↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
66/140

第66話 三分

 問題が起きたのは、三日目だった。


 その日、ウェイト場には二年が四人いた。走が入ったとき、すでに騒がしかった。誰かが記録に挑戦していて、周りが数を数えている。


 走は端の器具で、自分のメニューを始めた。


 十キロ。八回。そして、三分。


 ストップウォッチを見て、走は座っていた。


 一分が過ぎた。二分が過ぎた。


「東、終わった?」


 同学年の一人が声をかけてきた。


「まだです」


「え、座ってるじゃん」


「休んでます」


 その子は変な顔をして、行ってしまった。


 三分が経って、走は二セット目に入った。


 同じ重さ、同じ回数。


 力の出方が、一セット目とほとんど同じだった。それが確かめたかったことだ。


《自己所見/東 走・中二》

一セット目 ――― 十キロ、八回。

二セット目 ――― 同じ重さ、同じ回数、同じ出方。

結論 ――― 三分は、正しい。


 全力を出すための燃料は、休んでいるあいだに戻る。三分あれば、ほとんど戻る。二分で次に行くと、二本目は二本目にならない。同じ重さでも、身体の中で起きていることが違う。


 走はそれを、六十八年ぶんの知識として持っていた。


 問題は、それが外からは見えないことだった。


「東。お前、さっきから何してんの」


 三年の声だった。


 振り返ると、右サイドバックの先輩が立っていた。走がその席を狙っている相手だ。


「メニューをやってます」


「休んでばっかりだろ」


「三分空けてます」


「三分?」


 先輩は本気で分からないという顔をした。


「なんで」


 走はそこで、一秒だけ迷った。


 説明すれば、たぶん理解はされる。この人は馬鹿ではない。だが理解と納得は違う。この場所で「休むために休んでいる」と言えば、それは休む理由を上手に説明した子供にしかならない。


 眞鍋の言葉が頭に戻ってきた。


 言葉で言うと、走らない理由に聞こえるので。


「……効率が落ちるので」


 走はそれだけ言った。


「ふうん」


 先輩は少し笑った。悪意のある笑い方ではなかった。もっと悪いものだった。


「まあ、お前のペースでやれば」


 どうでもいい、という顔で、先輩は行ってしまった。


 走は三セット目を、いつもどおりやった。


 いつもどおりやれたが、腹の底は重かった。


 悔しい、と走ははっきり思った。あの人は走を敵だと思っていない。敵だと思われていないことが、いまはいちばん効いた。


 次の日から、走は少し早い時間に行くようになった。


 誰もいない時間だ。


 やることは同じだった。重さも、回数も、三分も変わらない。変えたのは、見られる場所を減らしたことだけだった。


 走はそれを、逃げだとは思わなかった。


 思わなかったが、少し嫌だった。


 誰もいない部屋で、走はバーを胸の前に構えた。


 構えると、腹の重さは一度どこかへ行った。持ち上げれば、力が腰を通って抜けずに上がる。それは昨日と同じだった。先輩が笑っても、この十キロの通り道は変わっていない。


 走はそこだけは、素直に面白かった。


 一週間後、鬼塚が通りかかった。


 走は三セット目のあいだの三分にいた。ストップウォッチを持って、座っていた。


 鬼塚は扉のところで足を止めた。


 走は立ち上がろうとして、やめた。立ち上がれば、三分が崩れる。


 二人はそのまま、十秒ほど動かなかった。


 鬼塚が口を開いた。


「休憩か」


「はい」


「長いな」


「三分です」


 鬼塚はしばらく走を見ていた。


 それから、何も言わずに行った。


 扉が閉まったあと、走はストップウォッチを見た。三分まで、あと四十秒あった。


 走は座ったまま、その四十秒を待った。


(――いま、また減点された)


 走はそう受け取った。


 あの人が走に求めているのは、最初の十分で流れを決める選手だ。その人の眼に、三分座っている中学二年生がどう映るか。


 走の前半の走り方と、いまの休憩は、外から見れば同じものだ。


 どちらも「出していない」。


 走は膝の上で指を組んで、待ちながら、数え直した。


 この部屋では、まだ一人だ。


 部屋の外は、そうでもない。去年の四月、走が何をしているか誰にも分からなかった日に、海だけが「根性じゃない、設計だ」と言った。今年の四月には、眞鍋が去年の四十分を全部表にして持ってきた。


 説明できない場所があるだけで、誰にも届いていないわけではない。


 順番の問題だ、と走は思った。


 走は三セット目を終えて、器具を片付けた。


 やめる理由には、ならなかった。


 三分空けなければ、二セット目は二セット目にならない。二セット目が本物でなければ、この十キロに意味がない。意味のない十キロを二百回やっても、走の身体は変わらない。


 変わらない身体で試合に出ても、走は勝ちを持ってこられない。


 勝ちを持ってこられなければ、あの人は絶対に動かない。


 順番はそうなっている。


 その夜、走はノートに書いた。


 ――三分。いまは、この部屋では説明しない。


 書いてから、少し考えて、その下に足した。


 ――説明できるようになるのは、勝ってからだ。


 走は電気を消して、布団に入った。


 去年、走は「言えない場所へ来て、言わずにやる方法を覚えた」と書いた。


 今年は、それだけでは足りない。


 言わずにやって、そのうえで、結果のほうから喋らせる。


 そこまで行かないと、この人には届かない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。