34 完璧なる断罪 レオン編
夕暮れが迫る王都中央魔法学園。西日が校舎を赤く染め、校庭には長い影が伸びている。その片隅にある古びたブランコだけが、ぎぃ……と寂しげな音を立てながら揺れていた。
レオンの制服の袖は砂埃で汚れ、頬にはまだ赤い手形が残っている。足先で地面を軽く蹴ると、ブランコがゆっくりと前後へ揺れた。
そんな彼の頭の中では、今日一日の出来事が何度も蘇っている。
魔力が突然消えて、もう終わりだと思った。でも初めて自分で考えて使った魔法で、四人も相手を倒せたこと。
でも、負けたせいでお母様に叩かれて。そして言われた『もう、いらない』の言葉。
その一言だけが、何度も胸の奥で繰り返される。
「そっか。お母様、弱い僕はいらなかったんだ。」
誰へ向けたものでもない、風に消えていくほど小さな独り言だった。
———その時だった。
「隣、いいかしら?」
不意に、穏やかな女性の声が聞こえた。
レオンが顔を上げると、隣のブランコの横に一人の黒いローブ姿が立っていた。
深く被ったフードのせいでその表情はよく見えないけど、肩口からは、鮮やかな赤い髪がさらりと覗いていた。
レオンが答えるより早く、赤い髪の女性は隣のブランコに腰を下ろす。
ぎぃ……ぎぃ……。
少しの間、二つ並んだブランコが交互に軋んでいた。
「赤い髪……?」
たぶん知らない人。なのに、不思議と嫌な気はしなかった。
やがて女性が、夕焼けを見つめたまま小さく口を開いた。
「今日は、頑張ったわね。」
情けない僕でも見ていてくれた人がいたのか。それは、レオンにとって今日一日、誰からも掛けられなかった言葉だった。
「ははっ、負けましたけどね。」
「……ええ、そうね。」
その女性は、ただ穏やかな声で受け止めるだけだった。
「お母様にも嫌われちゃって……。」
そう言って笑おうとしたものの、最後の方はうまく声にならなかった。
「でも、仕方ないんです。」
ブランコを漕ぐ足も止まり、鎖だけが小さく軋む。
「僕も、お母様を捨てたことがあるから。」
レオンは小さく息を吸うと、まるで胸の奥へ閉じ込めていたものを少しずつ吐き出すように言葉を続けた。
「あの日。本当のお母様だって人が現れた時、僕は、育ててくれたお母様を自分で捨てました。」
夕日に照らされた校庭には、二人の長い影だけが静かに揺れている。
「だから、これは罰なんです。」
レオンは唇を噛み締め、それでも無理に笑顔を作った。
「僕がしたことが、そのまま返ってきただけなんです。」
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その言葉を聞いた瞬間、サレマの指先がぴくりと震えた。
(駄目。)
(抱き締めてはいけない。)
そう決めたはずだった。
なのに、幼いレオンが泣くことすらできず、無理して笑ってみせている。その笑顔は、転んでも起き上がって『大丈夫!』と笑って見せた幼い日の姿と、あまりにも重なって見えた。
胸の奥へ押し込め続けてきた想いが、理性を追い越して溢れ出す。
気付けばサレマは立ち上がり、驚いたように顔を上げるレオンをそのまま強く胸へ抱き寄せていた。
もう二度と抱き締めることはないと、そう決めていたはずなのに。
——ひゅう。
一筋の風が吹き、サレマのローブの留め具が外れた。
さらりと長い赤髪が肩から零れ落ちる。
気が付けば、漆黒だったサレマのドレスが純白へと変わっていった。
まるで夜明けの空が、朝日に染まるようにゆっくりと。
~~~
不意に抱きしめられたレオンの身体が、小さく震えた。
「……え?」
肩へ回された腕は細く、力も弱い。抱き締められているはずなのに、不思議と身体が軽くなっていく。
――知っている。
毎日、当たり前のように自分を包んでいた、この優しい魔力を。
朝も、夜も。魔法の練習で転んだ日も。いつだって、自分を守ってくれていたこの温もりを。
「これって。」
違う、忘れていたんじゃない。
忘れようとしていただけだ。
「この魔力って……。」
喉まで込み上げた言葉が、そこで詰まった。
知っている。
ずっと知っていた。
なのに、気づかないふりをしていたのかもしれない。
代わりに唇からこぼれ落ちたのは、一つだけ。
「ごめん……なさい。」
どうして。
どうして自分は、この温もりを、自分から手放してしまったのだろう。
~~~
その小さな言葉を聞いた瞬間、サレマはぎゅっと唇を噛み締めた。
(違う。)
(謝るのは、あなたにそんな顔をさせてしまった、私———)
何度その言葉を伝えたかったか分からない。
けれど、一度でも口を開けば、抱き締めているだけでは済まなくなる。
それでは、この子は前へ進めない。
(そして、私も――)
サレマは込み上げる気持ちをぐっと押さえ、そのまま静かに立ち上がった。
そして、赤い髪を夕日に揺らしながら、一度も振り返ることなく歩き出す。
「あ……。」
レオンはその背中を、ただ見つめることしかできなかった。
やがて、その姿は西日の中へ溶けるように見えなくなり、レオンだけがその場へ取り残されていた。
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やがて、間の抜けた声が夕暮れの校庭へ響いた。
「……おーい。」
レオンが顔を上げると、夕日を背にポケットへ両手を突っ込んだノアールが、締まりのない笑みを浮かべながら歩いてきた。
「今日、頑張ったじゃん。」
レオンは思わず苦笑する。
「なぁんだ……先生か。」
「なんだとはなんだよー。」
ノアは困ったように笑いながらレオンの前で立ち止まる。そして頭の後ろをぽりぽりと掻き、いつもの調子で肩をすくめた。
「ま、色々ありすぎたけどさー。」
ひと呼吸置いて、ゆっくりと右手を差し出す。
「最初から全部、やり直そう。」
レオンは、その差し出された手をじっと見つめた。
ついさっきまで、自分にはもう何も残っていないと思っていた。
圧倒的な魔力も失い、母にも捨てられた。
そう思っていた。
けれど、気付けば目の前には、一つの手が差し伸べられている。
「……えっと。」
戸惑うレオンに、ノアは軽く笑う。
「あー、うん。隠してて悪かったな。」
「僕の名前はノア。お前のかーさんは、僕のねーちゃんだ。」
ノアは照れ隠しのように鼻を掻きながら続ける。
「つまり、お前から見れば親戚のおじ……おにーさんってとこだ。」
「ええ!?先生って、ぼくのおじさん……だったの?」
「おい、おにーさんっだっつーの。」
レオンのおでこを、ちょんと指で押す。
「んじゃ、まあ……ほら!」
改めて差し出された手を見つめ、レオンはゆっくりと手を伸ばす。震えていた指先がノアの手へ触れると、ノアは力強く握り返した。
「よろしくな、おいっこ。」
「……うん。」
夕日に照らされた二人の影は、今度は同じ方向へ並ぶように長く伸びていた。




