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7 壊れていく記憶

 バタンッ――。


 ヴァレンシュタイン伯爵家の門が、サレマの背後で重々しい音を立てて閉ざされた。


 サレマはゆっくりと振り返る。


「……。」


 十年間。


 家族と暮らした場所。


 母として積み重ねてきた時間。


 それは、突然にして奪われた。


 お金も着替えも、何一つ持たぬまま。


 旅支度すら、許されぬまま。


 帰る場所なんて、もう――。


 その時だった。


 門の脇に止められた一台の馬車が目に入る。


「馬車……わたしの……。」


 それはサレマが婚姻の日、実家から持ってきた数少ない嫁入り道具だった。


 ふと、遠い日の記憶が蘇る―――。


 ・・・・・ 


 弟が産まれたばかりの、晴れた日の午後。


『ようやく完成したぞ。』


 サレマの父は誇らしげに、一台の真新しい馬車を撫でる。


『いつかお前が嫁に行く日、アルディス家の娘として胸を張って送り出せるようにな。』


『もう、お父様ったら。』


 嫁という言葉。


 まだ幼かった私はちょっと照れくさかった。


 そんな私の頭を、父は笑いながら撫でてくれた。


『お前はこれから弟や妹たちの手本になる。立派な淑女になりなさい。』


 ・・・・・


「……そうだわ。」


 実家のアルディス家。


 辺境までの道のりは遠い。


 徒歩では、とても辿り着ける距離ではない。


 それでも、この馬車があれば。


 「お父様……。」


 張り詰めていた胸が、ほんの少しだけ緩む。


「これがあれば、帰れる。」


 震える手が、馬車の扉へ伸びる。


 あと少し。


 指先が触れようとした、その瞬間だった。


「触るな!!!」


 突然の怒声に、サレマの手がびくりと止まった。


「その馬車はヴァレンシュタイン家の所有物だっ。」


「そんな……!?」


 サレマは信じられないというように首を振る。


「これは私が婚姻の時に実家から持ってきた、お父様にいただいた馬車よ!」


「黙れ!」


 衛兵は吐き捨てるように言った。


「レオルド様よりの通達だ。」


「お願い!これだけは許して!」


「くどい!いつまで奥様気取りでいるのだ!?」


 ドンッ!


 容赦なく蹴り飛ばされた身体が石畳へ投げ出される。


「きゃっ!」


 裂けたドレスの裾がさらに泥にまみれる。


 肘を擦りむき、赤い血がゆっくりと石畳へ滲んでいった。


「……つぅ。」


 痛みに顔を歪めながら、サレマは震える両手を石畳につく。


 何度も足に力を入れようとするが、膝は思うように動かなかった。


 それでも。


 ここで立ち止まるわけにはいかない。


 サレマは歯を食いしばり、ようやく身体を起こすと、ふらつく足取りのままヴァレンシュタイン家の門前を後にした。


 アルディス家までは遠い。


 ただ、立ち止まれば心まで折れてしまいそうで、足を前へ運ぶことしか出来なかった。


「帰らなきゃ……アルディスに……。」


 頬を撫でる風が冷たい。



『十年間、お疲れ様。』



 耳元で囁かれた、リリアの声だけが何度も蘇る。


 思い出したくはなかった。


 でも―――。


 今まで気にも留めなかった記憶が、一つ、また一つと浮かび上がってくる。


「リリア、いつから私を……?」


 □□□


 アルディス魔法学園の入学式。


 お父様が買ってくれた学園用のカバン。


『これ、素敵!……お姉ちゃんにぴったりね』

 

 リリアは無邪気にそれを背負いながら、一緒に喜んでくれた。


 □□□


 アルディス魔法学園の卒業式。


 私が首席で卒業し、アルディスの人々から祝福を受けた。


『お姉ちゃんはリリアの自慢なの!』


 誰よりも先に飛びついてきて、私の隣に立って……。


(違う。)


 あの子が見ていたのは、皆が私へ向ける拍手だった……?


 □□□


 学園中等部で出来た友人を屋敷へ招いた日。


『お姉ちゃん、お友達いっぱいだね!』


 私の連れて来た友達の中で、人懐っこく笑うリリア。


(違う。)


 あの子は私のコミュニティへ侵入したかっただけ。


 □□□


 婚約者のレオルドを紹介した日。


 リリアは私よりも着飾って、ばっちりメイクして……。


『お姉ちゃんの妹として恥ずかしくないようにしないとね!』


 □□□


「違うでしょ!」 


 あの声も。


 あの笑顔も。


 全部、嘘だった。


 可愛い妹なんて、最初からいなかった。


 父の愛情も。


 学園での栄光も。


 友人も。


 そして、夫も。


 あの子が見ていたのは。


 全部……。


『あの子が欲しかったもの』だ。


 胸の奥がぎりりと軋む。


 息が苦しい。


 視界が滲む。


 ・・・


 気付けば、人通りの多い街へ出ていた。


 行き交う人々が、ぼろぼろのドレス姿の女性へ視線を向ける。


「あの人、どうしたの?」


「どっかで見た事あるような。」


 ざわめきは少しずつ広がっていく。


 だが、サレマには何も聞こえない。


 耳に届くのは、自分の荒い呼吸だけ。


 その時だった。


 一人の青年が、人混みの向こうで足を止める。


「……え?」


 ぼろぼろのドレスの女の顔、その姿をはっきりと確認する。


「あのお方は……!」


 青年の顔色が変わった。


「どうして……!?」


 青年の視界の中で、サレマの身体が大きく揺れる。


「もう……だめ……。」


 サレマの足から力が抜け、世界が傾く。


 石畳へ倒れ込む、その瞬間。


 誰かが駆け寄る足音だけが、遠くで聞こえていた。


 ・・・


 数刻後―――。


 心地よい振動と暖かな毛布に包まれ、サレマはゆっくりと目を覚ました。


「……ここは。」


 揺れる車内で身を起こし、恐る恐る窓へ目を向ける。


「……え?」


 流れていく山並み。


 見覚えのある河川。

 

 そして、遠くに見える時計塔。


 幼い頃に何度も通った、懐かしい風景だった。


「アルディス……。」

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