第47話 背番号
秋に、新人戦があった。
中一だけで組む、公式戦の入口のような大会だ。三年が抜けたあとの、来年のチームを占う試合。
番号が配られたのは、その一週間前だった。
用具係の二年が、段ボールから一枚ずつ出して名前を読み上げる。走の番が来た。
「東」
「はい」
渡されたのは、二十二番だった。
一番から順に、内部昇格の子たちが埋めている。セレクション組は最後だ。それは分かっていた。
分かっていて、走は受け取った手の中で、それをしばらく見ていた。
布は思ったより厚かった。番号は貼り付けではなく、生地に縫い込んである。二と二が並んでいる。紺と、白。指でなぞると、糸の目が少し盛り上がっていた。
クラブの紋章が、胸の左に入っていた。
四月のあの朝、ガラスの扉に銀色で貼ってあったのと、同じ形だ。あのとき走は扉の外にいて、内側の三人に唇を読まれていた。
いま、それが走の胸にある。
「東、どいて。次」
「……すみません」
走は列を外れた。
ロッカーで、走はそれを着た。
着てから、しばらく座っていた。
高山の空き地には、番号がなかった。誰も背中に何も書いていなかった。走が「今日はリクを走らせるな」と言えば、それでチームの方針になる場所だった。あそこには、紋章もなかった。杭が四本あっただけだ。
二百十四番は、三日で終わる番号だった。三百人のうちの一人を呼ぶためだけの数字で、誰も覚えていない。
二十二番は、違う。
これは、来年も同じ人間が着ける番号だ。
走は袖に腕を通したまま、一度、深く息を吸った。
「なにしてんの、お前」
財前が入ってきて、変な顔をした。
「着てる」
「見りゃ分かるわ。試合、来週だぞ」
「知ってる」
財前は自分の番号を、無造作に椅子の背へ放った。六年前から同じ紋章を着ている人間の手つきだった。
走は着替えてから、廊下でスマホを出した。
打ちかけて、消して、また打った。
――背番号、二十二番になった。
送ってから、走は自分のやったことに少し驚いた。
報告する必要は、どこにもない。母はこの番号が何番目に配られるものかを知らないし、知ったところで意味が分からない。
それでも、誰かに言いたかった。
返事は、夜に来た。
――どういう意味の番号?
意味は特にない、と返すと、しばらくして写真を送れと来た。走は着たところを鏡で撮って、番号が写るように向きを変えて、送った。
――大きくない?
大きい、と返した。
――そのうち合うでしょ。
走はその一行を、しばらく見ていた。
組み合わせ表を見て、走はもう一度、動けなくなった。
二回戦の相手が、青嵐だった。
(――リク)
リクは青嵐にいる。走はそれを知っていた。
知ってはいたが、こうして紙の上に「青嵐SC」と並んだ名を見ると、胸の奥が静かに鳴った。半年前まで、同じ空き地で味方として蹴っていた。あの右サイドの縦の線が、いまはラインの向こう側にある。
そしてその隣に、もう一つの名があった。
風間空。
走は指をその二文字の上で止めた。
小六の準決勝で、走の設計が一度もかすらなかった相手だ。あのときは、リクを下げた走が勝ちを捨てた。三月には、周りの三人を削りきって、ようやく三対二まで持っていった。それでも走は、この男を一度も止めていない。
一回戦の相手は、名古屋市内の強豪だった。
整列のとき、向こうの主将が、尾張の列を端から端まで眺めて笑った。
「ちっさいのばっかだな。今年の尾張、当たり年じゃないっぽい」
いちばん小柄な走の前で、その視線が、わざとらしく止まった。
走は、いつも通り答えなかった。
答えない理由は、腹が立たなかったからではない。腹は立った。ただ、この半年で走が覚えたことの一つが、言い返した瞬間に相手が身構えるということだった。
身構えられると、餌が効かなくなる。
なめられているうちは、相手はいちばん無警戒に走ってくれる。
かわりに、試合が答えた。
尾張の形は、四人の最終ラインの前に海を一枚置いた形だった。
右から走、財前。中央にもう一枚、大村。左は相馬。後ろには鷲尾が立っている。寡黙なキーパーで、声は少ないが、位置取りだけは正確だった。
海が中盤の底で相手の芽を先に摘む。走は最終ラインを一列ずつ動かして、穴を消していく。
この半年で、走はラインの上げ下げを、ようやく人並みにできるようになっていた。中央を見て、逆サイドを見て、自分の対面を見る。三つを回すと、まだ一つ落ちる。落ちる場所を、走は毎回、対面に決めていた。
対面を一瞬手放しても、いまの走なら間に合う。相手の癖はもう覚えている。
相手の主将が苛立って強引に持ち上がるたび、走の設計した網が、その足元を静かに狭めた。奪えば、前にはレオがいる。
三度、同じ形だった。走が右で相手を詰まらせ、海が一手で前へ通し、レオが決める。
二点目が入ったとき、レオが走のところまで走ってきた。
「アズマ! 今の、お前が取ったやつ!」
「取ったのは氷室だ」
「その前! 足出したの、お前だろ!」
レオが走の頭を両手で挟んで、ぐらぐら揺すった。走はされるままになっていた。
揺すられながら、走は笑っていた。
四点目のあと、財前が中央から走のほうへ拳を突き出してきた。走はそれに、自分の拳を合わせた。
物置でリクとやったのと、同じ形だった。
四対〇。
「……なんだよ、これ」
膝に手をついた主将が、整列のときとは違う顔で、そうこぼした。
走はその声を、ピッチの真ん中で聞いていた。
誰も派手なことはしていない。走が一人で目立ったわけでもない。十一人が正しい場所に立ち、正しい順で動いた。それだけで、格上を気取ったチームが、勝手に崩れていった。
(――これが、組織か)
空き地の六人では、決して見られなかった絵だった。
四対四なら、走は自分と、あと三人ぶんの身体を管理すればよかった。全部を頭に入れられた。
十一人は入らない。入らないのに、動く。
走が視ていない場所で、誰かが正しい位置へ入っている。走が知らないうちに、誰かの穴が埋まっている。四月の走は、それを「自分が全部視られていない」という欠落として数えていた。
いまは、少し違って見えた。
全部を視なくてもいい形が、十一人にはある。
それは走が一人で作れるものではなかった。
ロッカーで、財前が言った。
「お前、ライン遅れなくなったな」
「……ああ」
「気持ち悪いくらい合ってるよ、最近」
財前の褒め方は、いつもこうだ。
「財前の二歩目を見てる」
「は?」
「四月に、おれが出たら出ろって言われた。それから毎回、財前の二歩目を見てる」
財前は動きを止めて、走を見た。
「……毎回?」
「毎回だ」
「うっわ」財前はタオルを顔に押し当てた。「きっしょ」
「言ったのは財前だ」
「言ったけどさあ」
顔を出した財前は、笑っていた。走も笑った。
その夜、走はノートを開いて、日付の下に一行だけ書いた。
――二十二番。四対〇。
書いてから、しばらく見ていた。
二百十四番のときは、走のほうが番号を覚えていた。二十二番は、走のほうが覚えられる側の番号だ。誰かが名簿を見て、二十二番が誰かを確かめる。そういう番号だった。
まだ、誰も確かめていない。
明日の二回戦で、確かめる人間が一人だけいる。
走は電気を消した。
半年ぶりに、あの背中と正面から向き合う。今度は、味方としてではない。




