↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『親に夢を諦めさせられて医者になった俺、転生して今度こそ本気でサッカーをやる』  ~最新スポーツ医学で"90分落ちない身体"を設計し、世界一のサイドバックになる~  作者: 猫の飼い主
第六章 才能を捉える日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
109/140

第109話 ここも、また下から

 初日の朝、走は七時十五分に部屋を出た。


 桧山が本当に声をかけに来た。


 グラウンドまでの五分で、走は二つ質問をして、二つとも答えが返ってきた。集合は何時に締まるのか。水は自分で持っていくのか。


「お前、質問多いな」


「多いです」


「まあ、聞くやつのほうが早く慣れるわ」


 ピッチに立った瞬間、走は息を一度、止めた。


 周りが、大きい。


 それも全員がだ。下の学年から上の学年まで、そこにいる誰もが三年前の岳のような身体をしていた。


 走は一七二センチある。同学年の平均には、もう届いている。


 だが二つ上には一八〇を超える子が何人もいた。厚みが二年ぶん違う。


 走はまた、その中でいちばん薄い一人になっていた。


(……ここは、岳さんが標準の世界か)


 最初のミニゲームで、接触の質が違うのがすぐに分かった。


 肩が当たった瞬間の重さが、去年までと別物だった。


 走は二本、外へ押し出された。


 三本目で、当たり方を変えた。


 正面から受けずに、相手の胸の一段下へ肩を入れる。去年の七月、二階の窓から岳がやっているのを見た形だ。


 流れなかった。


 四本目も、流れなかった。


 走は自分の背中の感触を確かめた。


 当たり方は、変えられる。変えれば、今日からでも持つ。


 紅白戦のメンバーが分かれたとき、対面のウイングが走を上から下まで眺めた。


 番場(ばんば)。一つ上の、主力の右ウイングだ。縦に速く、点も取る。


「お前が、東?」


 番場は口の端で笑った。


「名簿の四番目って聞いたけどよ。……九十分走るだけの田舎の子が、なんで四番なんだ?」


 走は答えなかった。


 ただ、腰を落とした。


 答えるかわりに、走の眼が灯る。


 縦は本物に速い。だが番場は踵から強く地面を叩いて走る。強く叩くほど、次の一歩までの空白は深くなる。速さと引き換えの、力の抜ける谷だ。


 三年間、走はこれを数えてきた。数え方は、上がっても変わらない。


 試合が始まった。


 番場が縦へ仕掛けてきた。


 走は削らなかった。半歩を譲って走らせ、番場の加速に付き合う。そして、あの谷が来る一瞬。番場の脚から力がふっと抜けたその半歩へ、走は身体を先に置いた。


 抜けるはずの縦の芝が、もうない。


 番場の爪先が行き場を失って、外へ流れた。


「よし」


 走は短く言った。


 自分でも、思ったより声が出た。


 近くにいた同学年が振り返った。


「東、いまの止めたの?」


「止めた」


「うっま」


 二本目も、同じだった。番場が加速する。谷が来る。走がそこに立っている。


 三本、四本。番場は力でこじ開けようと、さらに強く踵を打った。だが強く叩くほど、谷は深くなる。


 六本目の折り返しで、番場の肩が大きく上下した。


 もう、一本目の速さがない。


 番場が、膝に手をついた。走を見る目から、さっきの笑みが消えている。


「……お前、なんなんだよ」


 番場は、息の下から言った。


「削られてもねえのに、なんで俺だけ、こんなに疲れてんだ」


「踵です」


 走は答えた。


「踵で走ると、次の一歩までの間が空きます。そこに先に立ってるだけです」


 番場は口を開けて、それから閉じた。


「……説明すんのかよ」


「聞かれたので」


「気持ち悪いな、お前」


 そう言って、番場はピッチへ戻っていった。


 言い方はきつかったが、背中は怒っていなかった。


 中盤に、海がいた。


 同じ日に上がってきた相棒だ。


「海」


 走は呼んだ。


「もう一本」


 海が顔を上げた。


 走は右の外を上がった。


 手を上げる。海がそれを見る。


 落ちてきたボールが、走の足の三歩先にあった。


 合った。


 去年の秋から何十回も合わせた、あの距離だった。


「東」


 海が言った。


「八秒だ。今日は八秒で戻れ」


「戻ります」


「九割だからな、俺は」


 海は自分の右膝を一度叩いて、中央へ戻っていった。


 練習が終わって、鬼塚が走を呼んだ。


 この春から、ユースの監督も兼ねている。


「東」


「はい」


「番場を、削らずに黙らせたな」


「はい」


「何をした」


 走は答えた。


「踵で走る選手の、力が抜ける半歩に先に立ちました。三年やってきたやり方です。上でも通じました」


「たまたまか」


「たまたまではないです」


 走は言った。


「ただ、あの人は初対面でした。二度目は、走り方を変えてくると思います」


「変えられたら」


「そのとき考えます。……あと、一つ、今日できなかったことがあります」


「言え」


「番場さんが外へ流れたあと、戻りが一歩遅れました。抜かせない代わりに、その次が間に合ってません」


 走は言った。


「次は、あの戻りにも間に合わせたいです」


 鬼塚はしばらく走を見ていた。


「お前の九十分は、ここじゃ全員が持ってる」


「はい」


「前半に流す小手先も、いずれ全部読まれる」


「はい」


「せいぜい、また何か拾ってみせろ」


 突き放しではなかった。


 また拾ってみせろ――去年この人がくれた言葉の続きだった。


 その夜、走は自室でノートを開いた。


 今日の練習量、眠った時間、翌朝へ残る疲労。


 自分の身体の帳簿を、走は毎日つけている。三年つけてきて、一度だけ、書いた次の日に自分で線を越えた。八月二十日の一行は、いまも消していない。


 ページの端に、走は今日ぶんを書き足した。


 ――番場。踵。谷。当たり方を変えれば、この身体でも残る。


 ――戻りが一歩遅い。


 窓の外に、暗いユースのグラウンドが広がっている。


 ここには岳がいる。名古屋のもう一方の端には、青嵐のリクとソラがいた。


 ここも、また下からだ。


 だが今度は、下ろされてそこにいるのではない。自分で選んで、この最下段を踏んだ。


 走は窓を細く開けた。


 夜の芝の匂いが、湿って上がってくる。三年前より、ずっと広い。


 明日は、あの戻りを試す。


 早く朝になればいい、と走は思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。