第133話 勝った日の飯
初戦の翌々日が、第二戦だった。
相手は、走の側へ来なかった。サイドを使わない。中央に人を集めて、細かく預けて、隙間から出てくる。海と財前が忙しくなって、走の前の芝は、初戦の後半より静かだった。
前半の途中で、走は一度だけ前へ出た。
海が持った瞬間、レオはもう走り出していた。走は右の外で球を受けて、前の試合より半歩早く蹴った。レオが走り込む先へ。
レオは届いた。
届いたが、相手のセンターバックが身体を寄せていて、折り返しは膝に当たって外へ出た。
それでもレオは、戻りながら走を指差した。走も指を返した。
コーナーキックになる。海が蹴って、ニアで財前が跳んだ。額に当たった球が、キーパーの伸ばした手の下を抜けて、ネットを揺らした。
尾張が、先に一点を取った。
失点は後半の半ばだった。中央で細かく渡されて、最後は走の逆側の、誰も立っていない場所から打たれた。走は追えなかった。追える距離ではなかった。
一対一のまま、笛が鳴った。
悔しかった。取った一点を、持って帰れなかった。
*
中一日おいて、第三戦だった。
一点は前半の終わりごろに入った。海が中央で奪って、そのまま縦へ。レオが最終ラインと駆け引きして、内側から抜け出す。キーパーが前へ出たぶんの脇を、低く通した。
あとは、その一点を持って走った。
残り時間が少なくなると、相手は前の人数を増やしてきた。走の前に、はじめて長い球が入るようになる。放り込んで、競って、こぼれを拾う。単純だが、単純なものほど、疲れた足には効く。
走は一本目を頭で外へ出し、二本目を胸で落として海へ渡した。
海は急がなかった。持って、歩いて、財前を呼ぶ。後ろで一度回したところで、相手の前線の二人が追いかけるのをやめた。
「そのままや!」財前が後ろから叫んだ。「気ぃ抜くな!」
笛が鳴った。
一対〇。走はその場で息を吐いて、それから顔を上げた。財前が両手を上げてこちらへ走ってくる。受け止めそこねて、二人で芝に転んだ。
「重い」
「うるさいわ」
ベンチのほうから、眞鍋がタブレットを胸に抱えて出てきた。
「通過です」
「計算、合ってるか」
「合ってます」眞鍋は言った。「三回やりました」
*
その夜の食堂は、うるさかった。
大皿に唐揚げが山になっていた。宿舎の人が揚げたてを運んでくるたび、どこかの席から声が上がる。走は飯を受け取って、席に着く前に一つ摘まんだ。
「東さん、行儀悪いっす」梶が言った。
「腹が減った」
「俺も減ってます」
「お前は走ってない」
「走ってないですけど、減るんすよ」
一口食べて、走は手を止めた。
衣に胡椒が効いている。噛むと、下味の醤油と生姜が遅れて来た。
「うまい」
「な」財前が口をいっぱいにしたまま言った。「ここの飯、当たりやったな」
「昨日の魚もよかった」海が言った。
「魚は普通やった」
「普通ではない」
「お前、魚の話になると急に喋るな」
走は二杯目を取りに立った。戻ってくると、皿の唐揚げが目に見えて減っていた。
「レオ」
「なに」
「何個食った」
「数えてない」
「数えてないやつが、いちばん食ってる」
「東だって食べてるじゃん!」
「俺は二杯目だ。お前は四杯目だろ」
「三杯目!」
「三杯目です」梶が言った。
「お前は黙っとけ」財前が言った。「証人が二年やと信用ならん」
「ひどいっす」
そのうち、最後の一つが皿に残った。誰も手を出さないまま、しばらく間があいた。
「財前さん、どうぞ」梶が言った。
「なんで俺や」
「点、取ったからっす」
「一昨日のやつか」財前は箸の先で唐揚げを指した。「あれ、俺の頭ちゃうで。海の球がようできとった」
「頭は当てただろ」走が言った。
「当てただけや」
「当てただけって、いちばん難しいだろ」
財前が黙った。それから唐揚げを箸で二つに割って、大きいほうをレオの皿へ置いた。
「食え」
「えっ、いいの」
「うるさい」
味噌汁を飲みながら、梶が言った。
「明日、練習っすよね」
「次の試合の前だからな」
「俺、明日は全部やるんで。見といてください」
「鬼塚さんに言え」
「言いました」
「なんて」
「うるさい、って」
走は吹き出した。海も口の端を上げていた。
「言い続けろ」走は言った。「俺も言ってる」
「東さんも言ってるんすか」
「毎日」
「気持ち悪いっすね」
「お前もそっち側か」
*
飯のあと、走は廊下へ出た。
扉一枚ぶんだけ、食堂の音が遠くなる。壁に背をつけて、走はアカネにかけた。
「通った」
「え?」
「グループ。三試合終わって、通った」
向こうで、椅子の脚が鳴った。
「すごい。何勝?」
「二勝一分」
「負けてないじゃん」
「負けてない」走は言った。「嬉しい。最後のほうはしんどかったけど、守り切れた」
「いいなあ。見たい」
「映像、あとで送る」
「送って」
走は少し姿勢を変えた。
「そっちは。今日、何してた」
間があった。
「……鶏のむね肉、失敗した」
「失敗」
「柔らかくしようと思って、いろいろやったの。そしたら逆に、ぱさぱさになった」
「いろいろって」
「聞く?」
「聞く」
アカネは早口になった。買った肉の厚み。切る向き。漬けた時間と、火の強さ。途中で「あ、これ長いね」と自分で言って、それでも続けた。
走は口を挟まなかった。挟む隙もなかったし、挟みたくもなかった。
「味は」
「まずくはない。でも、狙ったのと違う」
「悔しいのか」
「悔しい」アカネは即答した。「来週、模試なのに。それが気になって寝れない」
「模試の心配をしろ」
「してる。してるけど、肉のほうが気になる」
走は笑った。
「次、どうするんだ」
「厚み変えてみる。あと、漬ける時間も」
「両方か」
「……両方だと、どっちが効いたか分かんないか」アカネが自分で言った。「あー。めんどくさ」
「めんどくさいな」
「そこ同意しないでよ」
扉の向こうで、また誰かが笑った。
「うまくいったら、食わせろ」走は言った。
「は?」
「成功したやつ。食う」
「……えらそう」
「食うって言ってるだけだ」
「じゃあ、できたら呼ぶ」アカネは言った。「失敗したのは自分で食べる」
「失敗したのも食う」
「やめて。まずいから」
*
電話を切って、走は廊下に立ったままだった。
扉の向こうで、まだ誰かが笑っている。財前の声が一段大きい。
走は扉を押した。
唐揚げの皿は、もう空だった。
「東、遅い」レオが言った。「味噌汁、おかわりしといたよ」
「頼んでない」
「飲んで」
走は椅子を引いて、座った。味噌汁は、まだ温かかった。




