる。来させるために。


 書いてから、今日の財前を思い出して、もう一行足した。


 ――誰が裏を埋められるかは、その日の十一人で変わる。


 二行目のほうが、たぶん難しい。


 いままで走は、相手が来る場所に先回りしてきた。


 これからは、来る場所そのものを走が作って、そのうえで、その日の並びに合わせて誰が後ろを持つかまで組むことになる。


 十二月の第二週に、青嵐との練習試合が組まれていた。


 その日程を、走は十月から頭の隅に置いている。


 あの試合で試す。


 走はノートを閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。