第126話 余白
その夜、走の部屋に三人が集まった。
床に財前、椅子に海、ベッドの端に走。去年の春から、この並びは変わっていない。
走は映像を、後半十分のところで止めた。
「ここだ。二度目に止まったところ」
「内へ流れたな」海が言った。
「流れた。海が正面で受けて、俺は追わずに外に残った。戻ってきたあいつの前に、俺がいた」
「行き先が二つとも埋まっとった、いうことか」財前が言った。
「埋まってた」
走はもう一つ、古い映像を開いた。中三の一月、最後の大会の一本だ。
「これ、覚えてるか」
「覚えとる」財前が身を乗り出した。「俺が一回使うたやつやろ」
「そう。あのとき、海は前に上がってた。俺が半歩ずらして、財前が外へ出した。二人だ」
「二人で足りたんやない。一回しか使えんかっただけや」
「そうだな」走はうなずいた。「六月は、三人いた。外が財前で、内が海で、俺が幅を消した。あれは止まった」
「三人要る、言うたのは俺やぞ」海が言った。
「言った」走は言った。「あのときのやり方は、間違ってなかったんだ。ただ、一本で終わってる。……あの一本を、役割を決めて繰り返せる形にしたい。今年は、その三人が最初から揃ってる」
海が缶を置いた。
「で、案は」
走は息を吸った。
「あいつの次の一手は、読めない。たぶん、これからも読めない」
「うん」
「だから、当てるのをやめる」走は言った。「全部を当てるのは無理でも、この場所なら分けられる」
走は紙に、右サイドの線を引いた。
「白線から中へ、芝三枚。そこから内は海。俺は外だけ見る。外れたら、渡す」
「俺は」財前が訊いた。
「後ろ。俺が外された二秒を、財前が立つ。三枚目より内へ入られたら、海と財前で挟む」
「お前が全部やると、俺が要らなくなる」海が言った。「要らない中盤のいるチームは、勝てない」
「だから分けたい」
「ならいい」海はうなずいた。「ただし、一つ足せ。外れたときのお前の声だ。無言で戻ってこられても、俺は判断できない」
「……声」
「二音でいい」
走は少し考えた。
「『外れた』」
「四音や」財前が言った。
「『外れ』」
「三音。まあええ」
三人が笑った。
笑ってから、走は一度だけ、言葉を選んだ。
「一つだけ、引っかかってる」
「言え」
「あいつが行ける場所を、先に全部塞ぐことになる。……それは、あいつから選ぶ余地を取り上げるってことだ」
財前が、心底不思議そうな顔をした。
「サッカーやぞ」
「……うん」
「相手の行きたいとこ潰すのが、俺らの仕事やろ。お前かて、毎試合潰されとる」
「潰されてるな」海が言った。「今日、俺は三回潰された。腹は立つが、恨んではいない」
走は、自分の中の何かがほどけるのを感じた。
前世で走から道を取り上げた手つきと、今日この芝の上で場所を取り合うことは、似ているようで、根のところが違う。あの手つきには、返す場所がなかった。ここでは、潰された相手が次の一手で返してくる。返してくる相手を、走は待っている。
それだけの違いだ。それだけの違いが、決定的だった。
「やる」走は言った。
「やろう」
*
翌日の練習で、一度、失敗した。
ソラ役は三年の一人が務めた。右で受けたところを走が消す。内へ流れる。走は追った。追った背中で、走の右が空いた。
「東、戻れ!」
財前の声が飛ぶ。戻ったときには、右の芝を別の一人が走っていた。
「追いすぎだ」海が言った。「三枚目、越えてる」
「越えた」走は膝に手をついた。「……ごめん」
「二回目」
二回目。ソラ役が内へ流れる。走は追わない。
追わないのは、思っていたよりずっと難しかった。眼が追う。身体が行きたがる。走はそれを、爪先の向きだけで止めた。
海が半歩出て、その前に立つ。ソラ役が外へ戻る。そこに、走がいる。
足が、止まった。
三度目の受け直しで、ソラ役は後ろへ下げた。
「止まった!」
走は両手を上げていた。声が、練習場の端まで通った。
「止めたのは海だ」
「海が止めたのは中だ! 外は俺だ!」
「うるさい奴やな」財前が笑った。
ソラ役の三年が、腰に手を当てて息をついた。
「東さん。これ、やられたらめちゃくちゃ嫌ですね」
「嫌か」
「嫌です。どこ行っても誰かいるんで」
走は、その言葉を聞いて笑った。笑ってから、少しだけ胸が痛んだ。
痛んだが、手は止めなかった。
「もう一本、やらせてくれ」
「まだやるんか」
「やる」
*
その夜、走はアカネに電話した。
「なに」
「負けた」
「知ってる」
「でも、二回止まった」
「は?」
走は話した。二回止まった場面のこと。三人で線を引いたこと。芝三枚のこと。今日の練習で、三年が「嫌だ」と言ったこと。
アカネはしばらく黙って聞いていた。
「……あんた、声、明るくない?」
「明るいか」
「明るい。負けた日の声じゃない」
「負けたのは悔しい」走は言った。「でも、次、試したいんだ」
「うわ、出た」
「なんだよ」
「そういうの」アカネは笑っているような声を出した。「昔からそう。できないことがあると、やたら元気になるの」
「そうか?」
「そう。小一のときからそう」
走は、思わず笑った。
「そっちは」走は聞いた。「この前の、まだ言えないやつ」
「まだ言えない」
「進んでるのか」
「進んでる」アカネは即答した。「ノート、三冊目」
「三冊」
「三冊」
「多いな」
「多い」アカネは少しだけ得意そうだった。「あんたが芝三枚なら、あたしは三冊」
「勝ってるな、そっちが」
「当たり前でしょ」
電話を切ってから、走はノートを開いた。
書いたのは、二行だった。
――芝三枚。外れたら、渡す。
――外れ。三音。
ペンを置いて、走は天井を見た。
次の青嵐戦が、待ち遠しかった。




