第125話 予測不能
高円宮杯のリーグ戦、その青嵐戦。
前半の入りは、悪くなかった。
右でリクがボールを呼ぶ。受ける前の芝一枚ぶんを、走が先に踏む。リクが背中で受け直して下げる。下げた先には海がもう立っている。去年の二戦目で三人が作った形は、一年たっても錆びていなかった。
「続いてる!」
「続けろ!」
青嵐の右からのクロスは、財前が頭で弾いた。中央へ入ってきた一本は、海が足を伸ばして触った。
尾張の守備は、機能していた。
そこへ、あの男が来た。
ソラだ。鼻歌でも歌いそうな足取りで、走のゾーンへふらりと入ってくる。走は腰を落とした。リクを捉えた、あの構えで。
最初の一本は、ソラの手前で切った。
青嵐の中盤がボールを持つ。腰が開く。開いた角度の先に、ソラの足元がある。走は出し手だけを見て、ボールが出る前に一歩、前へ出た。芝の上を転がってきたボールは、ソラの足に届く前に走の足の裏で止まった。
「よし!」
走は声を出した。出し手を診る眼は、ここでも生きている。
ソラが、その足元を見た。それから、走の顔を見た。
二本目は、届いた。
ソラがボールを受ける。走は、ソラが仕掛ける前の体勢を消しにかかった。受けて前を向く――その角度を先回りで潰す。リクを止めた手順そのままに。
だが、ソラにはその「前」がなかった。
走が消しにいった一点に、ソラはいない。受けて前を向くという型を、そもそも踏まないのだ。ボールに足が触れた瞬間、ソラは走の予想の外側へふっと流れた。爪先が芝を撫でただけに見えて、身体はもう別の進路にある。走の先回りが、何もない空間を切った。
「くそ!」
声が出た。芝を蹴って追う。追いついたときには、もう折り返しが出たあとだった。
(――今のところまでは、合ってた)
合っていた。出し手も、受け場所も、最初の一歩も。合っていて、その先が空白だった。
走は、もう一度仕掛ける。ソラが縦へ抜けると読み、その進路へ半歩先に立った。身体の向きも、軸足の荷重も、読みどおりだった。普通の選手なら、そこで足が詰まる。
だがソラは、縦へ行かなかった。走が立った瞬間、ボールをちょんと浮かせて、走の伸ばした足の上を越えていく。落ちたボールは、走の背中側で待っていた。
スタンドがどよめいた。
走の眼が、灯ろうとして灯りきらない。
《観察/風間 空》
重心 ――― 視える。
次の一手 ――― ――――
確度 ――― ――――
所要 ――― 算出できない。
この空白を見るのは、初めてではない。中三の六月にも、一月にも、走は同じものを見た。
違うのは、重心が今日は最後まで視えていることだ。中三のころは、その重心にすら間に合わなかった。
視えている。視えているのに、その先が結ばない。
走の設計は、相手の選択肢を一つずつ潰す。だがソラは、選択肢という枠の外にいた。走が枠を狭めるほど、ソラは枠のない場所から勝手に湧く。
プレーが切れた。走は肩で息をしながら、二人を呼んだ。
「海、財前」
二人が寄ってくる。
「一人じゃ足りない」走は言った。「俺は受ける場所まで行く。行った先で外されたら、そこから先は追えない」
「二枚で挟むか」海が言った。
「挟んでほしい。財前、後ろを頼む。俺が外されたら、俺の代わりに立ってくれ」
「立つ」財前は即答した。「何秒や」
「……二秒」
「短いな」
「二秒あれば、俺が戻る」
次の一本で、三人は挟みにいった。
走と財前が同時に間合いを詰める。海が退路を切る。網が閉じる。
閉じる寸前、中心にいたはずの影が、ふっと外へこぼれた。
二本目の挟みは、一瞬だけ効いた。ソラの足が、行き先を探して止まる。走の胸が跳ねた。
止まったのは、半拍だった。半拍のあいだに、ソラは後ろへ戻した。それだけだった。
前半二十六分。ソラが走の背中を取り、中央への折り返しをリクが流し込んだ。
〇対一。
後半、尾張は網の目を細かくした。財前が一枚前へ出て、海が中央の幅を狭める。走は追う範囲を外側だけに絞った。
効いた場面も、あった。
後半十分、ソラが内へ流れたところを海が正面で受け止めた。走は追わなかった。追わずに外に残り、戻ってきたソラの前に立った。ソラの足が、二度目に止まった。
「今の!」走は叫んだ。「海、今のもう一回!」
「やる!」
だが、三度目はなかった。
ソラは同じ絵を二度は使わない。網の目を細かくしたぶん、網の外が広くなる。ソラはそこを歩いた。
後半二十九分、もう一点を足された。
〇対二。
走の右は、ソラが通るたびに決壊した。芝に肩から滑り込み、泥をかぶって足を伸ばす。ユニフォームの右半身が緑と土で汚れて、立ち上がるたびに膝が鳴った。それでも爪先は、ソラの残像を捉え損ねる。
笛が鳴った。
走は、すぐには立ち上がれなかった。
すれ違いざま、リクが低く言った。
「あいつには、お前の理屈、効かねえよ」
嘲りではなかった。走の武器の価値を、いちばん知っているのはリクだ。だからこそ、それがソラに通じない意味も、リクだけが分かっていた。
当のソラは、退屈そうですらあった。
「んー」走の横を通りながら、ソラがひとりごとのように言った。「まだ、面白くないなあ」
走は顔を上げて、その背中を見た。
腹が立った。腹が立って、同時に、まだやりたかった。
*
バスの中で、走はノートを開いた。
書いたのは、一行だけだった。
――二度、止まった。
一度目は、三人で挟んだとき。二度目は、海が中で受けて、走が外に残ったとき。
どちらも、走がソラを読んだのではない。ソラが行ける場所が、二つとも塞がっていたのだ。
読めなかった。読めないまま、二回だけ、止まった。
走はペンの尻を唇に当てて、しばらくそのままでいた。
負けた。悔しい。悔しくて、頭の芯が熱い。
その熱のまま、走は今夜これを考えたいと思った。
「海」走は前の席へ声をかけた。「今日の二回、覚えてるか」
「覚えてる」海は振り返らずに言った。「寮、着いたらな」
「着いたらだ」
「財前も呼べ」
「呼ぶ」




