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『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第六章 才能を捉える日

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110/140

第110話 岳の背中、ふたたび

 二日目の朝、走は隣のピッチで実戦形式を見ていた。


 最終ラインの中央に、頭ひとつ抜けた男がいた。


 黒木岳。高校三年。


 去年の七月、走は二階の窓からこの人を見下ろした。その週の金曜に、クラブハウスの外で立ち話をした。


 今年から、同じピッチだ。


 走がまず見たのは、位置だった。


 中央にいる。


 去年、この人は右にいた。右で燃料を使い切って、押し出されかけていた。


 そこから中央へ動いている。


《観察/黒木 岳・高三》

位置 ――― 右から中央へ。今年から。

初速 ――― 落ちていない。三年前より速い。

中央での往復 ――― 右のときより短い。燃費は改善。

残っている難所 ――― 前へ釣り出されたあとの、背中の一枚。


 一度、こんな場面があった。


 相手のセンターフォワードが引いて受け、岳をじりじり前へ釣り出す。岳が食いついた瞬間、空いた背中へ別の選手が斜めに走り込んだ。


 中央のもう一枚が埋めようとスライドする。だが半歩届かない。


 生まれた隙間に縦パスが通り、飛び出したキーパーが爪先ひとつで掻き出した。芝が削れて白い粉が舞う。


 岳はその一連のあと、自分の立っていた場所をしばらく見つめていた。


 実戦が切れると、岳が走に気づいた。


 大きな身体がゆっくり近づいてくる。


「来たか」


 中一の終わりに「次はユースで待ってる」と言った男の、答え合わせだった。


「来ました」


 走はそう言った。


 言ってから、自分が笑っているのが分かった。


「やっと一緒ですね」


「気持ち悪いこと言うな」


「去年もそう言われました」


「言ったな」


 岳は口の端を歪めた。


「中央、いつからですか」


 走が聞いた。


「今年から」


 岳は言った。


「去年、右で四試合しか出とらん。冬に監督と話して、中央を試すことになった」


「どうですか」


「楽だ」


 岳はあっさり言った。


「走る距離が半分になった。九十分、脚が残る」


「よかったです」


「よくない」


 岳は言った。


「楽になったぶん、別のが来た。中央は、遅れた一歩が全部失点になる」


 走は黙って続きを待った。


「さっきのあれだ」


 岳は顎で、さっきの場面のほうをしゃくった。


「引いてこられると、俺は出たくなる。出たら背中が空く。分かってても、出る」


「出たくなるのは、身体が届くからです」


 走は言った。


「届かない人は、最初から出ません」


 岳がこちらを見た。


「褒めてんのか」


「事実です」


「相変わらずだな、お前」


 その日の全体練習の終わりに、鬼塚が二人を呼んだ。


「黒木。残りの一年、左をやってみろ」


 岳の眉が動いた。


「左ですか」


「中央は、お前にはもったいない。あの初速を中で使うのは、半分しか使っとらん」


 鬼塚は淡々と言った。


「右は東に任せる。お前は身体で守る。東は読んで守る。思想が逆の二人を、同じ最終ラインの端と端に並べる。噛み合うか、試す」


 それは、走をユースの右サイドバックに据えるという宣言でもあった。


 走は自分の心臓が一つ大きく打つのを感じた。


 岳は少し黙った。


「……左は、やったことがないです」


「やってみろ」


「やります」


 岳はそれだけ言って、走をちらと見た。


「東。左の守り方、お前、教えられるか」


 走は少し驚いた。


 三年前、眼中にも入れなかった男が、いま走に聞いている。


「教えられます」


 走は言った。


「ただ、俺は右しかやったことがないので、鏡に映したやつになります」


「それでいい」


 練習のあと、二人はピッチの隅に残った。


 走はコーンを二つ置いた。


「左は、利き足の関係で、縦と中の値段が違います」


「値段」


「右の選手が左に立つと、身体の開き方が逆になります。縦を切ると中が空きやすい。だから、切る順番を右と逆にします」


 走は歩きながら説明して、それから一本やってみせた。


 岳が同じ形をやった。


 一本目は、身体の開きが足りなかった。


「もう半歩、外です」


「これか」


「それです」


 二本目で、岳の足が正しい場所に着いた。


 三本目で、岳は自分で「分かった」と言った。


 走は少し驚いた。


 この人は、覚えるのが速い。


「東」


 岳が言った。


「こっちからも一つ聞く」


「はい」


「お前、さっき番場に当たられて残ったろ。あれ、どうやってる」


「胸の一段下です」


「一段下」


「岳さんが去年やってたのを、窓から見て真似しました」


 岳が、そこで初めて笑った。


 三年前の、鷹揚な絶対者の笑みではない。


「見てたのか、あれ」


「見てました」


「盗むな」


「盗みます」


「うっわ」


 岳は笑って、それから自分の肩を回した。


「もう一回やれ。角度、見てやる」


 走は肩から入る形を三本やった。


 二本目で、岳が言った。


「いまの、肘が下がった」


「下がりましたか」


「下がった。そこ落ちると、相手の腰が先に入る」


 走はもう一本やった。


「いまのだ」


「……ありがとうございます」


「盗んだぶんは返す」


 岳はそう言って、立ち上がった。


 その日の最後の紅白戦で、右に走が、左に岳が立った。


 同じ最終ラインの、端と端だった。


 前半の途中で、相手がこちらの左を突いてきた。


 岳の背中が空きかけた。


「黒木さん、後ろ!」


 走は叫んだ。


 岳が半歩戻った。


 ボールが外へ流れて、スローインになった。


 岳が振り返って、片手を上げた。


「東!」


「はい!」


「いまの、もう一回言え!」


 走は笑った。


「後ろ、って言えばいいですか」


「それでいい。早いほうがいい」


 三年前、この人は走の名前を知らなかった。


 いま、同じピッチで、名前を呼び合っている。


 それだけのことが、走には妙に長くかかった気がした。

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