38 大魔女、再臨
リリアは震える唇を噛み締めながら、サレマを睨みつけた。
「わ、分かったわ……!」
その声は、怒りと悔しさで震えていた。
「ぜーんぶ、お姉様の仕業だったのね!」
「そのせいで私はレオルドに捨てられて!レオンは神童じゃなくなって!ヴァレンシュタイン家は借金まみれよ!」
「全部……全部あんたのせい!」
静まり返った空気の中、クロードが一歩前へ出た。
その不敵な笑みは、クレイスとしてヴァレンシュタイン家に仕えていた頃と何ひとつ変わらない。
「その通りでございます。私はサレマ様の命を受け、クレイスとしてヴァレンシュタイン家へ潜入いたしました。」
「ほーら!やっぱり!」
勝ち誇ったように声を張り上げるリリアを、クロードは穏やかな眼差しのまま見つめ返した。
「ですが、一つだけ訂正させていただきます。」
思わずたじろぐリリア。
「あなたがレオルド様に見捨てられたのは……リリア様自身の責任です。」
「な、何ですって!?私は何もしてないわよ!」
「ええ、その通りです。」
「あなたは何もしなかった。レオルド様を伯爵家の当主としても、一人の男としても見ておられませんでした。」
リリアは少しだけ静止して、やがて舌打ちして顔を背けた。
「サレマ様が十年の間、当然のようにこなしてこられたことです。それを、あなたは一日たりとも出来てはいなかった。」
「そんなことない!私はちゃんと伯爵家の妻として――」
「ハッキリ申し上げて、あなたは伯爵夫人の器ではありません。」
リリアの言葉は最後まで続かなかった。
「だからレオルド様が最後に選ばれたのは――」
クロードは静かに一礼した。
「あなたではなく、クレイスだったのです。」
不貞腐れるリリア。
クロードが一歩下がると、屋敷の二階からノアが顔を覗かせた。
「やー、リリ姉。じゃあ次、いいかな。」
「ノア!あんたまで!」
「実力審査の日さ、レオンは神童なのよー!って取り乱してたよね。みんなの前でビンタまでしちゃってさ。」
「仕方ないでしょ!あの子が突然魔法が使えなくなって、私は恥をかかされたのよ!」
「違うよ。そもそもレオンは最初から神童じゃないもん。サレマ姉さんの魔法で神童に見えていただけ。」
「なに……?お姉様の魔法ですって……!?」
「実力審査の日、サレマ姉さんは自分の魔力を返してもらった。だから、あるべき形に戻った。」
「違う!あの子は私に似て優秀だったのよ!それをあんたたちが――」
「ってかさ。」
ノアは肩をすくめた。
「サレマ姉さんは、魔力のないレオンを見捨てなかった。」
「でも、リリ姉は一日で見捨てた。」
リリアの喉が詰まる。
「――真逆なんだよね、かーさんとして。」
ノアは軽く手を振ると、入れ替わるようにヴィクターが屋敷から姿を現した。
「リリア様。」
一歩前へ出ると、深々と一礼した。
「私を解雇された日のことを、覚えておいででしょうか。」
「使用人如きを、いちいち覚えてるわけないでしょ!」
「そうでしょう。むしろ感謝しております。おかげで、生涯お傍にいたいと思える人に出会えました。」
「な、なによ、使用人風情が……!」
吐き捨てるように叫んでも、ヴィクターは表情一つ変えない。
「金でも爵位でも得られないもの。それが、あなたがサレマ様からも奪えなかったものです。」
静かに一礼すると、そのまま後ろへ退いた。
そして、サレマがリリアの前でゆっくりと足を止める。
「ねえリリア。一つ、聞いても?」
サレマはまっすぐ妹を見つめた。
「結局、あなたは私を追いやって、何がしたかったの?」
「私から奪ったレオルドを支えることもせず。」
「私から奪ったレオンを愛することもせず。」
「私から奪った伯爵夫人という立場で。」
「――ヴァレンシュタイン家の財産を食いつぶしただけ。」
サレマは静かに言葉を続けた。
「あなたは自分の欲望のために、何もかも食いつぶした。」
だが、サレマは止まらない。
「そして最後に残ったのは――」
リリアの瞳が揺れる。
「誰からも必要とされなくなった、あなただけ。」
その一言だった。
プツン――。
何かが切れる音がした。
「…………。」
リリアは俯いたまま動かない。
握り締めた拳から血が滴り落ち、やがて肩が小さく震え始めた。
「……さい。」
誰にも届かないほど小さな声。
「うるさい……。」
震えは次第に大きくなる。
「うるさい……うるさい……。」
緑色の魔力が、足元からじわりと溢れ出した。
石畳が軋み、庭園の木々がざわめき始める。
「うるさい、うるさい、うるさいっ!!」
轟音と共に、緑色の魔力が爆発した。
ドォォォォン――!!
暴風が庭園を吹き荒れ、木々が悲鳴を上げるように軋む。
やがて、石畳は次々と砕け、盛り上がった大地を突き破るように無数の根が姿を現した。
「全部……お姉様のせいよ!!」
太い根は互いに絡み合いながら地表を這い、庭木や花壇を飲み込んでは際限なく枝を伸ばしていく。若木は瞬く間に天を衝く巨木へと成長し、その枝葉は空を覆い隠すほど広がった。
「あんたさえいなければ、私はもっとお父様に愛されてた!」
「お母様にもっと抱きしめてもらえた!」
「私がアルディス家の誇りだった!」
「全部!全部!全部!私のものだったのよぉぉぉぉぉっ!!」
緑の魔力がさらに膨れ上がると庭園そのものが、生きているかのように蠢き始めた。
「あら、言いすぎたかしら。」
「サレマ様、それどころではないかと。」
クロードと静かに目を合わせると、ヴィクターに向かって指を鳴らす。
「……ヴィクター!」
「はっ!」
ヴィクターは即座に動く。
「総員!即時庭園から離れ、屋敷内へ退避!」
その声に、使用人たちは悲鳴を上げながら一斉に駆け出した。
「ノア。」
「はいよ、ねーさん。」
ノアは二階の窓から屋根に飛び乗ると、ゆっくりと右手を空に掲げる。
「――展開、絶対防壁。」
ドォォォォォン!
屋敷全体を包み込むほど巨大な金色の防護壁が、大地から半球状に立ち上がった。透き通る壁面には幾重もの魔法陣が浮かび、屋敷もろとも、そのすべてを優しく包み込む。
直後、暴れ狂う巨木が透明な壁面へと激突した。
ガキィィィィン――――。
巨木が叩きつけられた瞬間、接触した一点から波紋が走った。その波紋は半球状の壁面を一瞬で駆け巡り、一点に集中していた衝撃を結界全体へと流していく。
黄金の壁は静かに煌めくだけで、微動だにしなかった。
サレマはその光景を見上げ、わずかに目を細めた。
「流転式……ノア、やるじゃない。」
その言葉に、ノアは照れくさそうに笑った。
「まーねっ。こっち方面ならまかせてよ。」
そして、サレマへ振り返る。
「ねーさん。」
「この際だし、思いっきりやっちゃったら?」
ノアの一言に、サレマは静かに頷いた。
ゆっくりと胸元へ手を伸ばす。
指先が白いエプロンの紐をほどくと、束縛から解き放たれるように布が肩を滑り落ちた。
さらり――。
メイド服は音もなく足元へ落ちると、その瞬間、吹き抜けた風が彼女を包み込んだ。
漆黒のドレスが優雅に揺れ、腰まで届く赤髪が空へ舞い上がる。
そこに立っていたのは――。
アルディス家最強の魔導師。
――大魔女サレマ。
次の瞬間。
サレマから溢れた紫色の魔力が、一気に天を貫いた。
空気が悲鳴を上げるように震え、大地は重圧に耐えきれず軋み始めた。暴れ狂っていた巨木でさえ、その圧倒的な魔力に押されるように枝葉を震わせる。
傍らに立つクロードは、静かにその背中を見つめ小さく微笑んだ。
「……お帰りなさいませ、お嬢様。」
「ええ、クロード。」
微笑み返すその穏やかな表情とは裏腹に、紫色の魔力はなおも天を焦がし続けていた。
「お仕置きよ、リリア。」
その一言とともに、大魔女サレマがゆっくりと一歩を踏み出した。




