13 新任講師ノアール
入学式が終わり、新入生たちはそれぞれの教室へ案内されていた。
最前列の真ん中に座るレオンの顏はどこか浮かない。
「あいさつ、うまくいかなかったね。」
隣の席の女子生徒がレオンを慰める。
「ぼくなんて返事するだけなのに、名前呼ばれただけで足が震えちゃったもん。」
後ろの席の男子はレオンの肩に腕を置いた。
「ま、気にすんなよ。」
悪意はない。
本当に同級生を心配しているだけだった。
レオンは作り笑いを浮かべながら、胸の奥で眉をひそめた。
(この人たち、何様のつもり?)
昨夜、母リリアが言っていた言葉がレオンの頭によぎる。
『レオン、あなたは神童なの。』
『誰よりも優秀で、誰よりも上に立つ人間よ。』
『舐められたら、そこで終わりなのよ。』
自分は生まれながらに選ばれた人間。
レオンは、その言葉を疑うことなく信じていた。
「あれは急にママが話し出しただけで、僕はちゃんと読めてたんだけど?」
どこか言い訳がましいその一言に、周囲は曖昧に笑うしかなかった。
ちょうどその時だった。
———ガラッ。
「みんな、席についてくださーい。」
黒縁眼鏡をかけた若い青年が教壇へ立つ。
「今日から魔法実習を担当する、ノアールです。よろしくー。」
若い先生の登場に、生徒たちがざわつく。
魔法実習の講師は、熟練の魔導師が務めるのが当たり前だった。
生徒へ実演を見せる機会も多く、相当の実力がなければ務まらないからだ。
レオンも、その若い講師を怪しげに見上げる。
(頼りない。この人、大丈夫なのかな。)
ノアは値踏みする視線をかわし、にこりと笑った。
「若く見えるってよく言われます。」
教室から笑いが漏れる。
しかしレオンは、その空気が気に入らなかった。
「先生、失礼ですけど。」
「はいはい。えーっと、レオン君だったかな?」
教室中の視線が二人に集まる。
「もし僕より魔法が下手だったら、教わる意味ってあるんですか?」
一瞬、教室がしんと静まり返った。
しかしレオンは、そんな空気を気にも留めない。
「僕に魔法を教えるなら、このくらいなら出来ますよね?」
レオンが右手を掲げると、数個の小さな火球が一斉に宙へ浮かぶ。
突然始まった魔法ショーに生徒たちの歓声が上がる。
「わぁ。あんなにいっぱい!」
「ぼくなんて、ひとつがやっとだよ!」
ノアは、困ったように頭を掻いた。
「はーい。危ないから、教室で火遊びは禁止でーす。」
パチン。
ノアが指を鳴らしたその瞬間。
パシュン、シュシュン……。
レオンが生み出した火球は、一瞬で跡形もなく消え去った。
残り香だけがレオンの鼻をくすぐる。
「え……。」
若い講師の予想外の実力に、レオンの目が見開く。
「教室が燃えたら大変だからねー。」
教室中の視線が‟ノアール先生”に集まった。
「せんせーすごーい!」
「今のってどうやったの?」
ノアは何事もなかったように手を振っている。
頼りなかったはずの新米講師が、さっきまでレオンへ向いていた歓声を一瞬で奪っていった。
・・・
その教室の歓声は、遠く離れたアルディス家にも届いていた。
魔導モニターへ映るレオンは、悔しそうに拳を握り締めている。
「あらあら。リリアに預けて、まだ数日なのに。」
子供とは、良くも悪くも純粋なもの。
一番近くにいる大人の価値観を、疑うことなく受け入れてしまう。
親子鑑定書があったから。
血のつながった本当の母親が現れたから。
サレマはそう思おうとしていた。
まだ子供だから―――と。
「……違う。」
サレマは静かに首を振る。
突然現れた女を、迷わず『お母様』と呼んだ。
十年育てた私を、『あの人、怖い』と切り捨てた。
あの子は、皆が羨む美しい方を”母”として選んだのだ。
「きっと、これがあの子の本質……。」
———その時だった。
『ねーさん、聞いてる?』
小さな魔導通信石から、ノアの声が響く。
『今の、見てたー?』
「ええ。」
傲慢な振る舞いを目の当たりにしたノアは、思わずため息を漏らした。
サレマが十年育てた子とは思えない振る舞い。
教師を試し、人前で力を誇示するその姿は、サレマの知る幼いレオンではなかった。
『もうさー、とっとと魔力共鳴切っちゃえばー?』
サレマはすぐには答えなかった。
静かな研究室に、魔導モニターの淡い光だけが揺れる。
やがてモニターに映るレオンへ視線を向けたまま、小さく首を横へ振った。
「……だめ。」
『なんで?』
サレマはゆっくりと口元へ手を添える。
「簡単に切ってしまったら”教育”にならないでしょ?」
通信越しにも伝わるサレマの異様な迫力に思わず苦笑しつつ、モニターの画面が廊下に移り変わった。
『あ、ねーさん。動いた。』
・・・
教室を出たレオン。
すれ違う生徒たちが、ひそひそと何か話している。
「ほら、あの子。」
「魔力テストで測定器が壊れたんだって。」
――そうだ。
僕は一番なんだ。
さっきの失敗なんて、もう誰も気にしていない。
そう言い聞かせて胸を張った、その時だった。
「おい。」
レオンの前に、三人の上級生がゆっくりと立ちはだかった。
逃げ道を塞ぐように左右へ広がり、中央の少年は腕を組んでレオンを見下ろす。
「お前か?神童とか言われてるふざけたやつは。」
リーダー格らしい少年が鼻で笑う。
「新入生のくせに、ずいぶん目立ってんじゃねぇか。」
その一言に、後ろの二人も肩を揺らして笑った。
「ははっ!その割には、入学式笑えたよな。」
「途中で何も喋れなくなって、ママに泣きついてなー。」
三人の笑い声が重なる。
その瞬間、レオンの時間だけが止まった。
――ママに泣きついた。
その言葉が、レオンの胸の奥で何度も反響する。
「違う……。」
気づけば、握り締めた拳が小刻みに震えていた。
そんなレオンを無視するように、上級生たちはただ面白そうに笑っている。
その笑みを見た瞬間、レオンの中で何かが音を立てて切れた。
「僕は……。」
胸の奥から溢れ出した紫色の魔力が、怒りに呼応するように吹き上がる。
揺らめく魔力はみるみると濃さを増し、廊下の一画を紫色に染め上げた。
「泣きついてなんか……!!」
吹き荒れる魔力の奔流に、制服の裾が激しくはためく。
「お、おい……。」
見下していた上級生たちは、思わず息を呑んだ。
肌を刺すような圧力。
息苦しいほど濃密な魔力に、三人とも言葉を失っていた。
「へっ……へん。」
リーダー格の少年だけが、引きつった笑みを浮かべる。
「魔力量が多いだけじゃねぇか。」
強がる上級生に、レオンが両手をかざす。
「そうなのかな?」
すると、上級生たちの足元へ紫色の魔法陣が幾重にも展開された。
「うわっ!」
「な、なんだこれ!」
そして、魔法陣から伸びた光の鎖が蛇のように絡みつき、三人の手足を一瞬で拘束する。
「い!?痛いっ!やめて!」
暴れるたび、鎖はさらに強く身体へ食い込んでいく。
「ぐ、ぐるじぃぃぃぃぃ!」
「やめろよぉぉぉ!謝るからぁぁぁ!」
廊下が歪み、壁に掛けられた額縁が魔力でカタカタと震え始めた。
・・・
サレマは怒りのままに魔力を行使する少年を見つめ、モニター越しにため息を吐いた。
『ねーさん。あれ―――。』
ノアの焦った声にも応じることなく、サレマは人差し指と中指を軽く揃えた。
「レオン、それはだめよ。」
目には見えない一本の糸を断ち切るように、その指先をすっと滑らせる。
「……一時、切断。」
―――キンッ。
・・・
同時に、レオンが生み出した魔法陣は、音もなく消えた。
「……え?」
何が起きたのか分からないまま、レオンは固まった。
慌てて魔力を練り直そうと、手のひらへ意識を集中する。
「おかしい……。」
さっきまで身体を満たしていたはずの膨大な魔力が、どこにも感じられなかった。
それでも必死に魔力をかき集めると、ようやく身体を弱々しい緑色の魔力が包み込む。
しかし。
すんっ―――。
まるで息を吹きかけられた蝋燭のように、その魔力はあっけなく消えた。
「に、逃げろっ!」
拘束がほどけた上級生たちは、隙を見て転ぶように廊下を駆け出していく。
その場に取り残されたレオン。
ゆっくりと顔を上げると、辺りを見回した。
廊下の奥、笑顔で手を振るノアール先生と目が合った。
(またっ……あいつか!?)
一瞬ノアを睨みつけると、何も言わずノアに背を向けた。




