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31 歩き始めた少年

 風の刃が、すぐ目の前まで迫っていた。


(だめっ!)


 レオンは咄嗟に横へ飛びのいた。鋭い風が防護壁を掠め、そのまま背後の地面へ浅い亀裂を刻む。だが、慣れない回避に着地の勢いを殺しきれず、レオンは片膝をついた。


 その姿に、観客席から驚きの声が上がる。


「避けた……?」


「レオン君が、あの程度の魔法を?」


 ざわめきが広がる中、レオンは何も聞こえていないふりをして、すぐに立ち上がった。


(落ち着け)


(落ち着け)


(落ち着け)


 態勢を立て直すと、胸の前で両手を強く握り締めた。


 これまでなら、意識するより先に魔力が溢れ出していたし、使っても使っても尽きる気配などなかった。


 だが今は違う。


 身体の内側へ意識を沈めても、返ってくるのは静寂だけ。ようやく掴めたのは、指先に灯るかどうかも分からないほど、僅かな魔力だけだった。


 それでも――。


「《フレアランス》!!」


 掲げた手のひらから、ぷすぷすと黒い煙が上がった。


「…………っ。」


 試験場の一角から、音が消えた。


 攻撃を仕掛けた生徒も、次の魔法を放つことを忘れたようにレオンを見つめている。


「今のって、魔法?」


「……失敗したのか?」


 戸惑いは、すぐに観客席へも広がっていった。


 教師たちが互いの顔を見合わせ、魔導師団の団員たちも身を乗り出す。


「魔力の乱れ……いや、多少乱れたところであれは。」


「入学試験では、あれほどの魔法を放っていたのに。」


「本当に同じ生徒なのか?」


 その声が耳へ届くたび、レオンの呼吸は浅くなっていった。


 ・・・


 観客席の最前列では、リリアが笑顔を失っていた。


「ちょっと?何をしているの、レオン……。」


 小さく呟く。


 隣に座る貴婦人たちも、訝しげに試験場を見下ろしていた。


「レオン君のお母様、入学試験ではもっと凄かったのでしょう?」


「え、ええ。当然ですわ。」


 リリアは引きつった笑みを浮かべる。


「ほら、すぐに勝ってはつまらないでしょう?」


 そう答えながらも、膝の上で重ねた指には力が入っていた。


 そして、レオルドもまた―――


「どうしたのだ、レオン……。」


 ・・・


 試験場では、レオンを取り巻く空気が変わり始めていた。


 先ほどまで誰もが距離を取っていた。だが、二度も魔法の発動に失敗した姿を見れば、恐怖より疑問の方が勝る。


「なあ……今なら、いけるんじゃないか?」


「でも、何かの罠かもしれない。」


「試験なんだ。攻撃しなきゃ、いつか負ける。」


 三人の生徒が互いに頷き、レオンを囲むように位置を変えた。


 レオンはその動きを見て、両手を構える。


(僕を狙うつもりか?)


 今までなら、近づこうとする者などいなかった。視線を向けただけで怯え、誰もが逃げていった。


 それが今は、自分を倒せる相手として見られている。


「ふざけるな……。」


 レオンの口から、低い声が漏れた。


「僕を誰だと思ってるんだ。」


 そんなレオンの声は届くことなく、正面の生徒が右手を掲げる。


「火球!」


 同時に、右手の生徒からは風の刃。


 左手の生徒からは石礫。


 同時に三方向から魔法が放たれた。


 レオンは歯を食いしばり、両腕を突き出す。


(出ろっ……。)


「……出ろってばぁ!」


 だが、何も起こらない。


 迫る魔法を前に、胸の奥が凍り付いた。


 その瞬間―――。


 ~~~~


『その魔力は……お前のものじゃない。』


 昨日、ノアールに告げられた言葉が蘇った。


『それ、借り物の魔力だから。』


(……まさか。)


 否定したはずの言葉が、頭から離れない。


 借り物。


 自分のものではない。


(本当に……?)


 だから、突然消えた。


(じゃあ、今までの僕は――)


 ~~~~


 火球が目前へ迫る。


 考えている余裕などなかった。


 レオンは地面を蹴り、正面の火球を横へかわす。だが、風の刃と石礫までは避けきれない。


 防護結界へ二つの魔法が激突し、透明な壁に細かな亀裂が走った。


「くっ……!」


 衝撃に押されレオンの身体が地面へ転がると、歓声とも悲鳴ともつかない声が会場へ広がった。


「ほら!当たったぞ!」


「レオンの結界にひびが入った!」


「あいつ本当に、魔法が使えないんだ!」


 周囲の生徒たちが一斉に色めき立つ。


 レオンは土の付いた手を握り締め、身体を起こした。


 目の前が滲む。


 悔しさなのか、恐怖なのか、自分でも分からなかった。


(このまま、負けるのか。)


 主席入学。


 神童。


 誰よりも強い魔法を使える自分。


 そのすべてを失った途端、何もできないまま終わるのか。


 再び杖が向けられる。


 火球。


 風刃。


 石礫。


 先ほどと同じ三つの魔法が、今度こそ逃がさないように間隔を狭めて迫ってくる。


(もう避けきれない……。)


 その時だった。


 試験場のはるか上、見上げた高台に佇むローブを纏った一人の人物が目に入った。


 初めて会ったような。


 でも、どこか懐かしいような。


 不思議な感覚——。


 同時に、レオンの耳に柔らかな声が聞こえた。


『めらめら炎は……ひゅうひゅう風にあおられて~。』


 懐かしい声。


『魔法はね、一つだけで使うものではないの。』


 そして。


 もう一つの声。


『必要な場所へ、必要な量だけ使うことが大切でーす。』


 ノアールの授業。


 魔力で押し切るのではない。あるものを使い、足りない力を補う。


 レオンは無意識に拳を握りしめていた。


 自分の中に流れる魔力は、ほんの僅か。けど、何もないわけではない。大きな炎を作ろうとするから、形にならない。


(小さくていい。)


(今、必要な分だけ。)


 手の先に、僅かな魔力を集める。


 すると、掌に収まるほどの小さな火球が生まれた。


 防護壁を貫くには、あまりにも頼りない炎——。


 ・・


 観客席から、失笑が漏れる。


「っぷ。あれだけ?」


「神童の魔法が、あんな小さな火球?」


「うちの五歳の子でも、もっと大きいものを出せるわ。」


 ・・


 レオンの耳には、もう届いていなかった。


 小さな炎の周囲へ、さらに僅かな魔力で風を生み出す。


 ——薄い風が炎を包む。


 渦を巻きながら内側へ流れ込み、火力を少しずつ押し上げていく。


(そうだ。)


(さらにこいつを、風に乗せて——。)


 レオンは、正面から迫る火球へ杖を向けた。


「火球!!!」


 放たれた炎は小さかった。


 だが、纏わせた風によって急激に加速する。


 それは、正面から迫っていた火球を掻き消し、その向こうにいる生徒の防護壁へ一直線に突き刺さった。


 ――パリンッ!


 透明な壁が砕け散った。


「なっ……⁉」


 攻撃を放った生徒は、何が起きたのか分からないまま立ち尽くした。


「一名、脱落!」


 審判の声が会場へ響く。


 教師たちがどよめき、観客席からも驚きの声が漏れた。


 ・・・・


 高台から試験場を見下ろすサレマは、小さく目を見開いた。


「……。」


 すぐに終わると思っていた。


 共鳴を断たれたレオンは、何もできずに敗れる。


 そう覚悟していた。


 けれど――。


 レオンは、自分で考え、自分で魔法を組み立て、自分の力で防護壁を砕いた。


「ねーさん。」


 隣でノアが小さく笑う。


「あいつ、ちゃんと戦えてるじゃん。」


 ノアの言葉が、風に溶けた。


 サレマは、必死に次の攻撃へ備えるレオンを見つめた。その戦い方は、もう誰かに与えられた力へ頼るものではなかった。


 ・・・・


 その直後、かわしきれなかった二つの魔法が防護壁へ激突した。


 身体が大きく揺れる。それでも壁は辛うじて砕けず、淡い光を揺らしながらレオンを守り続けていた。


 レオンは荒い息を吐きながら、砕け散った相手の結界を見つめる。


(当たった。)


 初めてだった。


 圧倒的な魔力で押し潰したのではない。限られた力で何ができるのかを考え、自分の頭で組み立て、自分の意思で勝ち取った一撃だった。


(撃てた……。)


 胸の奥に、小さな熱が灯る。


 その時、右側にいた生徒が動揺を振り払うように杖を構え直した。


「もう一度!今度こそ――」


 レオンは相手よりも早く、地面へ向けて小さな突風を放つ。


 乾いた土が一気に舞い上がり、生徒の視界を覆った。


「うわっ!」


 思わず顔を庇った、その一瞬。


 レオンはもう一つだけ小さな火球を放つ。


 ――パリンッ!


「二人目、脱落!」


 実況の声が一段高くなると同時に、会場が大きくどよめいた。


「今のは砂埃で視界を奪ったのか!」


「魔力は少ないのに、無駄がない!」


 観客席から次々に声が飛ぶ。


 レオンは息を整えながら、自分の両手を見つめた。


 呼吸は乱れ、胸は苦しい。身体の奥に残る魔力も、指先へ集めればすぐに尽きてしまいそうなほど僅かしかない。


(でも、まだ戦えるっ。)


 それでも、レオンは構えを解かなかった。


 その姿を見て、二人の女子生徒が一斉に動き出す。


「私たちも行くよ!」


「う、うん!」


 もう、レオンに残った魔力も少ない。勝敗を決めるのは、どれだけ考え、どれだけ動けるか。


「……来いっ。」


 そして初めて、レオンは目の前の生徒たちを格下ではなく、自分と同じ試験場に立つ対等な相手として見据えた。

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