24 白
「クレイス先生!どうかしら、このドレス!」
書斎を出たクレイスは、空になったカップを盆に載せたまま足を止めた。
リビングでは、赤いドレスに身を包んだリリアが、嬉しそうにスカートの裾を摘まんでいる。
「王室御用達の仕立て屋に仕立ててもらったの。」
くるりと一回転すると、赤い裾が優雅に広がった。
その隣のソファには、鮮やかな青いドレスが丁寧に広げられている。
「こっちは今度のお披露目用。王都で一番人気の仕立て屋さんにお願いしたのよ」
青いドレスを手に取り、自分の身体へ当てて見せる。
「ねぇ、青と赤ならどっちが素敵かしら?」
そう言いながら自然と距離を詰め、クレイスの腕へ軽く触れる。
クレイスは盆を持ち替え、その手を避けるように半歩だけ身体をずらした。
「申し訳ありません。私は貧しい家の育ちですので、女性の装いには疎いもので。」
「そんな、お気になさらないで?」
リリアは優しく微笑む。
『クレイス先生はこんなに素敵なんですもの。貧しくても、きっと皆に愛されて育ったのでしょうね』
クレイスは穏やかに微笑み返した。
しかし、その胸中は静かだった。
(……この方は、本当に外見しか見ていない。)
(私にあれほどのことをしたというのに、使用人クロードという存在すら覚えていないのでしょう。)
その時だった。
「お母様、ディナーは……。」
お腹を空かせたレオンがリビングへ姿を見せる。
「あら、レオン!」
リリアは赤いドレスの裾を摘まみ、もう一方の手には青いドレスを持ち上げた。
「ちょうどいいわ。この赤とこの青だったら、レオンはどっちが好き?」
しばらくの沈黙のあと、レオンの視線が青いドレスから赤いドレスへと移すと、やがて小さく呟いた。
「……白。」
リリアは不思議そうに首を傾げる。
「ちょっとレオンったら!白なんてなんてないじゃないの。不思議な子ね!」
そう言って笑うリリアをみても、レオンはそれ以上何も答えなかった。
・・・
その様子を見たサレマの胸が、わずかにざわついた。
(この子……。)
理由は分からない。それでも、十年間育てた母親としての感覚だけが、その小さな変化を見逃さなかった。
「ヴィクター……。」
「はい。」
サレマは静かに通信を切る。
「少し、一人にしてくれる?」
ヴィクターは何も聞かず、一礼すると静かに部屋を後にした。
静かになった研究室。
サレマは椅子に座り、低い天井を見上げ、長く息を吐いた。
「私はもう……。」
サレマは自分の黒い服の裾をそっと握った。
「黒しか着られないのよ、レオン……。」
・・・・
翌朝――。
王都中央魔法学園。
朝の鐘が鳴ると、生徒たちは一斉に席へ着いた。
間もなく教室へ入ってきたノアールは、いつものように気の抜けた表情で教壇に立つ。その手には、一枚のプリントの束が抱えられていた。
「はーい、おはようございまーす。」
返事も待たず、最前列の生徒へプリントを渡していく。
「来月、保護者を招いて魔法の模擬実践会が行われまーす。お家の人に渡しておいてくださいねー。」
その言葉に、教室がにわかにざわついた。
「魔法の模擬実践会って?」
「知らないの?学年全員で魔法の模擬バトルだよ!
「よーっし!父上に見に来てもらおう!」
期待に満ちた声が飛び交う中、レオンは手元へ回ってきたプリントを一瞥した。
——授業の成果を保護者へ披露する、学園の恒例行事。
レオンにとっては、それ以上でもそれ以下でもなかった。
「とゆーことで、今日からしばらくは魔法実技が中心になりまーす。」
緊張感の欠片もないノアールの言葉に、生徒たちは楽しそうに声を上げた。
「怪我をしない程度に頑張ってくださいねー。」
レオンだけは、興味がなさそうに窓の外へ視線を向ける。
(模擬実践会のための授業などいらないのに。どうせ僕が勝つんだし。)
入学試験を主席で通過した自分が、今さら基礎から学ぶことなど何もない。そんな考えを見透かした様子もなく、ノアールは黒板へ向き直った。
◇ ◇ ◇
一時限目。
「森なら木や土。川なら水。今いる場所に何があるのかを把握し、それを魔法へ利用することで、より少ない魔力で大きな効果を生み出すことができまーす。」
レオンは頬杖をついたまま、黒板とは反対側の窓を眺めていた。
周囲の状況を把握し、環境を利用する。そんなものは、魔力の乏しい者が知恵を絞るための考え方だ。
膨大な魔力を込め、正面から相手を圧倒すればいい。
それがこれまでのレオンにとっての常識だった。
「レオン君。」
不意に名前を呼ばれ、レオンはゆっくりと顔を向けた。
「聞いていましたかー?」
「もちろんです。」
即答すると、ノアールは笑顔のまま首を傾げる。注意するでもなく、それ以上問い詰めるでもない。
(っちぇ、なにさ。)
その反応が、なぜか少しだけ気に障った。
◇ ◇ ◇
二時限目は、魔力の効率化についての授業だった。
同じ大きさの火球を作る場合でも、魔力の流し方や構築の速度によって、消費する量は大きく変わる。
ノアールは小さな炎を掌に浮かべながら、生徒たちへ説明していた。
「魔力を多く込めれば、魔法は簡単に大きくなりまーす。」
掌の炎が、一瞬だけ大きく膨らむ。
「ですが、大きければ良いというものでもありません。必要な場所へ、必要な量だけ使うことが大切でーす。」
レオンは教本を開いてはいたものの、視線は文字の上を滑るばかりだった。
(魔力の節約など、魔力の少ない者が考えることだ。)
自分の中には、使い切れないほどの魔力がある。多少無駄に消費したところで、何の問題もない。
「戦いが長引けば、わずかな差がいつか大きな差になりますからねー。」
ノアールの声が聞こえる。だが、レオンはページをめくるだけで、内容を頭へ入れようとはしなかった。
◇ ◇ ◇
三時限目。
生徒たちは、校庭の一角に設けられた魔法演習場へ移動していた。
木製の標的が並べられ、その周囲を防護結界が囲んでいる。
「では、一人ずつ魔法を撃ってみましょう。」
ノアールは、生徒たちを順番に標的の前へ立たせていった。
ある生徒は小さな火球を撃ち出し、標的の中央を焦がした。
「良いですねー。魔力が安定しています。」
別の生徒は風の刃で、標的の表面へ浅い傷を付けた。
「うんうん。狙った場所へしっかり当たっていますねー。」
威力としては、どれも大したものではない。
それなのにノアールは、一人ひとりの魔法へ丁寧に言葉を掛けていく。
やがて、レオンの名前が呼ばれた。
「レオン君、お願いしまーす。」
レオンは標的の前へ立つと、杖を軽く持ち上げた。
狙いを慎重に定めることも、魔力を調整することもしない。
「《フレアランス》」
巨大な炎の槍が放たれた。
轟音とともに防護結界が揺れ、木製の標的は一瞬で跡形もなく吹き飛ぶ。
熱風が演習場を駆け抜け、生徒たちから悲鳴にも似た声が上がった。
「す、すごい……。」
「あんな魔法を、簡単に……。」
誰もがレオンを見ている。
レオンは当然のように胸を張り、ノアールの反応を待った。しかし、ノアールは焼け焦げた地面を眺めたあと、いつもの笑顔で言った。
「はい、次のひとー。」
それだけだった。
褒めることも、驚くこともない。
すぐさま次の生徒を呼び、先ほどまでと同じように授業を続けていく。
「少し軌道が逸れましたが、魔力のまとめ方は良かったですよー。」
「今の水球は綺麗でした。あと少し速度が出せると良いですねー。」
自分よりはるかに威力の低い魔法ばかりを、ノアールは評価している。
レオンは納得できなかった。
(なぜ。)
誰よりも強い魔法を放ったのは自分だ。生徒たちも皆、それを認めている。
それなのに、ノアールだけが僕を褒めない。
(あの教師は、僕がきらいなのかな。)
苛立ちを抱えたまま、三時限目は終わった。
◇ ◇ ◇
四時限目も、魔法演習の応用編が行われた。
「次は、同じ威力の魔法をできるだけ少ない魔力で出してみましょう。」
ノアールの説明に、生徒たちは戸惑ったような顔を浮かべる。
ひとりの生徒が手を上げる。
「さっきより小さくするってことですか?」
「違いますよー。威力は落とさず、使う魔力だけを減らしてくださーい。」
生徒たちは互いに顔を見合わせた。
そんなことが簡単にできるはずもなく、放たれる魔法は先ほどより明らかに弱くなっていた。
レオンは自分の順番を待ちながら、退屈そうに校舎へ目を向ける。
すると、開け放たれた教室の窓から、白いカーテンが揺れていた。真っ白な布が風に持ち上げられ、ゆっくりと舞い上がる。
その光景を目にした瞬間、レオンの胸の奥で遠い記憶が蘇った。
~~~
『めらめら炎は……ひゅうひゅう風にあおられて――』
優しい声。
幼い頃、誰かが歌っていた子守唄。
忘れていたはずの光景が、白いカーテンの向こうで微かに蘇った。
『ねえレオン。魔法はね、一つだけで使うものではないの。』
幼いレオンの手に灯された炎に、ふわりと風を送る、柔らかい手。
レオンは、目の前の標的へ視線を戻した。
~~~
今まで別々だったものが、初めて一つに繋がった。
「レオン君、どうぞー。」
名前を呼ばれたレオンは、先ほどのように初めから大量の魔力を込めることはしなかった。周囲から、戸惑いの声が漏れる。
「小さい……。」
「レオン君でもだめかぁ。」
レオンはその声を無視し、炎の周囲へ薄い風をまとわせた。風は渦を巻きながら炎へ流れ込み、その火力を一気に押し上げる。
小さかった炎が、激しく燃え上がった。
「《火球》」
放たれた火球は、先ほどの高位魔法フレアランスと変わらないほどの威力で標的を貫いた。
だが今度は周囲へ熱をまき散らすことも、防護結界を大きく揺らすこともない。
狙った標的だけを焼き抜き、その中央へ大きな穴を残した。
演習場が静まり返る。
レオン自身も、自分の手を見つめていた。使った魔力は、先ほどの十分の一にも満たない。
「……できた。」
無意識に、小さな声が零れた。
「はい。」
ノアールが笑顔で拍手をする。
「今のはとても良かったですよ。レオン君、満点でーす。」
レオンは、思わずノアールを見た。これまで何をしても、自分を特別に評価しなかった教師。そのノアールが、初めて自分を褒めた。
「魔力の使い方も、属性の組み合わせも綺麗でした。」
胸の奥が、わずかに熱くなる。
「べ、別に。」
レオンは顔を背けながら答えた。
だが、先ほどまでの苛立ちは、もうどこにも残っていなかった。
・・・・
授業を終え、生徒たちは教室へ戻った。
レオンは嬉しい気持ちで席へ着くと、朝に配られた模擬実践会のプリントを鞄へしまおうとした。その時、近くの席から楽しげな声が聞こえてくる。
「先週、家族でピクニックに行ったんだ!」
「いいなぁ。どこへ行ったの?」
「王都の外にある植物公園。母上がお弁当を作ってくれたの。」
レオンは、ハッとしたように学園カバンをカチッと閉めた。
(……ピクニック。)
昔は時々、親子の三人で王都植物公園や魔法ランドへ出掛けていた。そんな記憶を思い出すと、不思議と胸の奥が温かくなる。
(父上と、お母様と……僕で。)
一度そう考えてしまうと、その光景はなかなか消えてくれなかった。




