11 アルディスの魔女
魔導研究室の空気が、静かに張り詰めていた。
六枚の魔導モニターを前に、サレマは中央の席へ腰を下ろしたまま、ゆっくりと指先を組む。
「それで?ねーさん、何するつもりなのさ。」
ノアが不安そうに尋ねると、サレマは当然のように振り返った。
「わたしは何もしないわ。あなたよ、ノア。」
「え?」
想像しなかった姉の一言に、ノアの思考回路が完全に停止する。
「い、いまなんて……?」
「王都にある世界最高峰の魔法学園。
レオンが主席で入学した、その学園に潜り込んでもらうわ。」
ノアの眼鏡がずれた。
「な、何言ってんの!?ねーさん。」
「大丈夫よ。あそこは随時、優秀な魔法講師を探しているわ。」
「そういう事じゃなくて!!!」
研究室中にノアの悲鳴が響いた。
「やだよ!冗談きついって。僕、人前に出るの嫌いなんだってば!」
ノアは子供のように首を振る。
「かわいそうな‟ねーさん”のために、一肌脱ぎなさい。」
「やだやだ!ぜーったい、無理だから!」
頑ななノア。
「ところで、サレマ様。」
横から、クロードが静かに口を挟むと、姉弟は同時に視線を向ける。
「レオン殿というリリア様のお子様は、主席入学されるほど優秀なのですね。」
その一言に、サレマの表情がすっと消えた。
「……。」
———不自然な沈黙。
急に静かになったサレマを見て、ノアの眉がぴくりと動く。
「……ん?」
ノアは何かを思い出したように、パッと目を見開く。
「あーーーっ!
まさかねーさん……。
あれ、使ったの!?」
「あれ……、とは?」
クロードが首を傾げる。
ノアは気まずそうに眼鏡を押し上げた。
「……魔力共鳴。ねーさんが編み出した反則みたいな魔法だよ。」
「魔力、共鳴……?」
初めて聞く魔法に、興味深々なクロード。
「術者の持つ魔力と適性を、対象にリンクさせる魔法だよ!
リンクされた相手は、ねーさんの無尽蔵魔力と異常な魔法適性を借りられるんだ!」
クロードの表情が変わる。
「なんと……それは、つまり……レオン殿は……。」
「ええ。」
サレマは静かに頷いた。
「産まれつきか、名の影響か……レオン本来の魔法適正は異常に低いわ。」
クロードは息を呑む。
「魔法適正が低いと、火球ひとつ放つのにも膨大な魔力が必要なのよ。
なのに、あの子ったら魔力量も低すぎて……。」
命を削り続けた十年。
それは、子に魔力を吸われ続けた十年だった。
「それで、お嬢様の髪が白く……。」
その意味を察し、クロードは唇を噛んだ。
「ええ……。」
サレマは一瞬だけ視線を伏せる。
———重い沈黙が落ちた。
だが次の瞬間、サレマはぱっと顔を上げた。
「ところで、ノア。あなたの卒業試験の時よね?」
——ギクッ。
「苦手な魔法が課題になって、わたしに泣きついてきたのは。」
ノアはだらだらと冷や汗を流す。
「何度も何度も練習に付き合ったのに、結局だめで。」
「ね、ねーさん。それは秘密って……」
その時、苦肉の策でサレマが編み出したのが、魔力共鳴であった。
「おや、ノア様。そんなチートで試験をパスしてらしたので……?」
クロードは、じーっとノアを見る。
「ち、違うって!あれは一時的だったし、それに……。」
「ええ。ノアは悪くないわ。わたしの判断。
父さんをがっかりさせたくなかったもの。」
サレマの最後の一言に、ノアが安心した。
———のも、束の間だった。
「でも、良心が痛むわ。」
左胸を抑えながら、天を仰ぐサレマ。
「今からでも、アルディス学園支部に告白しに行こうかしら。」
「ちょ!?」
「『あの時のノア・アルディスの卒業試験は、本人の実力ではありませんでした』って。」
「ちょっと待ってってば!」
クロードは、目の当たりにした。
それはさながら、獅子に追いつめられるうさぎのようだった。
「卒業、取り消しかしら。」
「分かったから!行く!行くから勘弁してよ!!」
サレマの猛攻にあっさりと降参したノア。
「まったく、アルディスの聖女様が聞いて呆れるよ」
「あら。学園での私のあだ名はそんなのじゃなかったわ。」
目的を達するためなら、手段は選ばない女。
「———アルディスの魔女よ?」
そんな姉弟のやり取りを見て、クロードが楽しそうに微笑む。
「ノア様。これは、仕方ありませんね。」
「あら、クロード。」
サレマがにっこりと振り返る。
「あなたにも潜入してもらう所があるのよ?」
「え、っと……お嬢様?」
クロードの笑顔が固まった。
・・・・・
数日後。
王都にあるヴァレンシュタイン公爵家の門前に、一頭の馬が颯爽と止まった。
「どう、どう……。」
馬上から可憐に降り立った、整いすぎた顔立ちの青年。
サラサラの金髪。
澄んだ琥珀色の瞳。
そのまなざしは、隠しきれない気品を漂わせている。
門番兵は男ながら、思わず見惚れてしまう。
「ふあぁ……ど、どちら様でしょうか……?」
青年は金髪を掻き上げると、さわやかに微笑んだ。
「公爵家ご子息の家庭教師の募集を見て参りました。」
その声は、甘く落ち着いていた。
「是非、奥様にお取次ぎを願います。」
美しすぎる家庭教師は、静かにヴァレンシュタイン家の門を叩いた。




