17 「待ちたまえ。」
「お帰りなさいませ、レオン様。」
公爵家の玄関前に横付けされた馬車。
「お母様は?」
「奥様でしたら、本日は旦那様がお早くお戻りになられ、王都グランドデパートへ出掛けられております。」
レオンはつまらなさそうに靴を脱ぐ。
すると執事が、何かを思い出したように口を開いた。
「それと、本日より新しい家庭教師がお待ちでございます。」
その一言に、レオンは足を止めた。
「……また?」
この一週間だけでも家庭教師は三人目だった。
「今回もどうせすぐいなくなるんでしょ。」
執事に言うでもなく呟きながら階段をあがる。
自室の扉を開けると、部屋の中央に一人の青年が静かに立っていた。
「おかえりなさいませ。レオン様。」
金髪の青年が、穏やかに一礼する。
「本日よりお世話になります。クレイスと申します。」
「ふうん。」
レオンは品定めでもするように頭の先から足元まで眺めると、小さく鼻を鳴らす。
顔は悪くないし、これまでの家庭教師とは雰囲気も違う。
けれど、それで何かが変わるとも思えなかった。
「でも、どうせまたボク以下の魔力なんでしょ?」
年齢だけは立派でも、魔力量でボクに勝てた者など一人もいない。
そして―――。
「そうですね。」
あっさり認めた。
「魔力量だけなら、レオン様の方が上でしょう。」
いつもなら、この手の人間は慌てて取り繕うか、負け惜しみを口にする。なのにこの人は、穏やかに笑ったまま、自分を見つめ返している。
「でも。」
クレイスは穏やかに笑う。
「だからこそ、私にも教えられることがあるのかもしれません。」
・・・・・
その日の夕刻。
ヴァレンシュタイン公爵家では、三人揃っての夕食が始まっていた。
長い食卓には豪華な料理が並び、静かだった食事の席へ、珍しくレオンの方から口を開く。
「今日来た家庭教師だけど。」
ナイフを動かしていたリリアが、嬉しそうに顔を上げた。
「あら、クレイス様?」
「うん。」
レオンは肉を口へ運びながら、どこか納得のいかないような顔をする。
「魔力量は、やっぱりボクの方が上だった。」
それを聞いてリリアは苦笑する。
「あなたは本当に、そればかりですのね。」
「でもね、お母様。」
レオンはフォークを置くと、少しだけ考え込んだ。
「なんて言えばいいんだろ。火球一つでも、ボクとは全然使い方が違うんだ!」
レオルドが初めて視線を向けた。
「使い方?」
「うん。ただ威力を上げるだけじゃなくて、魔力の流し方とか、相手の動きを見て変えたりとか……。」
レオンは言葉を探しながら続ける。
「同じ魔法なのに、別の魔法を見てるみたいだったよ!!」
リリアは満足そうに微笑んだ。
「ふふ。」
そっとレオルドを見る。
「レオンが家庭教師を褒めるなんて初めてですわ。」
レオルドはワイングラスを口元へ運ぶ。
「……。」
返事はない。
ただ静かにグラスを置く音だけが食卓へ響いた。
「わたくしの見る目に狂いはありませんでしたでしょう?」
リリアはどこか誇らしげだった。
その様子を見ながら、レオルドは無言でナイフを動かす。
妻は今日一日、やたらとあの家庭教師の話ばかりだ。息子までああして感心している。
レオルドは黙ったまま肉を切り分けていたが、やがてナイフとフォークを皿の上へ置いた。
「先に失礼する。」
レオルドはそう告げると、ナプキンを畳んで静かに席を立った。
「あら、もうよろしいのですか?」
「ああ。まだ片付いていない書類がある。」
短く答え、そのまま食堂を後にする。
執事長がいなくなって以来、些細な決裁まで自分の元へ回ってくるようになった。以前なら夕食前に報告だけで済んでいた事も、今では手つかずのままだ。
もっとも、その原因を今さら口にするつもりはなかった。
―――パタン。
廊下へ出ても、背後からレオンの弾んだ声が聞こえていた。
「それでね、クレイス先生が――」
レオルドはその声を振り切るように歩き出すと、廊下の角を曲がるところで一人の青年と鉢合わせた。
外出用の上着を腕に掛け、書類を抱えたクレイスだった。
「公爵様。」
クレイスは足を止め、すぐに道の端へ寄って一礼する。
「貴様!……いや。」
思いがけず噂の当人が目の前に現れ、レオルドは一瞬言葉を詰まらせた。
「まだいたのか。」
「はい。レオン様の今後の学習方針をまとめておりました。」
「……そうか。」
それだけ告げると、レオルドは視線を外し、そのままクレイスの横を通り過ぎた。
クレイスはその背を見送り、小さく息をつく。
(さすがに、そう簡単にはいきませんか。)
サレマから託された任務を思えば、この偶然の対面は絶好の機会だった。だが、当主の警戒は思っていた以上に固い。
諦めて玄関へ向かおうとした、その時だった。
「待ちたまえ。」
不意に背中へ掛かった声に、クレイスの足が止まる。
静かに振り返ると、レオルドは何かを考えるように黙ったまま、クレイスを見つめていた。
今日一日、妻も息子もあの家庭教師の話ばかりだった。
見栄えだけの若造。そう思っていたはずなのに、腕に抱えた書類だけが妙に気に掛かった。
「レオンの学習方針をまとめたと言ったな。」
「はい。」
「見せてみろ。」
クレイスは一礼すると、抱えていた書類から数枚を抜き出した。
「こちらでございます。」
「書斎へ来い。」
レオルドはそれだけ告げ、返事も待たずに歩き出した。
・・・・・
書斎の机には、未処理の書類が山のように積み上がっていた。
領地からの報告書、使用人の雇用申請、王宮へ提出する式典関係の書類。ヴィクターがいた頃なら、重要な箇所だけ整理され、レオルドの前へ届いていたものばかりだ。
「そこへ置け。」
「失礼いたします。」
クレイスは机の空いた場所へ、レオンの学習計画書を揃えて置いた。
レオルドは一枚目へと、目を落とす。
「……ほう。」
レオンが現在使える魔法。苦手としている科目。今後必要となる基礎訓練。
長々とした説明はない。
必要な情報だけが項目ごとに整理され、レオンの長所を損なわず、欠点だけを補う内容になっている。
「今日一日で、ここまで把握したのか。」
「レオン様は、とても分かりやすい方ですので。」
レオルドの眉がわずかに動く。
「分かりやすい?」
「自信がおありになる分、出来ないことを隠そうとなさいます。」
息子を侮辱されたとは感じなかった。
むしろ、これまで誰も口にしなかったことを、初めて正確に言い当てられた気がした。
「ですから、出来ないことも、出来ることの延長として教える方がよろしいかと。」
「……なるほどな。」
レオルドが次の頁をめくろうとしたその時、脇に積まれていた書類の一枚がクレイスの足元へ滑り落ちた。
「失礼いたします。」
クレイスはそれを拾い上げる。
何気なく表面へ目を落としたあと、すぐに書類を伏せた。
「どうした。」
「いえ。私が拝見するものではございませんので。」
「構わん。何か気づいたのなら言え。」
許しを得て、クレイスはもう一度書面へ目を落とした。
「失礼ながら、お尋ねしてもよろしいでしょうか。」
「なんだ。」
「こちらの契約は、どなたがおまとめになられましたか。」
「若手の執事だ……まだ慣れていない。」
「……そうですか。」
クレイスは数秒だけ沈黙し、静かに書類を閉じた。
「公爵様。」
「失礼ながら、この契約は見送られた方がよろしいかと。」
レオルドの眉がわずかに動く。
「理由は。」
「……こちらをご覧ください。」
クレイスは決算資料の四頁を開く。
「先方の決算ですが、二の月以降、在庫だけが急激に減っています。」
レオルドは視線を落とした。
「売れている、ということではないのか。」
「私も最初はそう考えました。」
クレイスは穏やかに頷く。
「ですが……。」
頁をめくり、紙の上を指先で静かになぞる。
「三の月以降、売上は伸びているように見えますが、利益率だけが急激に落ちています。」
レオルドは書類を手にしたまま、自然とクレイスの隣へ立った。
「うむ……確かに。」
レオルドはクレイスの指が示す数字を追った。
「公爵様でしたら、この状況をどうご覧になりますか。」
レオルドは何度かページを往復し、クレイスの指摘した数字を見比べた。
そして――。
「投げ売り……近いうちに資金繰りが行き詰まるやもしれん。」
「おそらく。」
レオルドは再び書類へ目を落とし、一枚ずつ丁寧に読み返した。
「この契約が一年契約である以上、早々に飛ばれでもすれば公爵家が被る損失は小さくない。」
レオルドの結論に、クレイスはそれ以上何も付け加えなかった。
———しばらくして、レオルドは書類を閉じる。
「この資料から、そこまで読んだか。」
「最終的に気付かれたのは公爵様ご自身です。」
控えめな返答。自慢する様子もない。
レオルドはクレイスを見つめる。
若い。
それにもかかわらず、目の前の青年は一切気負わず、必要なことだけを口にしている。
「……助言、感謝する。」
「滅相もございません。」
クレイスは深く一礼した。
その姿を見つめながら、レオルドは机の上に残る書類へ視線を移した。
「まだ時間はあるか。」
「はい。」
「ならば、もう少し付き合え。」
クレイスは、リリアへ向けたものよりも、さらに爽やかな笑顔をレオルドへ向けた。
「ええ。喜んで。」
・・・
遠く離れたアルディス家。
サレマはチェス盤へ静かに手を伸ばした。
「さすが、クレイス先生……予想以上の早さだわ。」
黒のナイトを静かに前へ滑らせる。
カチ……。
白のキングまでは、まだ遠い。
それでも、サレマは小さく微笑んだ。
「チェスは、終盤で決まるものじゃない。」
―――勝敗は、序盤で決まるのよ。




