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第12話 見ていない目

 春が来て、走たちは、初めて"よそのチーム"と練習試合をすることになった。田口の爺さんが、農協の寄り合いのついでに、どこかで話をつけてきたらしい。相手は、名古屋のはずれの、そこそこ名の通った少年チーム。田舎の寄せ集めなど、向こうにとっては、ただの調整台だ。バスから降りてきた子供たちが、真新しいスパイクの底を鳴らしながら、こちらをちらりと見て、値踏みするように鼻で笑ったのを、走は見ていた。


 だがその日、走の頭では、まったく別の計算が回っていた。


 壊れて消えたはずの選手が、どこかで、また走り出した。その手の噂は、ある種の大人のアンテナに、必ず引っかかる。派手な大会の主役より、消えた原石の再起のほうを、彼らは早く嗅ぎつける。桐生陸は名古屋の界隈では、それなりに名の知れた"壊れたエース"だった。その桐生が田舎で、また前より速く走っている。遅かれ早かれ、誰かが確かめに来る。走はそう踏んでいた。


   *


 ところが試合が始まると、走の想定は、いきなり裏返された。


 相手は、これまで戦ってきたどのチームより、統率が取れていた。走が最後尾から声を出して味方を動かすより速く、二人がかりで桐生の飛び出しを潰しにくる。あらかじめ、映像でも見てきたのだろう。ホットラインは、初対面のはずなのに、もう研究されていた。前半の早い時間に、走たちは一点を先に許した。


 ――設計を、読まれてる。


 走の背に、冷たいものが伝った。田舎の空き地で通用してきた手が、上のレベルの前で、初めて真正面から否定された。桐生が悔しげに唇を噛み、アカネが苛立って地面を蹴る。ベンチのタケルが心配そうにこちらを見た。


 だが走はうつむかなかった。読まれたなら、読み返すまでだ。走は立ち位置を一つずらし、桐生の飛び出しの角度を、これまでと変えた。だが――相手は、それすら読んでいた。二度目の設計も、あっさり潰される。ここまで真正面から読み切られたのは、生まれ変わってから、初めてのことだった。頭の芯が、じわりと熱くなる。


 その時、走の指示を待たずに、アカネが動いた。


 誰に言われたわけでもない。味方が詰まっているのを見て、身体が勝手に、いちばん危ない場所へ走り出していた。理屈ではない。ただ、そこが空くと、肌でわかる。相手の二人が桐生に気を取られた、その一瞬の隙を、アカネの野生が、本能だけで突いた。


「――アカネ!」


 走の声はもう指示ではなかった。ただ、その名を呼ぶだけの声だった。解き放たれたアカネが寄せてきた二人を置き去りにして、右足を振り抜く。同点。走が読み負けた穴を、アカネの脚が、力ずくでこじ開けていた。


 ――俺の設計にも、穴はある。だが、その穴を、こいつが勝手に埋める。


 走はそこから盤面を組み替えた。読み合いで負けるなら、アカネが本能で空けた綻びに、桐生を走り込ませればいい。設計と、才能。片方が詰まったところを、もう片方が破る。逆転の二点目は、その形から生まれた。一度崩された設計が、崩された形のまま、別の穴を開けてみせた。


 スタンドの、まばらな大人たちが、ざわつき始めていた。


「なんだ、あの田舎のチーム」

「あの後ろの小さいの、何をやってる? 崩されても、崩し返してくるぞ」


   *


 そして走はそれを見つけた。


 グラウンドの隅、日陰になった位置。応援でも、保護者でもない。ただ一人、腕を組んで立っている男がいた。年の頃は四十ほど。地味なジャンパーの襟を立て、手帳もカメラも持たず、ただ、じっと立っている。


 その男は試合を見ていなかった。


 正確には、得点にも歓声にも、まるで反応しない。味方が失点しても、田舎のチームが逆転しても、表情ひとつ動かさない。ただ、桐生陸ひとりを、値踏みするように目で追っている。この脚は、使えるのか。伸びるのか。また壊れないのか。かつて走が前世で、何百回も他人の身体に向けたのと、寸分たがわぬ眼だった。


 各務(かがみ)、という名を、走はまだ知らない。だが、その職業なら、知っていた。


 ――スカウトだ。桐生を、視に来たんだ。


 予定通りだった。壊れた原石の復活は、いちばん確実に、あの種類の眼を引き寄せる。桐生は何も気づいていない。ただ、久しぶりのゴールに拳を突き上げ、アカネと肩を組んで笑っているだけだ。それでいい。桐生は最後まで知らなくていい。誰かに見定められていると知った瞬間、この子のプレーは、また"見せるためのもの"に戻ってしまう。


 走は球を持つと、ほんの少しだけ、立ち位置を変えた。スカウトの視線が、桐生を追う。その視線の通り道に、自分の身体を、そっと差し込む。桐生へ届く球の、その出どころに。派手なことは、何もしない。ただ、盤面を動かす一本の球を、正確に通し続ける。あの飛び出しを設計している者が、後ろに一人いる。そう視ようと思えば視える位置に、自分を置いておく。


 発見されるんじゃない。発見される場所に、立つんだ。それは賭けでも幸運でもなく、前世で"視る側"に居続けた男だけが知っている、視られ方の手順だった。声を、かけられなくていい。名前を、覚えられなくていい。ただ、種火が一つ、あの眼の隅で灯れば、それで足りる。


 試合は走たちが競り勝った。輪の中で、桐生がアカネがタケルたちが笑い合う。その中で走だけが一度、日陰のほうを振り返った。


 腕を組んだ男はもう桐生を見ていなかった。かわりに、ほんの一瞬、最後尾に立っていた小柄な子供のほうへ、視線を流した。あの壊れかけの子を復活させ、隣で崩している無名は、何者だ。その眼に宿ったかすかな引っかかりを、走は見逃さなかった。男はすぐに視線を外し、名前も聞かずに、来た時と同じ静かさで去っていった。


 子供たちの歓声の底で、たった一つ、子供を見ていなかった大人の目。それに気づいていたのは、この場で、走ただ一人だった。

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