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2/22

2 命を削る魔法

 リリアの忘れ形見を迎えてから数日。


 公爵邸の毎日は、新しい家族中心の生活になっていた。


 サレマの夫――。


 ヴァレンシュタイン公爵家当主、レオルド・ヴァレンシュタインは、その寝顔を静かに見つめながら言った。


「この子は、今日からヴァレンシュタイン公爵家の跡継ぎだ。」


 王国でも五指に入る名門ヴァレンシュタイン公爵家。

 代々、王家を支える大魔導師を輩出し、その血筋は『希代の魔導一族』として王国中に知られていた。


「それで、この子にふさわしい名ですが……。」


 サレマは慎重に言葉を紡いだ。


「サレマ、実は名はすでに決まっている。」


 レオルドは目を伏せながら、そう言い放った。


 その家の名を継ぐ以上、個の名もまた軽々しく決めることは許されない。


 生涯を共にする祝福であり、時に呪いにもなり得るもの。

 だからこそ貴族は、幾日もかけて名を選ぶ。


 間違った名を与えれば、その子の運命さえ狂うと信じられていた。


「……ですが。」


 サレマは物憂げに赤子を抱き寄せる。


「リリアはこの子に名前を残していたのだ。」


 夫はゆっくり頷く。


「最期まで、その名を……呼んでいたそうだ。」


 気がつけば、サレマは優しく微笑んでいた。


「ならば、変える必要はありません。」


『レオン――。』


 レオン・ヴァレンシュタイン。


「これは、リリアが命を懸けて紡いだ、最初で最後の贈り物です。」


 その日。


 レオンは正式にその名を授かり、ヴァレンシュタイン公爵家の跡継ぎとして迎え入れられた。


 ・・・・・


 そして一年後。


 レオンは貴族の子にとって人生最初の儀式――洗礼の日を迎えた。


 サレマは数人の家臣を従え、王国最大の聖堂へと訪れた。


 厳かな空気の中、王家直属の大神官が幼子の胸へ手をかざす。


 すると、淡く小さな緑色の光がレオンの身体を包み込んだ。


 サレマは祈るような目で、それを見守った。


 しかしその淡い光は、小さく瞬くと、そのまま静かに消えていった。


「弱い……。」


「……魔力が、少なすぎないか?」


 神殿にざわめきが走る。


「ヴァレンシュタイン家の子とは思えぬ。」


 周囲の囁きは、次第に疑惑へ変わっていく。


 この子は妹リリアの忘れ形見。


 父親が誰かも分からないのであれば、仕方のないこと。


 その事情を知らない神官たちに、この結果は理解できるはずもなかった。


「奥様、残念ですが……。」


 神官は静かに首を横へ振る。


 しかしサレマは何も言わなかった。

 ただ静かに、その小さな背中を抱き寄せる。


(大丈夫よ……。)


 ・・・・・


 その夜、サレマの私室。


 眠るレオンをベッドに寝かせると、サレマはその前に静かに立ち、ゆっくりと両手を重ねた。


「……展開」


 足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。


 複雑に絡み合う古代文字が幾重にも広がり、部屋一面を覆い尽くしていく。


「……解放」


 次の瞬間。


 サレマの身体から、夜空を溶かしたような紫色の魔力が溢れ出した。


 眩い光が部屋を埋め尽くす。


 対照的に、レオンの身体から漏れる光は淡く小さな緑。


 今にも消えてしまいそうな、か細い輝きだった。


「……さぁ。」


 サレマはレオンの額へ、そっと指先を添える。


 紫と緑。


 二つの光は一本の魔力の鎖となり、静かに結ばれた。


 その瞬間――。


 サレマの美しい紫髪が、ほんの一筋だけ、雪のように白く染まる。


「……っ。」


 力が抜け、サレマはその場に膝をついた。


 それでもサレマは、震える腕でレオンへ手を伸ばした。


「あなたは……私が守る。」


 そっと頬へ触れ、優しく微笑む。


 その言葉に応えるようにレオンの身体は、サレマと同じ紫色の輝きに包まれた。


 ・・・・・


 レオンは、生後間もない頃からよく泣く子だった。


 乳母があやしても、侍女が抱いても、なかなか泣き止まない。


 だが、サレマに抱かれた時だけは違った。


 小さな手で服の裾をぎゅっと握ると安心したように泣き止み、そのまま静かな寝息を立てるのだ。


「本当にサレマ様がお好きなのですね。」


 執事長が微笑みながらそう言うと、サレマも穏やかに笑みを浮かべた。


「ええ。勘のいい子ですから。」


 そう言っていつもの子守唄を歌い聞かせると、レオンは眠ったまま笑みをこぼした。


 その小さな手は最後までサレマの服を離そうとはしなかった。


 ・・・・・


 月日は流れ、レオンは三歳になった。


 公爵邸の庭園ではレオルドが小さな魔法球を浮かべて見せていた。


「よいかレオン。魔力とは自分の意思で形を作るものだ。」


 子と過ごす父親の、ちょっとした遊びのつもりだった。


 まだ三歳の子どもに理解できる話ではない。


 そう思っていた。


 しかし。


 レオンは父の手元をじっと見つめると、同じように右手を差し出した。

 すると淡い紫色の光が、小さな指先へゆっくりと集まり始める。


「……なっ!?」


 レオルドの表情が固まった。


 そして次の瞬間。


 幼い手のひらの上に、小さな魔法球がふわりと浮かび上がる。


「まさか……!?」


 側で控える執事長も、思わず息を呑んだ。


 三歳で魔力を制御する者など、王国の歴史を見渡してもほとんど存在しないからだ。


 レオルドは震える手でレオンの肩を掴む。


「も、もう一度やってみなさい!」


 レオンは首を傾げながらも、小さく頷いた。


 今度は一つではない。


 二つ。続いて三つ。


 紫色の魔法球が庭園をゆっくりと舞い、小鳥のようにレオンの周りを旋回する。


「……神童だ。」


 誰かが呟いた。


 その一言は公爵邸中を駆け巡り、やがて王都にまで広がっていった。


 ・・・・・


 それからというもの、公爵邸を訪れる客人は後を絶たなかった。


 魔法学園の関係者や王宮魔導師団、果ては神官達までもが、神童を一目見ようと屋敷の門を叩く。


「なんという魔力だ!」


「ヴァレンシュタイン家始まって以来の天才だ!」


 そんな賞賛は日を追うごとに増え、公爵邸を訪れる客人の話題はいつしかレオン一色になっていた。


 神童。

 大魔導士。

 王国の未来。


 人々は思い思いの言葉でレオンを称え、その才能に目を細める。


 戸惑いながらも、笑顔で愛想を振りまくレオン。


 その様子に、サレマは少し離れた場所から静かに微笑んだ。


「レオ……っ。」


 手を振ろうとしたサレマの腕が、わずかに震える。


 それでも表情だけは崩さない。


 レオンが笑っている。それだけで痛みなど忘れられたから。


 ・・・・・


 だが、レオンが成長するにつれ、サレマの美しい赤髪には、白銀の髪が一房、また一房と静かに混じり始めていた。


 頬はわずかにやつれ、誰もが見惚れた艶やかな美貌も、季節が移ろうように少しずつ陰りを帯びていく。


「お、奥様!お体の具合でも……?」


 侍女が心配そうに顔を覗き込むことも、一度や二度ではなかった。


「ええ、大丈夫よ。」


 サレマはそう微笑むと、レオンへ歩み寄る。


「お母様!」


 両手を広げて駆け寄ってきたレオンを抱きしめると、サレマの表情から疲れは消えていた。


 だが、人々の視線は少しずつ変わり始めていた。


 アルディスの聖女と、その美しさを語っていた者たちも、今では神童レオンの話ばかりを口にする。


 屋敷へ招かれた客人も、その瞳が追うのは幼い神童の姿だった。


 夫レオルドも、公爵家の未来を担うレオンを語る時間が増え、妻サレマへ向ける眼差しは少しずつ減っていった。


 そんな日常の中でも、サレマは今日も変わらず優しく微笑んでいた。


 ・・・・・


 それから七年。


 レオンは十歳になっていた。


 家庭教師が魔法を教えれば、その日のうちに自分のものにする。

 一を教えれば十を理解し、十を教えれば百を生み出す。


 その才能は、もはや神童という言葉だけでは足りなかった。


「素晴らしい!さすが我が息子だ!」


 レオルドは満足そうに頷く。


「この調子なら、王都中央魔法学園も主席で入学できる!」


「お父様、主席って?」


「一番、ということだ。」


 レオルドは息子の肩へ手を置いた。


「無理はしなくていいのよ。」


 無邪気に笑うレオンの頭を、サレマも優しく撫でる。


「うん、お母様!」


 その頃になると、サレマの美貌はすっかり失われていた。


 艶やかな赤髪は半分近くが白銀に染まり、痩せた頬には疲労の色が浮かぶ。


 だが、そんな彼女を気に留める者はほとんどいなかった。


 誰もがレオンを見つめ、誰もがレオンを語る。


 レオルドもまた同じだった。


「レオン、入学試験までにあと二つ、新しい術式を覚えよう。」


「はい、お父様!」


 期待に満ちた父の声に、レオンは嬉しそうに頷いた。


「……っ。」


 サレマは席を立ち、少し離れた場所で小さく咳き込む。


「お母様!?」


 真っ先に駆け寄ってきたのは、レオンだった。


「また苦しいの?」


「大丈夫よ。」


 サレマはしゃがみ込み、レオンの頭を優しく撫でる。


「少し疲れただけ。」


「本当に?」


 頷きながら安心させるように微笑むと、レオンはようやく父の後を追った。


 その笑顔を見届けたサレマは、誰にも気づかれないよう静かに息を整えた。

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