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4 母を偽る女

 サレマに非難が集中する会場の中、レオンはゆっくりと顔を上げると、二人の母を静かに見つめた。


 今まで育ててくれたサレマ。


 突然現れた、本当の母だという美しいリリア。


 震える唇をきゅっと結び、小さな拳を胸の前で握り締めた。


 そして、何かを決意したように一歩だけ前へ踏み出す。


「――偽物のお母様は、出てって!」


 少年の澄んだ声で、会場を埋め尽くしていたざわめきは嘘のように静まり返った。


 レオンはサレマに向かって歩き出した。


 幼い靴音だけが、張りつめた静寂の中へ規則正しく響いていく。


 その姿を見つめるサレマの頬を、一筋の涙が伝った。


「ああ、レオン。」


 張りつめていた胸の奥から、安堵がゆっくりと込み上げてくる。


 この子だけは。


 この子だけは、私を信じてくれた。


 溢れそうになる涙を堪えながら、サレマはそっと両腕を広げる。


「おいで、レオン……。」


 泣き虫だった幼い日も、眠れない夜も、熱を出して苦しんだ日も。


 何度も何度も、この腕の中で抱き締めてきた。


 今日もまた、そうすればいい。


 レオンとの距離が、一歩、また一歩と縮まっていく。


 あと少し。


 あと一歩だけ近づけば、その小さな身体を抱き締められる。


 サレマは両手を広げ、精一杯微笑んだ。


「さあ、レオ……。」


 スッ―——。


 だが、その小さな身体はサレマのすぐ脇を静かに通り過ぎていく。


「あっ……。」


 サレマの掠れた声が零れる。


 そのまま真っ直ぐ駆け抜けると、広間の奥で涙を流すリリアへ勢いよく飛び込んだ。


「お母様!」


 リリアは涙を溢れさせながら、レオンを胸へ強く抱き寄せる。


「ああレオン……!私の可愛いレオン……。」


 レオンはその腕の中で、そっと顔を上げた。


 淡いピンク色の髪は輝き、雪のように白い肌を伝う涙は、その美しさを際立たせていた。


 その姿に、貴族の男たちは誰もが見惚れ、先ほどまでサレマを笑っていた子どもたちでさえ、羨望の眼差しを向けている。


 神童と讃えられ、誰よりも将来を期待されながら育った少年は、それだけを見ていた。


 ただ、それだけだった。

 

 十年間、命を削って育てた息子は、その日、自らの意思で母を捨てた。


 ・・・・・


 それは、誰の目にも、感動的な親子の再会に映っていた。


 静まり返った祝賀会場に、やがて一人の貴族が震える声で口を開く。


「……本物です。」


「この親子鑑定書、王家公認の正式なものです!」


 その一言をきっかけに、張りつめていた空気が一気に崩れた。


「親子の絆は誤魔化せなかったな。」


「レオン殿は本当の母親を選んだんだ!」


 レオルドはゆっくりと会場を見渡すと、勝利を確信したように口元を歪めた。


「ふっ。もう観念するんだ、サレマ!」


 そう言って、立ち尽くすサレマへ冷たい視線を向ける。


「この子が自ら本当の母を選んだ。

 これ以上、何を疑う必要がある。」


 その言葉が、最後の一押しとなった。


 祝賀会場に残っていた最後の疑いは、音を立てて崩れ去った。


 結果、誰一人として憔悴したサレマへ歩み寄る者はいなかった。


「衛兵。」


 静まり返った広間に、レオルドの低い声が響く。


「この女を、公爵家から追放しろ。」


 レオルドの命令に、衛兵たちは一瞬だけ顔を見合わせた。


 しかし、逆らう者は誰一人いない。


 二人の衛兵が静かに歩み寄り、サレマの両腕へ手を伸ばした。


 その時だった。


「……お待ちください!」


 凛とした声が広間へ響く。


 振り返ると、レオンを優しく抱き寄せたまま、リリアがゆっくりと立ち上がっていた。


「今日は、レオンの首席合格を祝う大切な日です。」


 その瞳には大粒の涙が浮かんでいる。


「これ以上、騒ぎを大きくしたくありません。」


「リリア!?しかし、この女は!」


 レオルドが声を荒らげると、リリアは小さく首を振った。


「お願いです。どうか、最後だけは姉妹だけの時間をください。」


 瞳を揺らしながら懇願するリリアに、何も言えなくなるレオルド。 


「リリア様……。」


 貴族の一人が感嘆の息を漏らす。


「なんというお優しい方だ。」


「自分を苦しめた相手にまで情けを掛けるとは。」


「これが本当の聖女か……。」


 レオンも不思議そうにリリアを見上げる。


「お母様……?」


 リリアは優しく微笑み、その頭をそっと撫でた。


「レオン。少しだけ、待っていてくれる?」


「……はい!お母様!」


 レオルドは大きく息を吐くと、小さく頷いた。


「リリアたっての願いだ。全員、席を外してくれ。」


 その声に、使用人も貴族たちも、次々と広間を後に控室へ移動していく。


 やがて、大広間にはサレマとリリア、アルディスの姉妹二人だけが残された。


 ・・・・・


 静寂が流れる大広間。


 先に口を開いたのは、リリアだった。


「やつれたわねぇ、お姉様。」


 その声には、先ほどまでの優しさは欠片もない。


「私ほどじゃないにしても、もう少しマシな姿を想像していたのだけれど。」


「リリア。そんなことは今、どうでもいいでしょう!?」


 サレマは震える声で叫ぶ。


「それより、この茶番はどういうことなの!?」


 リリアは肩をすくめ、くすりと笑う。


「どういうことって?さっき、みんなの前で話した通りよ?」


「ふざけないで!

 あなたは十年前、婚儀の日が決まったとたんに突然姿を消したのよ!」


 リリアは姉の言葉など無視して、銀食器を手に自分の前髪を直す。


「それが今さら現れたと思ったら、あんな嘘までついて!」


 リリアは口元に笑みを浮かべたまま、一歩近づく。


「嘘ぉ?」


「嘘じゃないわ?

 レオンは本当に私とレオルドの子よ?

 ……まぁ、予定外だったけどね」


「な、なんですって!?」


「仕方ないじゃない?

 イケメン公爵様をちょっと味見しただけなのに、

 あの男ったら興奮しちゃってさぁ……。」


 何を言っているの?


 気持ち悪い―――。


 これが本当に自分の知ってる妹なの?


「ふふっ。かわいい妹がどうして――っとか、思ってる?」


 心を読まれたサレマは、ハッと顔を上げる。


「昔っからムカついてたのよねぇ、優秀なあんたが」


「……っ!?」


「魔力がすごいだか何だか知らないけど、

 あんただけみんなにちやほやされて、神童とか言われちゃって。」


 もう、目の前の女が妹にすら見えなかった。


「あなたが、あたしの事が嫌いだったのは分かった……でも!」


「でもぉ?」  


「レオンの事よ!!」


「レオルドとあなたの間に子供が出来たんだったら、

 十年前の婚姻の儀の前に言ってくれたら!」


「私だって、おとなしく身を引いたのに!」


 大広間にサレマの叫びだけがむなしく響く。


「はぁ。相変わらず能天気ねぇ。お姉様は。」


 手にしていたの銀食器をサレマへ向ける。 


「ほら。自分の顔を見てごらんなさい?」


 リリアを捉えていた目を恐る恐る銀食器に移す。

 銀食器は、白銀の髪とやつれ切ったサレマの姿を映していた。


「こんな醜い姿になって。

 そんなんだから、育てた子どもにまで捨てられるのよ。」


「リリア!もう許さないわよ!!」


 怒りに震え、サレマが一歩踏み出した、その瞬間。


 リリアはテーブルの上のフォークを掴むと――。


「ふふ。本当に、お姉さまらしい最後だわ。」


 そう言って自らの手の甲へ、勢いよく突き刺した。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

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