番外編 お姉様の示談金で、お買い物してきます♪ #リリア
金貨二千枚、使い放題。
なんて素敵な響きなのだろう。
そんな気持ちを胸に、揚々とリリアが向かった先の王都百貨店。
王都でも指折りの名門商会が運営するその建物は、朝から多くの貴族で賑わっていた。
磨き上げられた大理石の床。吹き抜けの天井には巨大な魔導照明が輝き、色とりどりのドレスや宝飾品が並ぶ店内は、まるで宮殿そのものだった。
「はぁ……やっぱりここが一番落ち着くわぁ。」
リリアは嬉しそうに辺りを見回した。
香水売り場から漂う甘く上品な香り。
ガラスケースの中で宝石のように輝く最高級の化粧品。
王都で流行りのバッグが並ぶ革製品売り場。
職人が一つひとつ手作業で仕上げた靴。
魔石を散りばめた髪飾り。
季節ごとに並び替えられる色鮮やかなドレス。
店員たちは皆、背筋を伸ばし、上質な笑みで客を迎えている。
リリアは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
(二千枚かあ……。)
そう思うだけで、自分が無敵になったような気持ちになる。
今日は何を買ってやろうか。
思い切って馬車を買い替えるのもいい。
ドレスをここからここまで頂戴なんて、言ってみたりして。
「ふふっ。」
さあ、みんな。
私にひれ伏しなさい。
——お姉様のお金で、欲しいものは何でも買えるんだもの。
そんなことを考えながら軽い足取りで店内を歩いていると、不意に背後から声を掛けられた。
「あら、レオン君のお母様では?」
「まあ!神童のお子様の……?」
振り返ると、そこには見覚えのあるご婦人たちが立っていた。王都中央魔法学園のイベントで何度か顔を合わせた公爵夫人と侯爵夫人たちである。
「あら、ごきげんよう。」
リリアは笑顔で一礼する。
ふと見れば、婦人たちは皆、王都の最先端をそのまま纏ったような装いだった。
上質な絹のドレスは優雅に揺れ、胸元を飾る宝石は魔導照明を受けて眩く輝く。自然と背筋の伸びた立ち居振る舞いには気品が宿り、周囲の視線までも惹きつけていた。
リリアは思わず自分のドレスへ目を落とす。
伯爵階級では十分に上等な一着。
だが、彼女たちの輪へ入った途端、それが数年前の流行に思えてしまった。
そんなリリアを見ていた一人の侯爵夫人が、柔らかな笑みを浮かべた。
「レオン君のお母様。これから少し“上”へ参りますの。よろしければ、ご一緒しません?」
「上?」
「ええ。ちょうど新作のお披露目が始まっておりますの。」
「まあ、新作の……。」
大好きな言葉に、リリアの表情がぱっと明るくなる。
「ご一緒にいかが?」
侯爵夫人が穏やかに微笑む。
「え……ええ、そうね……。」
リリアの返事より早く、別の婦人がくすりと笑った。
「でも、伯爵家の方に無理をさせてしまっては申し訳ありませんわ。」
「あら、わたくしったら。」
悪意のない笑顔に、リリアの笑みがわずかに引きつる。
「少し厳しい言い方だけれど、分相応というものも大切ですもの。」
もっともな意見。
しかし、今日の予算は金貨二千枚。
多少高級な売場へ案内されたところで何も困ることはない。むしろ、この先にはどんな品が並んでいるのだろうと期待の方が勝っていた。
「ぜひ、ご一緒させていただきたいわ。」
「あら、そう?」
婦人たちは微笑み合うと、百貨店の最奥へと歩き始める。
華やかな売場を抜けると、人通りは次第に少なくなり、やがて喧騒が嘘のような静寂に包まれた空間へ辿り着いた。
そこには見慣れない制服姿の店員たちが整列し、一斉に頭を下げる。
「奥様、お待ちしておりました。」
その一人が恭しく手を差し伸べた先には、巨大な円形の魔法陣が刻まれていた。
「なんですの、これ。」
リリアが思わず足を止める。
「魔導階層移動機ですわ。」
侯爵夫人が当然のように答えた。
「一般の方々は入れない特別階へご案内するためのものですの。」
初めて見る設備だった。
「さあ、こちらへ。」
婦人たちが当然のように魔導階層移動機へ乗り込む。
リリアもその後に続くと、足元の魔法陣が淡く輝き始めた。
次の瞬間、視界が眩い光に包まれる。
思わず目を閉じ、ゆっくりと開くと――。
「……え?」
そこは、先ほどまでいた百貨店とはまるで別世界だった。
深紅の絨毯が果てしなく続き、壁には王家御用達の画家が描いた名画が等間隔に飾られている。
頭上では無数の魔導照明が夜空の星々のように瞬き、広々とした店内には客の姿がまばらにしか見えない。
聞こえてくるのは婦人たちが交わす穏やかな談笑だけ。
(この百貨店に、こんな場所があったのね。)
下の階に満ちていた喧騒は嘘のように消え失せ、そこはまるで王侯貴族だけに許された社交場だった。
「皆様、お待ちしておりました。」
十数名の店員が一斉に頭を下げる。
その中から数名の男性が歩み寄り、それぞれの婦人の傍らへ自然な所作で付き添った。
「本日も担当させていただきます。」
専属の店員は、まるで主人に仕える執事のように婦人たちの傍らへ控える。
(すごい……すごいわ。)
リリアは思わず辺りを見回した。
並ぶドレスはどれも限定品。
繊細な刺繍や魔石細工が施された装飾品は、ガラスケースの中で静かな輝きを放ち、下の売場とは比べものにならない品格を漂わせている。
「では、参りましょう。」
婦人たちが慣れた足取りで歩き出すと、それぞれに付き添った店員が次々と品を運んできた。
「こちらは本日届いたばかりでございます。」
侯爵夫人に恭しく差し出されたのは、深い蒼を基調とした一着のドレスだった。
「まあ、素敵。」
侯爵夫人は袖口を指先でなぞりながら、満足そうに微笑む。
「おいくらかしら。」
「金貨三百枚でございます。」
リリアの足がぴたりと止まった。
(え……ドレス一着で?)
一般階級の馬車が一台買えるほどの金額だった。
しかし侯爵夫人は眉一つ動かさない。
「では、それをいただくわ。」
「かしこまりました。」
店員も当然のように一礼する。
隣では別の公爵夫人が、淡い翡翠色のドレスへ目を留めていた。
「私はこちらのドレスにダイヤモンドをあしらっていただくわ。」
「かしこまりました。」
「それで、仕立てはいつ頃かしら?」
「十日ほどでお届けできます。」
「じゃあ、それで。」
店員は慣れた手つきで注文書へさらさらとペンを走らせ、一礼する。
「ありがとうございます。王都本邸へお届けいたします。」
誰も値段を気にする様子はない。金貨数百枚を超える品々が、まるで昼食の献立でも選ぶかのような気軽さで次々と決まっていく。
婦人たちが楽しげに品定めをしている姿を見ているうちに、リリアの胸にも高揚感が湧いてきた。
(せっかくここまで来たんだもの。)
リリアは、近くに飾られていたピンクゴールドのドレスが飾られたショーケースへ手を伸ばした。
「まぁ……こちら、とても素敵ですわね。」
リリアの傍らに控えていた担当の店員が、一歩前へ出た。
「お目が高うございます。こちらは王女殿下のご要望で仕立てられた二点物でございます。」
ガラスケースから丁寧に取り出されると、店員は慣れた手つきで広げてみせた。不思議な糸で縫われた刺繍がシャンデリアの光を受け、まるで星空のようにきらめいている。
「まあ、王女殿下の……?」
「はい。色違いのこちらは、気に入った方に是非と仰せつかった特別な逸品です。」
今まで見てきたドレスとは、まるで格が違う。
リリアは吸い寄せられるようにドレスへ触れた。
(……やわらかい。)
指先が滑るたび、生地は水面のようになめらかに流れ、そして驚くほど軽い。それでいて、幾重にも重ねられた布地は確かな重厚感を湛えていた。
(これが……王国最高のドレス……。)
もう目が離せなかった。
「そ、それで……おいくらですの?」
「金貨六百枚でございます。」
(ろっ……六百ですって⁉)
高すぎる。
先日も一日中買い物をして金貨三百枚を散財し、レオルドに叱られたばかりだった。
(でも……。)
リリアはもう一度ドレスへ視線を落とした。
「もしよろしければ、一度お召しになられますか?」
店員が恭しく頭を下げる。
リリアは一瞬だけためらったものの、小さく頷いた。
(そうよ、試着するだけならタダよね。)
「……お願いするわ。」
数人の侍女が手際よくリリアを案内し、着替えを終える頃には鏡の前には別人のような姿が映っていた。
「……。」
思わず言葉を失う。
柔らかな桃色の生地は肌を美しく見せ、繊細な刺繍は歩くたびに星屑のような輝きを放つ。
普段の自分とは違う。
まるで王城の舞踏会へ招かれた、まさしく王女のようだった。
その姿を見た婦人たちから、感嘆の声が漏れる。
「まあ……。」
「レオン君のお母様、本当にお似合いですこと。」
「一瞬、王女殿下がお立ちになったのかと思いましたわ。」
目上の方々の惜しみない賞賛が、リリアの胸をじわりと満たしていく。
(私……。)
鏡の中には、自分が憧れていた世界の女性が立っていた。
神童の母。
王都中が羨む神童を育て上げた母親。
もう伯爵夫人だから、公爵夫人だからという話ではない。
王国中の注目を集める立場なのだ。
ならば、その立場にふさわしい装いをするのは当然ではないか。
安物を身に着けていては、かえって周囲へ失礼になる。そう思うと、先ほどまで高すぎると感じていた金額も、不思議と気にならなくなっていた。
リリアは鏡の前でくるりと回ると、満足げに頷いた。
「……こちらに決めるわ。」
店員たちは一斉に頭を下げた。
「ありがとうございます。」
すると、一人の店員が控えめに口を開く。
「こちらの髪飾りも、同じ工房の作品でございます。」
ドレスと同じ光沢をまとった、淡い桃色の魔石をあしらった髪飾りだった。店員が髪飾りをそっと添えると、婦人たちの間から感嘆の息が漏れた。
「……本当に素敵。」
「王都中の殿方が放っておきませんわね。」
「王城の夜会で、陛下からお声を掛けられるのではなくて?」
婦人たちは楽しそうに笑い合う。
「いけませんわ?リリア様には素敵な旦那様がいらっしゃいますもの。」
「ほほほほ。」
上品な笑い声が店内に広がった隙をみて、リリアは担当の店員にそっと耳打ちする。
「それで、これはおいくらなの?」
「金貨百二十枚でございます。」
金額を聞いて少し安心すると、リリアはもう一度、鏡に映った自分の姿を確認した。
「……では、これもいただくわ。」
「ありがとうございます。」
そして、別の店員がすぐに別の商品を運んでくる。
「でしたら、こちらのお履き物も。」
「こちらの首飾りは、隣国の聖女様が祈りを込めた一点物でございます。」
「手袋はこちらのお色が最適かと。」
最初は一つずつ説明を聞いていたリリアも、いつしか頷くだけになっていた。
「それも。」
「ええ。」
「こちらもお願い。」
次々と勧められる品を選んでいくたび、本当に王侯貴族の一員になれたような気がした。
店員たちは互いに目配せを交わしながら、次々と品を運び込んでいく。最後の品が包まれる頃には、会計台の上には幾つもの箱が積み重なっていた。
担当の店員が静かに頭を下げる。
「以上、こちらでございます。」
リリアは何気なく伝票へ目を落とした。
金貨九百八十枚。
一瞬だけ数字が目に入る。
———余裕の予算内だった。
驚く理由など、どこにもない。
そして、迷うことなく伝票にサインする。
「では、お支払いはヴァレンシュタイン伯爵家当主、レオルド・ヴァレンシュタインへご請求申し上げます。」
店員が確認すると、リリアは当然のように頷いた。
「ええ、お願いするわ。」
そう言って再び鏡を見つめる。
そこには、王女のように微笑む自分がいた。
(はあ……素敵。)
そして、リリアも同じように微笑み返した。
(ありがとう、お姉様。)




