第115話 読んで、走る
秋。冬季U18全国大会の予選が、終盤に入っていた。
勝ち残れば、十二月の全国が見える。その舞台には、年代別代表を選ぶ眼もそっと混じっているという。走にとっては、初めて「上の景色」が視界の端に入る大会だった。
負ければ終わりの段の、最初の一戦。相手の右に、速いウイングがいた。走の対面だ。診断の眼で視れば、脚の作りがいい。去年の走なら、燃料計を落として後半に削り倒す相手だった。
だが試合の最初の五分で、走はその手札を一枚捨てた。
(――削っても、九十分では終わらない)
この相手はコンディションを管理できている。全力で走らせても、燃料計がなかなか落ちない。走らせて削るには、九十分ではまるで足りなかった。ユースはそういう世界だ。燃料切れはまだ効く。それ一本では、この相手は倒れない。
だから走は、別の手を出した。走らせて奪うのではなく、動く前に詰ませる。
ウイングが縦を狙う。仕掛けの直前、爪先が芝を掻いて重心が右へ沈む――その半拍を、走は読んだ。ウイングが踏み出すはずだった一足ぶんの芝を、走はもう身体で塞いでいた。加速する場所が消えている。ウイングの足が行き場を失い、ボールを一度後ろへ下げた。
抜かせてから削るのではない。抜く体勢を、そもそも与えない。
それでも、二度目の仕掛けで、走は振り切られた。
読みは合っていた。だが相手の一歩が、走の一歩よりわずかに速い。詰ませきる前に動かれてしまえば、あとは身体の勝負だ。そこへはまだ、走の脚が届かない。
走は舌打ちを一つして、それから顔を上げた。
プレーが切れた間に、海と財前を呼ぶ。
「あいつ、まだ落ちない」走は言った。「削る前提を捨てる。渡し方を変えたい」
「どう変える」財前が訊いた。
「俺が縦を消して、内へ追い込む。追い込んだ先を、海が先に埋めてくれ。財前は、俺が出た背中を一枚だけ」
「一枚だけな」財前が念を押した。
「一枚で足りる。二枚来られると、真ん中が薄くなる」
海が中盤へ短い指示を二つ出した。外から見れば、何も変わっていないように見える変化だった。
三度目の仕掛けのとき、ウイングはもう詰んでいた。
走が縦を消す。内へ切り返す先には、海の置いた一枚が先に立っている。行ける先が一本も残っていない。ウイングは仕掛けることすらできず、足を止めてボールを味方へ返した。
奪ったのは、走の眼ではない。走の眼が指した場所へ、三人が同時に立ったことだった。
タッチライン際で、立花が拳を一度振った。
繋がった線は、守備だけでは終わらなかった。
次に奪ったとき、相手が前から潰しに来た。ユースのプレスは速く、ボールを持った味方が一瞬で囲まれる。その囲みの矢印を、走は視ていた。誰がどの角度で来るか。矢印が伸びる前に、空く場所が一つだけある。
走はそこへ、先に下りた。
受けて、囲みの外へ一本で渡す。派手さは何もない。ただ、詰まりかけた出口が開いた。
開いた出口から、ボールは止まらなかった。
海が半身で受けて、振り向かずに前へ。財前が上がってきて、一つ飛ばす。桧山が落として、また海へ。走が下りた一歩を、四人が四本のパスで伸ばしていく。
走は、自分がなぜそこへ下りたのかを、誰にも説明していなかった。
説明していないのに、味方は次の一本をそこから始めた。
二点目は、その四本先にあった。桧山の右足がネットを揺らした瞬間、走は右手を突き上げていた。
「今のつながり、気持ちよかった!」
走の声に、振り返った海が親指を立てた。桧山が両手を広げて走のほうへ走ってくる。走は笑って、その手を叩いた。
試合は二対〇で勝った。
試合のあと、海が走の隣で水を飲んでいた。
「変わったな、お前の守り方」海は前を見たまま言った。「前は走らせて、後半に落としてた。今日は走らせてすらいない」
「二本目は抜かれてる」走は言った。「読みは合ってたのに、脚が届かなかった」
「で、そのあとは」
走は少し考えて、笑った。
「そのあとは、通してない。三本目の縦と、後半の五本。全部、海が内を埋めてくれたやつだ」
「俺のおかげか」
「半分は」
「半分でいい」海は口の端を上げた。
左では、岳がその一部始終を見ていた。走が右で相手を詰ませる形を、岳は自分の守り方へ少しずつ移し替えようとしている。まだぎこちない。それでも、授かった身体に読みを乗せはじめた岳は、もう三年前の岳ではなかった。
ベンチの脇では、眞鍋がタブレットを覗き込んでいた。画面には新しい項目が増えている。走行距離ではない。相手に仕掛けそのものをさせなかった回数だ。前半で三本、後半で五本。白いマス目の上に、階段のように積み上がっていく。
鬼塚はベンチで腕を組んだまま、何も言わなかった。だがその視線は、この日ずっと走の右サイドを追っていた。
引き上げる列の途中で、走はスタンドの端に眼を留めた。部員でも親でもない大人が二人、手元の紙とピッチを見比べている。視線は球を追っていなかった。番号を追っていた。
ロッカーへ降りる通路で、立花が全員へ告げた。
「次、勝てば全国だ」
声が上がった。走も、そのなかにいた。
(――もう一試合、あの形をやれる)
名古屋のもう一方の端では、青嵐のユースが勝ち上がっていた。リクと、ソラ。三年追いかけて、まだ越えられていない二人。
越える前に、まず十一月だ。
走は袋の口を縛るように、その一つへ絞った。




