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17/22

17 「待ちたまえ。」

「お帰りなさいませ、レオン様。」


 公爵家の玄関前に横付けされた馬車。


「お母様は?」


「奥様でしたら、本日は旦那様がお早くお戻りになられ、王都グランドデパートへ出掛けられております。」


 レオンはつまらなさそうに靴を脱ぐ。


 すると執事が、何かを思い出したように口を開いた。


「それと、本日より新しい家庭教師がお待ちでございます。」


 その一言に、レオンは足を止めた。


「……また?」


 この一週間だけでも家庭教師は三人目だった。


「今回もどうせすぐいなくなるんでしょ。」


 執事に言うでもなく呟きながら階段をあがる。


 自室の扉を開けると、部屋の中央に一人の青年が静かに立っていた。


「おかえりなさいませ。レオン様。」


 金髪の青年が、穏やかに一礼する。


「本日よりお世話になります。クレイスと申します。」


「ふうん。」 


 レオンは品定めでもするように頭の先から足元まで眺めると、小さく鼻を鳴らす。


 顔は悪くないし、これまでの家庭教師とは雰囲気も違う。


 けれど、それで何かが変わるとも思えなかった。


「でも、どうせまたボク以下の魔力なんでしょ?」


 年齢だけは立派でも、魔力量でボクに勝てた者など一人もいない。


 そして―――。


「そうですね。」


 あっさり認めた。


「魔力量だけなら、レオン様の方が上でしょう。」


 いつもなら、この手の人間は慌てて取り繕うか、負け惜しみを口にする。なのにこの人は、穏やかに笑ったまま、自分を見つめ返している。


「でも。」


 クレイスは穏やかに笑う。


「だからこそ、私にも教えられることがあるのかもしれません。」


 ・・・・・


 その日の夕刻。


 ヴァレンシュタイン公爵家では、三人揃っての夕食が始まっていた。


 長い食卓には豪華な料理が並び、静かだった食事の席へ、珍しくレオンの方から口を開く。


「今日来た家庭教師だけど。」


 ナイフを動かしていたリリアが、嬉しそうに顔を上げた。


「あら、クレイス様?」


「うん。」


 レオンは肉を口へ運びながら、どこか納得のいかないような顔をする。


「魔力量は、やっぱりボクの方が上だった。」


 それを聞いてリリアは苦笑する。


「あなたは本当に、そればかりですのね。」


「でもね、お母様。」


 レオンはフォークを置くと、少しだけ考え込んだ。


「なんて言えばいいんだろ。火球一つでも、ボクとは全然使い方が違うんだ!」


 レオルドが初めて視線を向けた。


「使い方?」


「うん。ただ威力を上げるだけじゃなくて、魔力の流し方とか、相手の動きを見て変えたりとか……。」


 レオンは言葉を探しながら続ける。


「同じ魔法なのに、別の魔法を見てるみたいだったよ!!」


 リリアは満足そうに微笑んだ。


「ふふ。」


 そっとレオルドを見る。


「レオンが家庭教師を褒めるなんて初めてですわ。」


 レオルドはワイングラスを口元へ運ぶ。


「……。」


 返事はない。


 ただ静かにグラスを置く音だけが食卓へ響いた。


「わたくしの見る目に狂いはありませんでしたでしょう?」


 リリアはどこか誇らしげだった。


 その様子を見ながら、レオルドは無言でナイフを動かす。


 妻は今日一日、やたらとあの家庭教師の話ばかりだ。息子までああして感心している。


 レオルドは黙ったまま肉を切り分けていたが、やがてナイフとフォークを皿の上へ置いた。


「先に失礼する。」


 レオルドはそう告げると、ナプキンを畳んで静かに席を立った。


「あら、もうよろしいのですか?」


「ああ。まだ片付いていない書類がある。」


 短く答え、そのまま食堂を後にする。


 執事長がいなくなって以来、些細な決裁まで自分の元へ回ってくるようになった。以前なら夕食前に報告だけで済んでいた事も、今では手つかずのままだ。


 もっとも、その原因を今さら口にするつもりはなかった。


 ―――パタン。


 廊下へ出ても、背後からレオンの弾んだ声が聞こえていた。


「それでね、クレイス先生が――」


 レオルドはその声を振り切るように歩き出すと、廊下の角を曲がるところで一人の青年と鉢合わせた。


 外出用の上着を腕に掛け、書類を抱えたクレイスだった。


「公爵様。」


 クレイスは足を止め、すぐに道の端へ寄って一礼する。


「貴様!……いや。」


 思いがけず噂の当人が目の前に現れ、レオルドは一瞬言葉を詰まらせた。


「まだいたのか。」


「はい。レオン様の今後の学習方針をまとめておりました。」


「……そうか。」


 それだけ告げると、レオルドは視線を外し、そのままクレイスの横を通り過ぎた。


 クレイスはその背を見送り、小さく息をつく。


(さすがに、そう簡単にはいきませんか。)


 サレマから託された任務を思えば、この偶然の対面は絶好の機会だった。だが、当主の警戒は思っていた以上に固い。


 諦めて玄関へ向かおうとした、その時だった。


「待ちたまえ。」


 不意に背中へ掛かった声に、クレイスの足が止まる。


 静かに振り返ると、レオルドは何かを考えるように黙ったまま、クレイスを見つめていた。


 今日一日、妻も息子もあの家庭教師の話ばかりだった。


 見栄えだけの若造。そう思っていたはずなのに、腕に抱えた書類だけが妙に気に掛かった。


「レオンの学習方針をまとめたと言ったな。」


「はい。」


「見せてみろ。」


 クレイスは一礼すると、抱えていた書類から数枚を抜き出した。


「こちらでございます。」


「書斎へ来い。」


 レオルドはそれだけ告げ、返事も待たずに歩き出した。


 ・・・・・


 書斎の机には、未処理の書類が山のように積み上がっていた。


 領地からの報告書、使用人の雇用申請、王宮へ提出する式典関係の書類。ヴィクターがいた頃なら、重要な箇所だけ整理され、レオルドの前へ届いていたものばかりだ。


「そこへ置け。」


「失礼いたします。」


 クレイスは机の空いた場所へ、レオンの学習計画書を揃えて置いた。


 レオルドは一枚目へと、目を落とす。


「……ほう。」


 レオンが現在使える魔法。苦手としている科目。今後必要となる基礎訓練。


 長々とした説明はない。


 必要な情報だけが項目ごとに整理され、レオンの長所を損なわず、欠点だけを補う内容になっている。


「今日一日で、ここまで把握したのか。」


「レオン様は、とても分かりやすい方ですので。」


 レオルドの眉がわずかに動く。


「分かりやすい?」


「自信がおありになる分、出来ないことを隠そうとなさいます。」


 息子を侮辱されたとは感じなかった。


 むしろ、これまで誰も口にしなかったことを、初めて正確に言い当てられた気がした。


「ですから、出来ないことも、出来ることの延長として教える方がよろしいかと。」


「……なるほどな。」


 レオルドが次の頁をめくろうとしたその時、脇に積まれていた書類の一枚がクレイスの足元へ滑り落ちた。


「失礼いたします。」


 クレイスはそれを拾い上げる。


 何気なく表面へ目を落としたあと、すぐに書類を伏せた。


「どうした。」


「いえ。私が拝見するものではございませんので。」


「構わん。何か気づいたのなら言え。」


 許しを得て、クレイスはもう一度書面へ目を落とした。


「失礼ながら、お尋ねしてもよろしいでしょうか。」


「なんだ。」


「こちらの契約は、どなたがおまとめになられましたか。」


「若手の執事だ……まだ慣れていない。」


「……そうですか。」


 クレイスは数秒だけ沈黙し、静かに書類を閉じた。


「公爵様。」


「失礼ながら、この契約は見送られた方がよろしいかと。」


 レオルドの眉がわずかに動く。


「理由は。」


「……こちらをご覧ください。」


 クレイスは決算資料の四頁を開く。


「先方の決算ですが、二の月以降、在庫だけが急激に減っています。」


 レオルドは視線を落とした。


「売れている、ということではないのか。」


「私も最初はそう考えました。」


 クレイスは穏やかに頷く。


「ですが……。」


 頁をめくり、紙の上を指先で静かになぞる。


「三の月以降、売上は伸びているように見えますが、利益率だけが急激に落ちています。」


 レオルドは書類を手にしたまま、自然とクレイスの隣へ立った。


「うむ……確かに。」


 レオルドはクレイスの指が示す数字を追った。


「公爵様でしたら、この状況をどうご覧になりますか。」


 レオルドは何度かページを往復し、クレイスの指摘した数字を見比べた。


 そして――。


「投げ売り……近いうちに資金繰りが行き詰まるやもしれん。」


「おそらく。」


 レオルドは再び書類へ目を落とし、一枚ずつ丁寧に読み返した。


「この契約が一年契約である以上、早々に飛ばれでもすれば公爵家が被る損失は小さくない。」


 レオルドの結論に、クレイスはそれ以上何も付け加えなかった。


 ———しばらくして、レオルドは書類を閉じる。


「この資料から、そこまで読んだか。」


「最終的に気付かれたのは公爵様ご自身です。」


 控えめな返答。自慢する様子もない。


 レオルドはクレイスを見つめる。


 若い。


 それにもかかわらず、目の前の青年は一切気負わず、必要なことだけを口にしている。


「……助言、感謝する。」


「滅相もございません。」


 クレイスは深く一礼した。


 その姿を見つめながら、レオルドは机の上に残る書類へ視線を移した。


「まだ時間はあるか。」


「はい。」


「ならば、もう少し付き合え。」


 クレイスは、リリアへ向けたものよりも、さらに爽やかな笑顔をレオルドへ向けた。


「ええ。喜んで。」


 ・・・


 遠く離れたアルディス家。


 サレマはチェス盤へ静かに手を伸ばした。


「さすが、クレイス先生……予想以上の早さだわ。」


 黒のナイトを静かに前へ滑らせる。


 カチ……。


 白のキングまでは、まだ遠い。


 それでも、サレマは小さく微笑んだ。


「チェスは、終盤で決まるものじゃない。」


 ―――勝敗は、序盤で決まるのよ。

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