第114話 継ぎ目を刈る
リーグ後半戦。相手は、あの県外の強豪だった。
走は右サイドバックに戻っていた。鬼塚は理由を言わなかった。読み上げられた十一の番号の中に、また走の名前があった。それだけだ。
前の週、走は自分から人を集めた。
「相手のベンチ、七人です」
眞鍋がタブレットを立花と海と岳のほうへ向けた。四月からの全試合の交代が、時刻と番号で並んでいる。
「前の三枚は、毎試合替わってます。左のウイングは平均六十三分で下がってます」
眞鍋は指を下へ滑らせた。
「ここだけ、一度も替わってません」
六番。中盤の底のアンカーだった。
「九試合、全部フル出場です」
「十一番は、後半の頭で下がります」
走は言った。
立花が顔を上げた。
「言い切るのか」
「前半で、脚を空にします。あの人が下がったら、こっちの一枚目が当たったということです」
「外したら?」
「外したら、後半も削ります。そのぶん、俺が終盤に上がれません」
「正直だな」
「正直に言わないと、組めません」
走は言った。
「削る相手を変えます。六番だけ」
立花が眉を上げた。
「お前の対面じゃないだろ」
「はい。だから、一人じゃ届きません」
「どう届かせる」
「俺が右の高い位置を取ります。六番は中央から横へ来ます。来させるために、逃げ道を内へ寄せてほしいんです」
岳が口を開いた。
「左は、俺が押し上げればいいか」
「押し上げてください。ただ、押し上げすぎると背中が空きます」
「空いたら?」
「俺が言います。『後ろ』で」
「二音だな」
「二音です」
海が図の上に指を置いた。
「一つだけ言っとく」
「はい」
「六番が落ちるのを、お前は何分だと思ってる」
走は少し考えた。
「六十五分から七十五分のあいだです」
「幅があるな」
「あります」
「じゃあ、幅のぶんは俺が数える」
海は言った。
「お前は走れ。時計は俺が見る」
試合は、前半七分に動いた。
相手のセットプレーからCBに頭で押し込まれ、〇対一。走の右とは関係のない失点だった。
走はスコアを頭の隅に置いて、自分の設計に戻った。
対面は、あの十一番だった。半年前と同じ、初速で置き去りにする脚。
走はいつもの網を張った。わざと縦に隙間を見せ、食いつかせ、直前で消す。急停止。切り返し。燃料計がひと目盛りずつ落ちていく。
やっていることは、半年前と同じだった。
(――だが、狙いが違う)
脚を空にするためではない。ベンチを動かすためだ。
前半三十分を過ぎたころ、十一番の踏み込みが浅くなった。走の前で仕掛ける回数が減り、内へ逃げるようになる。
「立ちました」
眞鍋の声が、ベンチから飛んだ。
「三十四分。相手のベンチ、二人立ってます」
走は片手を上げて、それを聞いたと示した。
ハーフタイムを挟んで、後半の頭。
最初にボールが切れると、ボードに番号が出た。
十一番が、下がる。
立花が、ピッチの中から一度だけこちらを見た。
「一回目!」
眞鍋の声が飛んだ。
「一人。カード、あと四枚。回数、あと二回」
走は息を吐いた。
半年前、走はこの一枚に設計を裏返された。今日は、この一枚を出させるために四十五分を使った。
ここからだった。
走は右で高い位置を取りはじめた。上がる。戻る。また上がる。
走が右の奥へ入るたび、相手の六番が中央から横へスライドしてカバーに来る。六番は消える選手ではない。だから、必ず来る。
「浮いた!」
走が叫ぶ。岳が左から一列上げる。
逃げ道が内へ寄る。寄れば、六番の守る面積が広がる。広がった面積を、六番は自分の脚で埋めるしかない。
五十八分、その形が一度崩れた。
岳の押し上げが早すぎて、背中が空いた。相手がそこへ走り込む。
「黒木さん、後ろ!」
岳が半歩戻って、間に合った。
「すまん!」
「もう二秒遅くていいです!」
「二秒だな!」
走は走りながら、笑いそうになった。
予定どおりではない。予定どおりではないところを、二人で直せている。
五十九分、その直後だった。
岳が左で相手を止めて、そのまま前へ運んだ。立花が受けて、一度中央へ落とす。
桧山が押し込んだ。
一対一。
「桧山!」
走は自陣から叫んだ。桧山が両手を上げて応えた。
「六十五分、二回目!」
眞鍋の声。
「二人替え。カード、あと二枚。回数、あと一回」
走は動かなかった。まだ早い。残っているのは、あと一回だ。
その一回を、相手のベンチは長く抱えた。同点のまま時計が進む。
走は六番を走らせつづけた。
「東」
海の声が飛んだ。
「七十分。まだだ」
「はい」
「七十五分過ぎたら、自分で判断しろ」
「はい」
七十六分、ボードが出た。三回目。中盤の交代だった。
六番が、ピッチから出ていく。
「三回目! 相手、カードなし!」
(――ここからだ)
走は走り出した。
入ったばかりの選手は速い。だが誰を見るのかを、まだ知らない。
走はその選手の指先を見た。
誰も、指していない。
(――来た)
走の右の高い位置が、空いたままになった。
海が顔を上げた。走が上げた手を、この男は三年見てきた。
中央から右奥へ、長い一本。
走はそれを一度で殺し、走りながら顔を上げた。ニアに立花。中央に桧山。
走は速いボールを、ゴールと守備者のあいだの床へ低く落とした。
桧山が押し込んだ。
二対一。
交代から、二分半だった。
「桧山、よく決めた!」
走は走っていって、桧山の背中に飛びついた。桧山が振り返って、走の頭を両手で挟んだ。
「東、いまのクロス、なに」
「低いやつです」
「速すぎだろ!」
「合わせたのは桧山さんです」
立花が後ろから二人まとめて抱えた。
残り五分で、ボードに走の番号が出た。
半年前と同じ景色だ。走は今度は、タオルを被らなかった。
ピッチを出るとき、須賀とすれ違った。走は足を止めて、短く言った。
「入って三分です。誰を見るか、決めてから入ってください」
「先に決めときゃいいんだろ」
「そうです」
「言われた」
須賀は笑って、入っていった。
「あとは頼みます」
「頼まれた」
走はベンチに座った。
座って、最後の五分を見た。
須賀の右は、一度も割れなかった。
試合はそのまま終わった。二対一。
ベンチが立ち上がって、ピッチへ走っていく。走もその中にいた。
引き上げる列で、鬼塚が走の横に並んだ。
「ベンチまで食ったか」
走は答えなかった。答えなくていい気がした。
「上はもっと深いぞ」鬼塚は前を見たまま言った。「登録が増える。層も厚くなる」
「はい」
「まあ、今日は勝ちだ」
鬼塚はそれだけ言って、行ってしまった。
その夜、走はノートを開いた。
――盤面は、十六人。
書いてから、走はペンを止めた。
半年前、走は敵の数だけを数えていた。
今日走を勝たせたのは、六番を追い込んだ立花と岳の脚だ。時計を数えたのは海で、ベンチが立つのを見ていたのは眞鍋だった。そして最後の五分は、須賀が閉じた。
走はもう一行、書き足した。
――俺のチームも、十六人だ。
ペンを置いて、走はその二行を見ていた。
窓の外で、寮の廊下の明かりが一つ消えた。
半年前のその次の試合で、走はベンチで拳を握っていた。
今日も、最後の五分はベンチにいた。
同じ場所で、まったく違う五分だった。
どちらも、走のものだった。




