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『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第六章 才能を捉える日

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113/140

第113話 ベンチから視える

 リーグ第五節。試合前のロッカーで鬼塚が読み上げた十一の番号に、走の名前はなかった。


 右サイドバックは須賀だった。


 鬼塚は理由を言わなかった。ボードを閉じ、いつもの短い指示だけ出して、先に外へ出ていった。


(――下げられた)


 その言葉が内側で鳴った瞬間、走は前の生の午後を思い出した。


 まだ走れた。走れると自分で分かっていた。それでも名前は呼ばれなかった。


 六十八年ぶんの時間を挟んでも、この感覚だけは古びない。


 だが今日は、心当たりがあった。


 一週間前、走は自分の設計ごと負けている。


 走はベンチの端に腰を下ろした。


 キックオフから十分、走はずっと右サイドを見ていた。


 須賀が対面に縦を見せられ、内へ切り返される。走なら半歩内で消せた場所だ。


 頭の中で勝手に自分の脚が動く。ベンチに座ったまま、走はまだピッチで守っていた。


 十二分に、須賀が一本止めた。


 縦へ出ようとした相手の前に、先に立った。走が先週渡した「踵で走る、止まるとき外へふくらむ」を、この人は使っていた。


「よし!」


 走は声を出した。


 出してから、自分でも少し驚いた。


 うれしかった。


 うれしいのと、そこに立っていたかったのが、同時に来た。


 二つは、並んだまま消えなかった。


「東さん。そこじゃないです」


 隣に眞鍋が座っていた。膝にタブレットを載せ、画面から目を上げずに言う。


「先週から作ってる項目があります。見ますか」


 差し出された画面には、見慣れない表が出ていた。


 左の列に時刻。右の列に番号が二つずつ。相手ベンチの登録が七人で、うち四人はもうウォームアップに出ている。誰がいつ立ち上がったかまで、分単位で記録されていた。


「私、三年ぶん東さんの数字を取ってきましたけど」


 眞鍋は淡々と言った。


「先週の試合、私のグラフはどこも間違ってませんでした。東さんは相手の脚を削り切ってます。数字は全部、東さんの勝ちでした」


「……はい」


「なのに負けました。つまり、私が取ってなかった数字があるということです」


「六十三分です」


 走は言った。


「あの交代の時刻、残ってますか」


「残ってます」


「その前の五分、相手のベンチで誰が立ってたか、分かりますか」


 眞鍋が画面を繰った。


「五十六分から二人。うち一人が十四番です」


「……七分前から、立ってたんですね」


「立ってました」


 眞鍋は言った。


「私、そこはメモしてたんですけど、東さんに言う項目だと思ってませんでした」


「言う項目です」


「そうみたいですね」


 眞鍋はタブレットに何か打ち込んだ。


「東さん、私、一つ気になってることがあるんですけど」


「なんですか」


「交代が入った直後、何分かだけ、相手の守り方がばらつくんです」


 走は顔を上げた。


「見てましたか」


「見てました。毎回じゃないです。ばらつかない日もあります」


 眞鍋は正直だった。


「ばらつくのは、入ってきた選手がどこを見るか決まってないときだけです。前から決めてあるチームは、ばらつきません」


「……それ、見分けられますか」


「たぶん。交代の直後に、入った選手が誰かを指すかどうかです」


 前半十九分に、失点した。


 中央でこぼれ球を押し込まれた形で、右とは関係のない一点だった。〇対一のまま、前半が終わる。


 後半、走はピッチを見るのをやめた。


 ベンチを見た。


 ピッチの十一人は、表に出ている筋肉だ。それを動かしているのは、タッチラインの内側に座っている側だった。


 後半十一分、相手が二枚替えた。前の二枚だ。


「一回目」眞鍋が時刻を打ち込む。「あと二回。カードはあと三枚です」


 走は交代の直後を見た。


 入ってきた選手が、味方を指していない。誰を見るのかを、ピッチの上で確かめ合っている。


 マークの受け渡しが、一度だけ遅れた。


 そのあと、縫い目が閉じるように、チームがまた一つの形へ戻った。


 何分だったかは、数えそこねた。


 後半二十二分、相手が三枚目を切った。今度は中盤だった。


 その直後だった。


 海が最終ラインの前で拾い、顔も上げずに左へ振る。岳が一列押し上げてクロス。中央へ走り込んだ立花が、頭で押し込んだ。


 一対一。


 立花は誰にも掴まれていなかった。入ったばかりの中盤が、誰を見るのかをまだ知らなかったからだ。


 走は眞鍋を見た。眞鍋も、走を見ていた。


 同じ二秒を、二人が同じ理由で見ていた。


 後半三十五分、須賀の背後を取られかけた。


「須賀さん、後ろ!」


 走は立ち上がって叫んでいた。


 考えていなかった。名前と二音が、先に出た。


 須賀が振り返って、半歩戻った。ボールが外へ流れた。


 走は座り直した。


 座り直してから、自分の手が汗ばんでいるのに気づいた。


 試合はそのまま終わった。一対一。


 鬼塚は後半に二枚使い、三枚目は最後まで切らなかった。走は九十分、一度も呼ばれなかった。


 引き上げるとき、鬼塚が走の横を通った。


「座ってるのは、退屈だったか」


「いえ」走は答えた。「よく視えました」


 鬼塚は足を止めなかった。


 ロッカーで、走は須賀を待った。


「須賀さん」


「おう」


「後半三十五分の前、相手が三枚目を入れましたよね」


「入れたな」


「あのあと、やりにくかったですか」


 須賀は少し考えた。


「やりにくかった。誰が来るか、二分くらい読めなかった」


「二分ですか」


「体感だけどな。……なんだよ、それ聞いてどうすんだ」


「使えると思って」


「使えるのか、あれ」


「たぶん」


 須賀は「変なやつだな」と言って、笑った。


 その夜、走はノートを開いた。


 先週とは違って、書くことは決まっていた。


 ――一つ。代えの利かない選手だけを削る。前の脚は替えが利く。中盤の底と、最終ラインの中央は、替わりにくい。


 ――二つ。脚ではなく、交代枠を削る。五人と三回は有限だ。前半に使わせたカードは、終盤には存在しない。


 ――三つ。交代の直後を狙う。入った選手が、誰を見るかを知らない時間がある。何分続くかは相手による。長い日もあれば、無い日もある。


 三行目のところで、走はペンを止めた。


 何分か、は分からない。分からないことは、分からないと書いておく。


 その下に、もう一行足した。


 ――ベンチが立つ時刻を、眞鍋さんに頼む。


 ペンを置いて、走は三行を読み返した。


 削るのは脚だ、と六年間思ってきた。


 脚だけではなかった。


(――俺の敵は、十六人いる)


 書いてから、走はもう一度ベンチの絵を思い出した。


 今日、走が座っていたのは、相手ベンチのほうではない。


 視なければならない十六人目は、まだ一組ある。

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