第112話 十六人目
リーグ第四節。相手は県外の強豪だった。
立花に教わった形は、リーグでも回りはじめていた。走が右で削り、浮いた一秒を中へ渡す。「浮いた」の二音で、岳が左から一列を押し上げる。
開幕から三戦、右サイドは一度も破られていない。
この日も、入りは同じだった。
対面は速い左ウイングだった。十一番。最初の五分で、走はその速さの中身を視た。初速で強引に置き去りにする型。急には、止まれない脚だ。
(――削れる)
走はいつもの網を張った。
わざと縦に隙間を見せる。十一番が食いつく。急停止。切り返し。そのたびに燃料計がひと目盛りずつ落ちていく。走は抜かれない。抜かれないまま、相手の脚だけを使わせる。
前半のうちに二十回、十一番は無駄に止まった。
踏み込みが浅くなり、戻りが半分になり、前半の終わりには走の前で仕掛けること自体をやめた。
削り切った。
ハーフタイムのロッカーで、走は自分の設計を確かめた。
後半の三十分から、上がる。十一番の脚は、そこまで保たない。走が四十五分かけて作った差を、最後の十五分で点にする。
この試合を動かすのは、自分だ。
走はそう思っていた。思っていることを、財前にも言った。
「後半、終盤に行く」
「行け」
「裏、頼む」
「聞いた」
六十三分、相手のベンチが動いた。
ボードに出た番号を見て、走は一瞬、意味を取り損ねた。
十一番が、下がる。
四十五分かけて空にした脚が、ボード一枚で、ピッチの外へ運ばれていく。
かわりに入ってきたのは、脚の軽い別のウイングだった。ウォームアップを終えたばかりの、湯気の立つような脚だ。
(――待て)
走の設計図が、頭の中で音を立てた。
交代は五人まで。機会は三度。ルールは知っていた。知識としては、最初から知っていた。
だが走の削りは、削った相手がピッチに残りつづけることを前提に組まれていた。中学の相手は、そこまで交代を使ってこなかった。使える層が、ベンチに無かったからだ。
ここは、違う。
新しいウイングが、最初の一本で仕掛けてきた。
走の眼は読めていた。重心も、軸足も、蹴り足も。
だが走の脚が、半歩遅れた。
四十五分、十一番を削るために走自身も走りつづけていた。削る戦術は、削る側も無傷ではいられない。残っていたのは、その先の十五分を動かすための脚だ。満タンの脚と正面からぶつかる想定ではなかった。
抜かれた。
折り返しが中央へ通り、失点した。一対二。
走はゴールネットを見ていた。
(――そこを変えられたとき、俺が遅れた)
残り十分、鬼塚が動いた。
ボードに出た番号は、走のものだった。
走は一度、ベンチのほうを見た。
見てから、自分の口の中で「まだ、やれる」と言った。
声には出さなかった。
タッチライン際で、須賀が待っていた。二年の右サイドバックだ。
走は足を止めて、短く言った。
「十四番、いま入ったやつです。踵で走ります。止まるとき、外へ一歩ふくらみます」
「分かった」
「あと、あと十分なら、削らなくていいです。並んでください」
須賀はうなずいて、ピッチへ入っていった。
走はベンチに座った。
タオルを被った。
被ってから、自分の膝の上で拳を握っていることに気づいた。
(――まだ、やれたのに)
脚は残っている。四十五分の削りで使ったぶんを差し引いても、走の身体はまだ動く。
動くのに、ピッチにいない。
走はタオルの中で、一度だけ長く息を吐いた。
試合は一対二のまま終わった。
引き上げる列の途中で、鬼塚が走の横に並んだ。
「削り切った脚から、代えられていく」
鬼塚は前を見たまま言った。
「当たり前の話だ。お前のやり方は、相手のベンチが浅いほど効く。……ここから上は、深くなる一方だぞ」
それだけ言って、行ってしまった。
慰めではなかった。診断だった。
その夜、走はノートを開いた。
書くことが、なかなか決まらなかった。
まず、できたことを書いた。
――前半四十五分。十一番、二十回止めた。仕掛けを諦めさせた。
これは、間違っていない。四十五分ぶんの仕事は、実際に成立している。
その下に、間に合わなかったほうを書いた。
――六十三分、相手が十一番を下げた。俺は、その一本目に半歩遅れた。
二行を並べて、走はしばらく見ていた。
削るという戦術を、走は六年かけて作った。米袋の前で覚えた我慢と、物置の片脚立ちと、体育館の床で数えた急停止。
その六年が無駄になったのではない。
六年ぶんは、前半にちゃんと出ている。
足りなかったのは、そのあとだ。
走はもう二行、書いた。
――俺は九十分を設計していた。相手は九十分を、三人で分担していた。
――俺の盤面には十一人しかいなかった。相手は、十六人いた。
ペンを置いてからも、走はその行を見ていた。
どこから見直すか、今夜のうちには決まらなかった。
決まらないまま、走はノートを閉じた。




