3 死んだはずの妹
そして。
ついに王国最高峰の名門、王都中央魔法学園の入学試験の日が訪れた。
レオンを送り出した伯爵邸。
ピリピリするレオルド。
顔色を伺う使用人たち。
屋敷には、どこか落ち着かない空気が流れていた。
「むう……まだか、まだか。」
レオルドは書斎とリビングを何度も行き来し、時計へ視線を向けては小さくため息をつく。
その様子を見かねたサレマが、温かい紅茶を差し出した。
「あなた、少し落ち着いてください。」
「これが落ち着いていられるか!」
レオルドは思わず声を荒らげる。
だが、すぐに我に返ると、小さく息を吐いた。
「いや、すまん。」
カップを受け取りながら苦笑する。
「レオンなら大丈夫です。」
サレマの穏やかな表情を見つめていたレオルドは、ふと眉をひそめる。
「……それにしても。」
「はい?」
「サレマ。最近あまり、身なりを気にしなくなったな。」
サレマは一瞬だけ動きを止めた。
「女……いや、伯爵家の夫人として、もう少し気を遣った方がいい。」
視線は、白く混じった髪へ向けられている。
サレマはそっと髪へ触れ、小さく笑った。
「そうですよね……ごめんなさい。」
部屋には、静かな沈黙だけが残る。
「レオンの試験が終われば、少しは落ち着きますから。」
「……そうか。」
それだけ言うと、レオルドは興味を無くしたように再び窓の外へ目を向けた。
サレマは何も言わず、冷め始めた紅茶へそっと視線を落とした。
・・・・・
合格発表、当日。
学園には、早朝から受験生とその家族が押し寄せていた。
「貼り出されたぞ!」
誰かの声と同時に、人波が一斉に掲示板へ押し寄せる。
その最上段。
誰よりも目立つ場所に、一つの名が刻まれていた。
『レオン・ヴァレンシュタイン』
魔法実技試験――歴代最高記録。
魔力測定――小児測定機を超過。
問答無用の首席合格。
一瞬の静寂のあと、歓声が上がる。
「やりやがった!首席はヴァレンシュタイン家だ!」
準男爵家から公爵家まで、様々な貴族たち。
彼らの歓声はいつしか拍手へ変わり、学園中を駆け巡る。その知らせが耳に届いたレオルドは、興奮を隠しきれない様子で屋敷へ戻った。
「やったぞ!」
そう言って、レオンを高々と抱き上げる。
「わぁ、お父様!」
「お前が一番だ!」
無邪気にはしゃぐレオンの笑い声が、屋敷中へ響いた。
その父子の姿を見つめながら、サレマは胸の前でそっと手を組み、静かに微笑む。
(これでいい……。)
命を削り続けた十年。
そのすべてが、この日のためにあったのだと、サレマは心の底から、そう信じていた。
・・・・・
数日後。
ヴァレンシュタイン伯爵家では、レオンの首席合格を祝う盛大な祝賀会が開かれることになった。
「我がヴァレンシュタイン家の新たな歴史が、今日ここから始まるのです!」
王侯貴族が次々と訪れ、レオルドは誇らしげに胸を張る。
「ヴァレンシュタイン家に乾杯!」
あちこちでグラスが鳴り響く。
「おめでとう!!」
誰もが神童レオンを称えていた。
白銀の髪を結ったサレマは、疲れを隠しきれないまま壇上でその光景を見つめていた。
「ねえ、あれがレオン君のママ?」
「絶世の美女だって聞いたけど。」
お祝いムードに水を差す、そんな子どもたちの囁きがレオンの耳に届く。
「レオン君も完璧じゃないんだなー。」
クスクスと笑い声が広がると、レオンの表情が変わった。
———キッ。
子どもたちを睨むその瞳には、幼い頃にはなかった鋭さが宿っている。その視線だけで、笑っていた子どもたちは息を呑み、言葉を失った。
その様子を見ていたサレマは、小さく微笑んだ。
(そんなことで怒らなくても大丈夫。)
そう伝えたくて、サレマはそっと手を差し伸べた。
だが、レオンはその手をすり抜けるように、静かに前に歩み出た。
「あ……。」
振り向かないレオン。
サレマの伸ばしたままの手だけが、その場に取り残されていた。
———その時だった。
バァンッ!!!!!!
祝賀会の扉が乱暴に開かれた。
「なんだ!?」
全員の視線が一斉に向く。
そこには、ぼろ布のような服をまとった一人の女性が立っていた。長く伸びた髪は乱れ、顔には涙で崩れたメイクの跡が残っている。
それでも、サレマがその面影を見間違えるはずがなかった。
「リ……リア?」
十年前に、レオルドに死んだと聞かされていた妹。
その妹が、今、確かにそこに立っている。
「お姉……様。」
震える声が静まり返った祝賀会場に響く。
リリアは両腕をだらんと下げ、ゆっくりと顔を持ち上げる。前髪から覗くその視線は、壇上に立つ姉サレマを真っ直ぐ捉えていた。
「リリア!」
誰よりもオシャレが好きだった妹。
そんな子が、平民でも着ないつぎはぎだらけのボロをまとって立ちすくんでいる。そんな姿を目にしたサレマは、自然と足が前に動き出した。
その瞬間――。
「来ないでぇぇぇぇっ!」
リリアの、悲鳴にも似た絶叫が広間中へ響き渡り、怯えたように姉から距離を取る。
「お願い!誰か助けてぇぇ!!」
涙で声を震わせながら何度も首を横に振り、その叫びは祝賀会場を切り裂くように響き渡る。
そして、震える腕を精一杯伸ばしてサレマを指差した。
「私はずっと……あの人に幽閉されていたんです!!」
祝賀会場は静まり返っていた。
誰もが息を呑み、目の前で起きた出来事を理解できずにいる。
「リリア?な、何を言っているの?」
何年も探し続けた妹が、自分を恐れ、助けを求めている。
サレマは拒絶する妹を前に、足を止めるしかなかった。
何が起きているのか、まるで分からない。
「奥様の妹だと?」
「幽閉って、どういうことだ……?」
広間がざわざわし始めると、困惑と疑念が入り混じる視線が、一斉にサレマへ向けられた。
レオンもまた、不安そうにサレマとリリアを見比べている。
その時だった。
「サレマ!」
突然、祝賀会場中へ響き渡る怒声。
「もう言い逃れはやめるんだ。」
「……レオルド?」
サレマはゆっくりと夫に振り返る。
だがその目は、サレマをひと睨みすると、すぐにその視線を震えるリリアに向けた。
「生きていてくれたのか、リリア……。」
「はい、レオルド様……。」
レオルドは駆け寄ると、倒れかけたリリアを強く抱き留める。
夫と妹の、感動の再会に似た何かを見せつけられながら、サレマだけがその輪の外へ取り残されていた。
「あなたたち、一体何を……。」
震えるサレマの声は、ふたりには届かない。
そんなサレマを無視するように、レオルドは涙を流すリリアを優しく支えると、近くのメイドへ静かにその身体を預けた。
「温かい部屋で着替えを。」
「は、はい!」
そして、その体をサレマ……ではなく観衆に向ける。
「私は、どうやら妻に騙されていたようだ!」
当主のその一言だけで、ざわつきかけた広間は再び静まり返る。
「十年前、私はリリアと愛し合っていたのに――」
レオルドの指が、サレマを指し示す。
「この女はリリアを隠し、あろうことか私には『死んだ』と嘘をついた。」
伯爵の告白に、目を見開く会場の貴族たち。
「そのうえ、婚姻が決まっていた両家の約束を盾に、何も知らぬ私と結婚し……。」
「待って、待って!あなた、何を言うの!?」
身勝手な言い分に、あわててサレマは首を振る。
「あの子は十年前に突然いなくなったのよ!……アルディスの皆も知っていることだわ!」
その必死の訴えに、サレマに対する疑惑の空気がわずかに揺らぐ。
その様子を背中で感じたレオルドは、小さく舌打ちした。
「そもそもリリアが亡くなったと言ったのはあなたでしょう、レオルド―――」
サレマが反論しかけた、その時だった。
ギイィィィィィ――――。
祝賀会場の奥の扉が、静かに開く。
そこから現れたのは、先ほどまでの惨めな姿とは別人のように美しく着飾ったリリアだった。
「あれは、さっきの女性……?」
「ほわぁ……なんという気品と美しさだ!」
広間がどよめき、その注目は一斉に妹リリアに向く。その羨望のまなざしは、まるで王女殿下を拝謁するようだった。
そんな眼差しをあびながら、タイミングを計らったリリアは、涙ながらに訴えはじめた。
「皆さま!姉は……この女は……!」
静まり返る会場。
「私とレオルドの、産まれたばかりの赤ちゃんを奪ったの!!」
サレマの呼吸が止まる。
勢いのまま、リリアは涙を浮かべ、壇上にひとりたたずむレオンへと手を伸ばした。
「レオン……ああ、私の可愛い子。」
サレマの呼吸が二度、止まる。
突然現れた妹が、私に幽閉されていたと言う。
十年連れ添った夫も、なぜか妹と話が通じている。
理解はできない。
が。
それでも。
他の事はまだ良いとして。
子供のこと。
命を削って育てた、レオンのことだけは。
その思いが、思わずサレマの声を上げさせた。
「でたらめよ!」
「リリア!あなたいい加減に―――」
しかし、その言葉は最後まで続かなかった。
「お前こそいい加減に認めろ、サレマ!!!」
レオルドは一喝すると、懐から一枚の書状を高く掲げた。
「これは王家公認の親子鑑定書だ!」
その一言で、会場の空気が張り詰める。
「発行日は十年前の今日!ここに記されている通り、レオンは私とリリアの実子だ!」
ざわめきは、一瞬で悲鳴のような騒ぎへ変わった。
「本当に、赤ちゃんまで奪ったの!?」
「十年間も騙していたというのか!?」
「やはり、おかしいと思っていた。」
「あのやつれた女が、神童のお母君のはずがない。」
一度崩れた雪崩は、もう誰にも止められない。
疑念は、瞬く間に会場に広がり、怒号となってサレマへ押し寄せた。




