30 魔力共鳴、消滅
授業参観当日――。
王都中央魔法学園には、朝早くから大勢の保護者や来賓が集まっていた。
今日は一年生による魔法模擬実践会。
その結果は次期のクラス分けはもちろん、将来の推薦にも大きく影響するため、生徒たちにとっては入学試験に次ぐ重要な行事だった。
広大な模擬試験場を囲む観客席は、開始前からほとんど埋め尽くされている。
その中でも、ひときわ大きな期待を集めていたのは、一人の少年だった。
主席入学。
希代の神童と謳われる、レオン・ヴァレンシュタイン。
入学試験で見せた圧倒的な魔力量は、今なお教師や保護者たちの語り草となっている。
「今日こそ、あの神童の真の実力が見られますね。」
「一年生の中では、頭一つどころか二つも三つも抜けているそうですよ。」
「魔導師団への推薦も、すでに決まったようなものでは?」
あちらこちらで交わされる期待の声。
観客席へ姿を現したリリアもまた、その視線を心地よく受け止めていた。リリアが身に纏っているのは、今日のために背伸びして買った鮮やかなピンクゴールドのドレスだった。
王女殿下が着用したものと色違いで、王都でも指折りの仕立て屋へ特別に注文した一着だ。首元と髪には、ドレスに合わせて揃えた装飾品が光を放っている。
(さあ、思う存分称えなさい。)
周囲から向けられる視線を感じるたび、リリアの背筋は自然と伸びていった。
(ふふふ。やっぱりこのドレスを買って正解だったわね。)
今日は自分が、この会場で最も注目される日になる。
そう信じて疑わなかった。
少し離れた席では、レオルドも腕を組み、険しい表情で試験場を見下ろしている。
近頃の伯爵家には不穏な問題が相次いでいたが、今日だけは違う。レオンが圧倒的な実力を見せれば、ヴァレンシュタイン家の威信は改めて王都中へ示される。
そうなれば、財政への不安を囁く声も多少は弱まるはずだ。
やがて、試験場に開始を告げる鐘が鳴り響く。
中央へ進み出た教師が、拡声魔法を通して会場全体へ声を届けた。
「これより、一年生魔法模擬実践会を開始いたします。」
観客席のざわめきが静まっていく。
「今回の試験はバトルロワイヤル形式で行われます。生徒一人ひとりに防護結界を展開し、最後まで結界を維持していた者を優勝とします。」
試験場の外周に並ぶ教師たちが、一斉に杖を掲げた。淡い光が生徒たちの身体を包み、それぞれの周囲へ透明な結界を作り出していく。
「なお、防護結界が破壊された時点で失格となります。結界のない生徒への攻撃は禁止です。」
説明が終わると、待機していた一年生たちが順番に試験場へ入っていく。全員が入場する頃には、自然と生徒たちの間に一つの大きな空間が生まれていた。
その中央に立っていたのは、レオンだった。
「最初からレオン君に狙われたらまずいよ。」
「目を付けられたら、一発で終わっちゃうもん。」
「ほかの子と戦おう。」
小声で交わされる相談が、離れた場所にいるレオンの耳にも届く。
レオンはそれを当然のように聞き流している。
(どうせ、最後まで残るのは僕だ。)
入学試験では、誰にも真似できないほどの魔法を見せつけた。授業でも、自分の魔力量に敵う生徒など一人もいなかった。
授業で多少小細工を覚えたところで、圧倒的な力の差が消えるわけではない。
レオンは観客席へ目を向けた。
極上のドレスを着たリリアが、こちらへ手を振っている。少し離れた場所には、父レオルドの姿もあった。
二人が揃って自分を見ている。
それだけで、胸の奥に僅かな熱が宿った。
(見ていて。僕が一番だって証明するから。)
一方――。
模擬試験場から少し離れた学園の裏庭。試験場を見下ろせる高台に、黒いローブ姿のサレマが立っていた。
「レオン……。」
深く被ったフードの隙間から、白銀の髪が風に揺れる。
その隣には、教師ノアールの姿をしたノアが腕を組んでいた。
「……まだ、間に合うよ。」
弟の声は聞こえていた。
それでもサレマは答えなかった。
試験場の中央に立つ少年の背中から、どうしても視線を離すことができない。
十年間、毎日のように見続けてきた背中だった。
命を削って育てた子。
自分を母親だと信じ、無邪気に笑いかけてくれた子。
今、その背中はサレマの存在を知らないまま、当然のように大勢の期待を背負っている。
「ねーさん。」
もう一度、ノアが呼び掛けた。
その声に急かすような響きはなかった。決断するのは、サレマ自身でなければならないと分かっているのだ。
サレマはゆっくりと目を閉じた―――。
胸の奥深くに、細く伸び続けている一本の糸がある。
十年前、赤子だったレオンと繋いだ魔力の共鳴。
食事を忘れても、眠ることを忘れても、決して絶えることなくレオンへ魔力を送り続けてきた繋がり。
それは魔法であると同時に、サレマにとっては母と子を結ぶ最後の絆でもあった。
完全に断ち切れば、二度と元には戻らない。
分かっている。
それでも。
『ねーさんが繋ぎ続けるほど、あいつは自分の足で立てなくなる。』
ノアの言葉が胸の奥で響く。
サレマは静かに息を吸い、胸の前で拳を握った。
そして、長い時間をかけて握り締めてきたものを手放すように。
「魔力共鳴……。」
———ゆっくりと拳を開いた。
「…………消滅。」
音など聞こえるはずはない。
それでもサレマには、確かに何かが切れたように感じられた。
胸の内側から、一部を引き抜かれたような喪失感。
思わずローブの胸元を握り締める。
同時に、試験場へ開始の合図が響き渡った。
「試合、開始!」
直後、試験場の至るところで魔法が炸裂した。
火球が飛び交い、風の刃が地面を抉る。水の槍が結界へ突き刺さり、土の礫が激しい音を立てて弾けた。
レオンは正面から迫る火球を見据え、いつものように腕を掲げる。
(消し飛ばす。)
相手は、自分よりはるかに魔力の少ない生徒だ。
防御する必要すらない。
正面から、より強い魔法で相手の防護壁ごと押し返せばいい。
レオンは体内にある膨大な魔力を引き出そうとした。
――だが。
「……え?」
何も集まらない。
これまでなら意識する必要すらなく溢れ出していた魔力が、どこにも感じられなかった。
迫っていた火球が、レオンの防護結界へ衝突する。
鈍い音とともに、透明な表面へ波紋が広がった。
レオンは呆然と、自分の手を見つめる。
(なに……?)
(今のは……。)
周囲では、すでに何人もの生徒が互いに魔法を撃ち合っている。
レオンはもう一度、腕に力を込めた。
今度は先ほどよりも強く。
いつもと同じように、胸の奥から魔力を引きずり出そうとする。
しかし。
応えるものはなかった。
(うそ……。)
ほんの僅かな魔力が指先へ集まりかけ、すぐに霧散する。
(なんで……。)
胸の奥が、すっと冷えていく。
観客席では、まだ誰もレオンの異変に気づいていない。
ただ攻撃がたまたま当たり、反撃の機会を窺っているだけだと思われていた。
だが、同じ試験場にいる生徒たちは違った。
「レオン君……?」
「どうして魔法を撃たないんだ?」
レオンと向かい合っていた生徒が、戸惑ったように杖を構えている。
目の前にいるのは、入学試験で巨大な炎を放ち、誰も寄せ付けなかった神童だ。不用意に攻撃すれば、どれほどの反撃が返ってくるか分からない。
それでも試験はすでに始まっている。
生徒は唾を飲み込み、意を決したように杖を振り下ろした。
「風!」
小さな風の刃が、一直線にレオンへ向かう。
レオンは反射的に鼻で笑った。
(こんなもの。)
いつもなら、大火球一つで簡単に飲み込める。
両手を空に掲げた。
「《フレアランス》」
しかし。
――何も起きなかった。
レオンの目が、大きく見開かれる。
「……うそ。」
風の刃が、すぐ目の前まで迫っていた。




