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3/22

3 死んだはずの妹

 そしてついに。


 王国最高峰の名門、王都中央魔法学園の入学試験の日が訪れた。


 レオンを送り出した公爵邸には、どこか落ち着かない空気が流れていた。


「……まだか。」


 レオルドは書斎を何度も行き来し、時計へ視線を向けては小さくため息をつく。

 その様子を見かねたサレマが、温かい紅茶を差し出した。


「あなた、少し落ち着いてください。」


「落ち着いていられるか!」


 レオルドは思わず声を荒らげる。


 だが、すぐに我に返ると、小さく息を吐いた。


「いや、すまん。」


 カップを受け取りながら苦笑する。


「レオンなら大丈夫です。」


 サレマの穏やかな表情を見つめていたレオルドは、ふと眉をひそめる。


「……それにしても。」


「はい?」


「最近、あまり身なりを気にしなくなったな。」


 サレマは一瞬だけ動きを止めた。


「女……いや、公爵家の夫人として、もう少し気を遣った方がいい。」


 視線は白く混じった髪へ向けられている。


 サレマはそっと髪へ触れ、小さく笑った。


「そう……ですよね。

 ……ごめんなさい。」


 部屋には、静かな沈黙だけが残る。


「レオンの試験が終われば、少しは落ち着きますから」


「……そうか。」


 それだけ言うと、レオルドは再び窓の外へ目を向けた。


 サレマは何も言わず、冷め始めた紅茶へそっと視線を落とした。


 ・・・・・


 そして、合格発表の日。

 学園には、早朝から受験生とその家族が押し寄せていた。


「貼り出されたぞ!」


 誰かの声と同時に、人波が一斉に掲示板へ押し寄せる。


 その最上段。


 誰よりも目立つ場所に、一つの名が刻まれていた。


『レオン・ヴァレンシュタイン』


 筆記試験――満点。

 実技試験――歴代最高記録。

 魔力測定――測定限界を超過。


 問答無用の首席合格。 


 一瞬の静寂のあと、歓声が上がる。


「やっぱりヴァレンシュタイン家だ!」


「王国の、いや世界の宝だ!」


 歓声はいつしか拍手へ変わり、学園中に鳴り響いた。


 その知らせは、その日のうちに王都中を駆け巡る。


 職務を終え、屋敷へ戻ったレオルドは、興奮を隠しきれなかった。


「やったな、レオン!首席合格だ!」


 そう言って、レオンを高々と抱き上げる。


「わぁっ、お父様!」


 無邪気にはしゃぐレオンの笑い声が、屋敷中へ響いた。


 その父子の姿を見つめながら、サレマは胸の前でそっと手を組み、静かに微笑む。


(よかった……。)


 命を削り続けた十年。


 そのすべてが、この日のためにあったのだと。


 サレマは心の底から、そう信じていた。


 ・・・・・


 その夜。


 ヴァレンシュタイン公爵家では、首席合格を祝う盛大な祝賀会が開かれることになった。


「我がヴァレンシュタイン家の新たな歴史が、今日ここから始まるのです!」


 王侯貴族が次々と訪れ、レオルドは誇らしげに胸を張る。


「ヴァレンシュタイン家に乾杯!」


「乾杯!!」


 あちこちでグラスが鳴り響く。


 誰もが神童レオンを称えていた。


 だが。


「ねえ、あれがレオン君のママ?」


「絶世の美女だって聞いたけど。」


 そんな子どもたちの囁きが、レオンの耳に届く。


「うちのママの方が綺麗だわ。」


「レオン君も、完璧じゃないんだな。」


 クスクスと笑い声が広がると、レオンの表情が変わった。


「……っく。」


 貴族の子どもたちを睨むその瞳には、幼い頃にはなかった鋭さが宿っていた。


 その視線だけで、笑っていた子どもたちは息を呑み、言葉を失う。


 その様子を見ていたサレマは、小さく微笑んだ。


「……レオンったら。」


 そんなことで怒らなくても大丈夫。


 そう伝えるように、サレマはそっと手を差し伸べた。


 だが。


 レオンはその手をすり抜けるように、静かに一歩、歩み出た。


「あ……。」


 サレマの伸ばしたままの手だけが、その場に取り残されていた。


 ・・・・・


 その時だった。


 バァンッ!!


 祝賀会の扉が乱暴に開かれた。


 全員の視線が一斉に向く。


 そこには、ぼろ布のような服をまとった一人の女性が立っていた。


 長く伸びた髪は乱れ、顔には涙で崩れたメイクの跡が残っている。


 それでも、サレマがその面影を見間違えるはずがなかった。


「リ……リア?」


 死んだと聞かされていた妹。


 何年も探し続け、それでも見つけることのできなかった妹が、今、確かにそこに立っている。


「お姉……ちゃん。」


 震える声が静まり返った祝賀会場に響くと、リリアは涙でにじむ瞳をゆっくりと持ち上げる。


 その視線は、壇上に立つ姉・サレマを真っ直ぐ捉えていた。


「リリア!」


 何年も探し続けた妹だった。


 その姿を目にした瞬間、サレマは堪え切れず壇上を飛び降り、駆け寄ろうとした。


 だが、その瞬間だった。


「来ないでぇぇぇぇっ!!」


 悲鳴にも似た絶叫が広間中へ響き渡り、リリアは恐怖に怯えたように後ずさる。


「お願い!誰か助けて!!」


 涙で声を震わせながら何度も首を横に振り、その叫びは祝賀会場を切り裂くように響き渡る。


 そして、震える腕を精一杯伸ばしてサレマを指差した。


「私はずっと……あの女に幽閉されていたんです!!」


 祝賀会場は静まり返っていた。


 誰もが息を呑み、目の前で起きた出来事を理解できずにいる。


「リリア?な、何を言っているの?」


 サレマは呆然と立ち尽くした。


 何年も探し続けた最愛の妹が、自分を恐れるように震え、助けを求めている。


 何が起きているのか、まるで分からなかった。


 広間は次第にざわめき始める。


「どういうことだ……?」


「幽閉……だと?」


「サレマ様が……?」


 困惑と疑念が入り混じる視線が、一斉にサレマへ向けられた。


「お、お母様……?」


 レオンもまた、不安そうにサレマとリリアを見比べている。


 その時だった。


「サレマ!!」


 祝賀会場中へ響き渡る怒声。


「もう言い逃れはやめろ!!」


 夫、レオルドだった。


「……え?」


 サレマはゆっくりと夫を見つめる。


 だが、その目は自分ではなく、震えるリリアだけを見ていた。


「生きていてくれたのか。我が最愛の人……!」


 レオルドは駆け寄ると、倒れかけたリリアを強く抱き留める。


「あなた……一体何を……。」


 震えるサレマの声はレオルドには届かない。


 レオルドは涙を流すリリアを優しく支えると、近くのメイドへ静かに預ける。


「温かい部屋で着替えを!」


「は、はい!」


 そして―――。


「皆、聞いてくれ。」


 その一言だけで、広間は再び静まり返る。


「私はこの女に騙されていた!!」


 レオルドの指が、サレマを指し示す。 


「十年前、私はリリアと愛し合っていたのに……。」


「この女はリリアを幽閉し、あろうことか私には『死んだ』と嘘をついた。」


 公爵の告白に、目を見開く会場の貴族たち。


「そのうえ、婚姻が決まっていた両家の約束を盾に、何も知らぬ私と結婚し……。」


「違うっ!!」


 身勝手な言い分に、咄嗟にサレマは首を振る。


「私は妹を探し続けて……皆も知っていることよ!」


 その必死の訴えに、会場は大きくざわめいた。


「確か、婚儀の前にいなくなったって……。」


 疑惑の空気がわずかに揺らぐ。


 その様子を背中で感じたレオルドは、小さく舌打ちした。


 その時だった。


 ギイィィィィィ――――。


 祝賀会場の奥の扉が、静かに開く。


 そこから現れたのは、先ほどまでの惨めな姿とは別人のように美しく着飾ったリリアだった。


「あれは、さっきの……?」


「なんという気品と美しさだ……。」


 広間がどよめき、その注目は一斉に妹リリアに向いた。


 タイミングを計らうと、リリアは涙ながらに訴える。


「皆さま!

 姉は……。

 この女は!!」


「私とレオルドの、産まれたばかりの赤ちゃんを奪ったの!!」


「………っ!?」


 サレマの呼吸が止まる。


 リリアは涙を浮かべたまま、壇上にひとりたたずむレオンへと手を伸ばした。


「レオン……。ああ……私の可愛い子。」


 他の事はまだ良い。

 でも、命を削って守り通したレオンのことだけは。


 その思いが、思わずサレマの声を上げさせた。


「でたらめよ!リリア、いい加減に―――」


 しかし、その言葉は最後まで続かなかった。


「お前こそいい加減に認めろ、悪女サレマ!!!!!」


 レオルドは一喝すると、懐から一枚の書状を高く掲げた。


「これは王家公認の親子鑑定書だ!」


 その一言で、会場の空気が張り詰める。


「発行日は十年前の今日!

 ここに記されている通り、レオンは私とリリアの実子だ!」


 ざわめきは、一瞬で悲鳴のような騒ぎへ変わった。


「夫ばかりか赤ちゃんまで奪うなんて!」


「十年間も騙していたのか!?」


「なんという悪女だ!」


「レオン様がお可哀想よ!」


「やはり、おかしいと思っていた。」


「あのやつれた女が、神童のお母君のはずがない。」


 一度崩れた雪崩は、もう誰にも止められなかった。


 疑念は瞬く間に会場に広がり、怒号となってサレマへ押し寄せた。

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