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『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第七章 右は、二人で一試合

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第139話 俺たちが、勝った

 十九番が、球をまたいだ。


 梶は動かなかった。そこまでは合っている。


 左足の外側が、球を縦へ押し出す。梶の足が出た。


 届かない。半歩、足りなかった。


 十九番が縦へ抜けていく。白線のすぐ内側だ。ベンチからは、二つの背中が同じ速さで遠ざかっていくのが見えた。


 左足が振られる。


 速い球がゴールの前を横切った。九番が飛び込む。額に当たった球は、枠の上へ飛んでいった。


 ゴールキックだ。


 スタンドが二度、続けて鳴った。抜かれたときと、枠を越えたときとで、鳴り方が違った。


 氷の袋が、走の足元に落ちていた。いつ落としたのかは、分からなかった。


「またいでからだ!」


 届いたかどうかは分からない。梶は振り返らなかった。


 鬼塚が一度だけ、走のほうを見た。何も言わずに、顔をピッチへ戻す。


 走は立ったままでいた。座れ、とは言われなかった。


「そこ! 替わったばっかりだ! 何本でも行け!」


 真ん中で、都築が手を振っていた。


 梶の背中が、その声のほうを一度向いた。向いて、すぐ戻った。


 財前が梶の肩を押して、何か言っていた。梶がうなずく。うなずき方が速すぎた。


   *


 二本目は、すぐに来た。


 十九番が受ける。白線に張りついたままだ。梶が距離を取った。


 またいだ。


 梶の足が、先に出ていた。左足の外側が球を押し出した場所に、その足がある。


 球が梶の足に当たって、内へ跳ねた。財前が拾って、大きく前へ蹴った。


「いまのだ!」


 走は叫んだ。喉の奥に、ざらついたものが残った。


 叫んでから、椅子の背をつかんだ。立っているのに、身体のほうが前へ行こうとする。


 白線の内側で、梶が片手を上げた。走にでも、財前にでもない。自分の立つ場所は、そこだと決めている手だった。


 眞鍋が隣で画面を見ていた。


「向こうのベンチ、二人立ちました」


「入るのか」


「立っただけです。いつ入るかは、分かりません」


「東さん」眞鍋が続けた。「いまの、東さんが教えたやつですか」


「梶がやった」


「東さん、座ってください」眞鍋が言った。「見えません」


「座らない」


「はい」


 三本目、十九番は球を止めたきりだった。またぎもしない。縦へも出ずに、球を後ろへ返した。


 梶も動かなかった。動かないまま、一歩だけ前へ詰めた。


 走の口から、息が漏れた。


 またげば止められる。またがなければ、出せない。


 内は、この男の足にない。


「十九! 内!」


 都築の声が変わった。十九番は、白線から離れなかった。離れられないのだ。


「一人入りました」眞鍋が言った。「回数は、あと二度です」


   *


 尾張が押し返しはじめた。


 海は真ん中から動かない。都築も、真ん中から出てこなかった。海が持っても詰めに来ない。中央で両手を広げて、そこに立っている。


 尾張の右の中盤が、内へ入って球を受けるようになった。右の外に、誰も立っていない時間ができた。


 梶が、海のほうへ何か言った。それから財前のほうへも言った。


 ベンチまでは何も聞こえない。口が動いたのが見えただけだ。


 財前が顎を引いた。海が一度だけ、梶のほうへ顎を振った。行け、に見えた。


 梶が上がった。


 速い。


 球が右へ出る。梶が受けて、そのまま縦へ運ぶ。相手の左サイドバックが追いつくより先に、梶はもう上げていた。


 クロスは高く上がって、相手のセンターバックの額に当たった。跳ね返った球が、中央まで戻っていく。落ちたところを、相手の中盤が拾った。


 梶は、まだ上がったままだった。


 相手が運んでくる。十九番が、空いた右へ流れてきた。


 財前が横へ出て、そこを埋めた。球を外へ蹴り出す。


「梶!」財前の声は、ベンチまで届いた。「戻れ!」


 梶が戻る。走は座らなかった。


 二本目のクロスは、その少しあとだった。


 海が中央で拾って、右へ出す。梶はもう走り出している。


 受けて、白線の際まで運んだ。相手の左サイドバックが並んだ。それでも梶は止まらなかった。


 ゴールラインの手前で、上げなかった。低く、後ろへ折り返した。


 相手のセンターバックは二人ともゴールの前にいた。上がってくる球を待って、下がっている。キーパーは、梶の側のポストへ寄っていた。


 レオは、ゴール前へ入っていかなかった。


 ペナルティマークのあたりで、足を止めている。


 球が、そこへ転がってきた。


 レオが右足を振った。


 ネットの鳴る音は、ベンチまで届かなかった。それでも、揺れたのは見えた。


 二対一。


「二対一!」


 出た声は、自分で思っていたより高かった。


 走はベンチを出た。白線の手前で、第四の審判が横から腕を出す。その腕の内側で、走は止まった。


 拳を二度、下へ振り下ろした。


 真ん中で、都築が両手を腰に当てて立っていた。そこから動かなかった。


 相手が前へ出てきた。


 眞鍋が画面から顔を上げた。


「三人目が入りました。回数は、あと一度です」


「後ろは」


「二人残しています。さっきまでは三人でした」


 尾張は下がった。海が真ん中に立つ。財前が梶の後ろに入る。


 放り込みが続いた。跳ね返す。拾われて、もう一度来る。


 海は、真ん中から一度も動かなかった。落ちてくる球の場所に、いつも先にいた。


 入ったばかりの選手が、エリアの外から打った。低い球だった。鷲尾は倒れずに、足を伸ばして当てた。こぼれを財前が外へ蹴り出す。


 走の声は、もうピッチの半分までしか行かなかった。それでも出した。


 梶は、もう上がらなかった。


 相手の左サイドバックが外を上がってくる。梶はそれについて、自分のゴールの近くまで下がった。上げてくる球の前に足を出して、タッチへ逃がす。


 相手のスローインになる。それでいい。


 十九番が、最後にもう一度またいだ。


 梶は足を出さなかった。出さずに、球の押し出される場所へ身体ごと入った。十九番が芝に落ちる。審判は片手を下げて、そのままにした。球は、梶の足の下に残っていた。


 そのあとだった。エリアの少し外で、笛が鳴った。


 海が後ろから足を引っかけていた。


 都築が球を置いた。


「壁、一枚足りないぞ!」都築が尾張の壁へ言った。「教えてやってるんだからな!」


 尾張の誰も、それには答えなかった。鷲尾が手で位置を直させる。壁が一人ぶん、横へ動いた。尾張の選手が一人、壁の後ろの芝へ寝転がった。


 都築が、それを見て一度うなずいた。


 都築が蹴った。


 球は壁の上を越えて、落ちてきた。


 バーに当たった。


 その音は、ベンチまで届いた。


 跳ね返りへ、九番と財前が同時に飛び込む。財前の足が先に触って、球は白線の外へ転がり出た。


 走は声を出そうとした。出なかった。口だけが動いた。


 笛が鳴った。


   *


 走は走った。


 白線を越えて、芝の上へ。脚は残っていない。腿が上がらないまま、上体だけが前へ行く。転びそうになって、二歩で立て直した。


 最初にぶつかったのは財前だった。正面から来て、走を抱えたまま二人で一度回った。


「上で泣け言うたやろ」


「上では泣かなかった」


「いま泣いとるやろ」


 財前の顔は、汗なのか何なのか分からなくなっていた。海が後ろから、二人の首をまとめて抱えこんだ。


 レオが横から入ってきて、輪が一度ぐらりと傾いた。四人で、たたらを踏んだ。


「九点! おれ、この大会で九点!」


「数えてたのか」


「数えるよ!」


 鷲尾が走の頭に手を置いた。


「勝った」


 走はうなずいた。頭に置かれた手が、一度だけ重くなった。


 鬼塚はベンチの前に立ったままだった。芝へは出てこなかった。


   *


 梶は、ゴールの前に一人で立っていた。走はさっき白線を越えたときの倍の時間をかけて、脚をひとつずつ前へ置いて、芝の上をそこまで歩いていった。


「梶」


 梶が振り返った。鼻の頭が赤かった。


「一本目、抜かれたっす」


「二本目から止めた」走は言った。「あと、上がってくれた」


「……はい」


「ありがとう」


 梶は息を吸って、吐いた。それから、自分の左の腕をさすった。走がつかんだところだった。


「東さん。右、返します」


「受け取った」


 梶は顔を下へ向けた。肩が一度だけ上下した。走は何も足さなかった。


   *


 人のあいだを通って、都築が来た。


「なあ」都築は走の顔を見て言った。「前半に言ったやつ。もたせなくていい、ってやつ」


「言った」


「意味、あとで分かった」都築は笑っていなかった。「腹立つな。やってることは同じだろ」


「勝ったのは、こっちの二人目だ」


「悔しい。めちゃくちゃ悔しい」


 都築が、そこでようやく笑った。


「二年だろ、あれ。聞いてないぞ」


 それから走の胸を、手の甲で一度叩いた。


「今日はな」


 言って、行った。行きながら、もう味方の誰かに何か喋っている。


   *


 表彰は、思ったより早く終わった。


 名前を呼ばれて、走は列から一歩前へ出た。首に何かをかけられて、また列へ戻った。それで終わりだった。


 かけられたものは、走ったあとの身体に冷たかった。


 写真のとき、係の人が二列に並べと言った。梶が、いちばん端へ行こうとした。


 レオがその腕を引っぱって、真ん中へ連れ戻す。財前が後ろから梶の肩を押さえて、そこで動けなくした。


「俺、途中からっすよ」


「黙っとけ」


 前の列がしゃがむ。走は梶の隣にしゃがんだ。レオが後ろで、鷲尾の両肩に手を置いて背伸びをしている。


 列の端に鬼塚がいた。写真のあいだ、一度も動かなかった。


 スタンドの声は、まだ頭の上から降っていた。今度は、その下に立っていた。


   *


 宿舎に戻ってから、走は廊下へ出た。


 最初に、アカネにかけた。


「勝った」


「勝った?」


「優勝した。決勝、二対一」


 アカネの声が、途中で止まった。


「……えっ。優勝? 全国の?」


「全国の」


「うそでしょ」


「ほんとだ」


 アカネが大きく息を吸った。吸って、そのまま黙った。


「なんか言えよ」


「言えない」アカネは言った。「待って。順番がある」


「順番」


「あたしから先に言う」アカネは早口になった。「できた。鶏むね。柔らかいの、できた」


「できたのか」


「できた。厚み変えて、漬ける時間はそのままにした。一個ずつ変えたの。えらいでしょ」


「えらい」


「でしょ」


「食わせろ」


「呼ぶって言ったでしょ」アカネは言った。「呼ぶから。……それで、優勝は?」


「優勝した」


「二回言わなくていい」


「二回言いたい」


 アカネが笑った。走も笑った。笑うと、喉が痛かった。


「優勝と、鶏か」


「並べないでよ」


「並べる」


「……まあ、いいけど」アカネは言った。それから小さい声で、おめでとう、と言った。


   *


 母は、呼び出し音の途中で出た。


「走?」


「優勝した」


「……え?」


「全国。優勝した」


 電話の向こうで、椅子の動く音がした。母が誰かを呼んでいる。父の声が遠くから近づいてきて、受話器の近くで止まった。


「……よかったな」


 それだけ言って、父はすぐ母に替わった。


「どこで勝ったの」


「決勝」


「それで、何対何だったの」


「二対一」


 母は、同じことをもう一度聞いた。走はもう一度答えた。点の入り方だけは、三回言った。


 二度目のときも、母は一度目と同じ場所で「まあ」と言った。


「あんた、風邪ひいた?」


「潰した。声」


「なんで」


「ずっと出してたから」


 少し、間があいた。


「すごいねえ」母は言った。「走が勝ったんだねえ」


「俺たちが、勝った」


 母は、それきり何も言わなかった。


 洟をすする音が聞こえた。


「泣くなよ」


「泣いてない」


「泣いてるだろ」


「お父さんが泣いてるの」


 遠くで、違う、と言う声がした。


 それから、母はいつもの声に戻った。


「ごはん、何食べたの」


「まだ食ってない」


「食べなさい」


「食う」


 電話を切って、走はそのまま廊下の床へ座り込んだ。脚が震えた。


 震えたまま、走は笑った。

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