第2話:霧の先へ
(クロエ:AI生成)
心地良い土の匂い。
頬に柔らかく湿った何かが触れている。
とても澄んだ空気。目を開けると
緑の苔に包まれた地面が広がっていた。
私は上半身を預ける形で川の畔に
倒れ込んでいた。周囲を囲むように高い岩が
積みあがっており、水の流れはここで止まっている。
後ろを振り返ると遠くまで続く川の先に
大きな本流が見えた。私は滝から落ちた後、
運よく支流に乗ってここに運ばれたらしい。
気が付いた後も起き上がる気になれず、
私はしばらく目をつむってその場に突っ伏した。
空はすっかり明るくなり、
心地よい鳥のさえずりが聞こえる。
ただただ何も考えたくなかった。
頭の中から脳みそを取り出して、
この透き通った水で洗ったら
どれだけ気持ちが良いだろう。
そんなことを考えていると
近くで葉が擦れるような音がした。
反射的に目を開けると、一匹の黒猫が
すぐそばに座ってこちらを眺めている。
絵具で塗りつぶしたような深い黒色の中に、
ビー玉のような碧い二つの瞳がキラキラ輝いていた。
少しの間見つめ合うと、猫はすっと立ち上がり
何事もなかったように森の奥へ消えていった。
その姿を見届けた後、私は上半身を起こした。
背中がひどく痛み、足の感覚もほとんどない。
這いずるように水からは出られたものの、
立ち上がることはできなかった。
岩に背を預けてよく自分の身体を観察してみる。
両足にはたくさんの痣が付いており、
指先は紫色に変色していた。
左腕も上手く動かすことが出来ず、
どうやら折れているらしい。
首からも鈍い痛みが徐々に広がってきた。
「痛いよ……助けて……」
誰も居ないことはわかっているのに、
声を出さずにはいられなかった。
それからはたくさん泣いた。
母に捨てられた悲しさ・寂しさ・絶望。
川に落ちたときの恐怖。
独りぼっちでいることの心細さ。
そのすべてがいっぺんに襲ってきて、
大声で泣いた。
私が魔女として生まれてさえいれば、
ずっと幸せな日々が続いていたのに
もう二度と戻ることはできない。
ただ泣き叫ぶことしかできなかった。
「どうしたの?」
岩の後ろから透き通った
美しい女性の声が聞こえてきた。
聞き間違いかと思ったが、
直後に黒いローブを身に纏った
背の高い女性がぴょんと岩陰から現れた。
背負った竹の籠には、見たことのない
青い果実がたくさん入っている。
「怪我をしているのね。手当をしなくちゃ」
女性はぽんと籠を隅に放り投げると、
その場に屈んで私の身体を軽々と抱き上げた。
青リンゴの甘い香りとミントのような
涼しい香りの両方がふわりと舞う。
くたびれた黒いとんがり帽子の間から伸びる
長くて白い髪が、私の胸のあたりに落ちた。
「もう大丈夫」
女性は私を抱きかかえたまま、
ぴょんぴょんと飛び跳ねて森の奥へ入っていく。
周りの景色が驚くほど早く通り過ぎていく中、
私は驚きを隠せなかった。
到底普通の人間に出来る動きではない。
身体を支える女性の細い両腕は鉄のように固く、
安定感があった。
10分ほど経った頃だろうか、
周囲の光景に変化が表れた。
太く背の高い木々が増え始め、大量のツタが
地面一帯に這うように生い茂っている。
どこからともなく霧も出始めた。
女性が道すがら軽く口笛を吹くと、
前方からそれに呼応するように
別の口笛が聞こえてきた。
霧はどんどん濃くなったが、
反対に口笛の音色は大きくなっていく。
ある場所で女性がピタッと歩みを止めると、
霧が蜘蛛の子を散らすように消えていった。
目の前に現れたのは朽ち木でできた低い柵と、
その中心にある半球型のレンガの家。家と言っても
人一人がやっと入れそうなほどの小さなものだった。
表面を這うツタの至る所に
七色のオーナメントがくくりつけられ、
樫の木で出来た丸い扉の中央には
ステンドグラスがはめ込まれている。
「お母さん、開けて!」
女性が言うと少しおいて扉が内側から開き、
中には一匹の黒猫の姿があった。
碧い目、おそらく先ほど川の畔で見かけた猫だ。
「早く入りなさい。準備は出来ているから」
猫の口の動きに合わせて誰かが話す。
「クロエ、ベッドに寝かせて。優しくね」
違った、猫が直接言葉を話しているようだ。
驚きもあったが体中の痛みで
それどころではなかった。
クロエと呼ばれた女性が少し屈んで家の中へ入る。
そこは思いの外広く、天井も高い。
外観からは想像できない巨大な空間が広がっていた。
ツタがレンガの内側まで根を張っていたが、
逆にそれが壁の強度を高めているように見えた。
大きな樫の木のテーブルの上で
束ねられたホワイトセージが焚かれ、
匂いがツンと鼻まで届く。
私はそっとベッドに寝かされ、
着ていたローブを胸のあたりまで捲し上げられた。
気付かなかったが腹部にも
無数の紫色の痣ができている。
「お母さん、この子大丈夫だよね?」
クロエと呼ばれた女性が心配そうに私を覗き込む。
それから慌ただしく家の中を駆け回り、
ボウルとすり鉢を持ってきて私のそばに腰かけると
慣れた手つきで何かをすりつぶしていた。
天井には不思議な紋様が描かれており、
見つめていると気分が落ち着いた。
「大丈夫よ。あなたならできるわ。
ラベンダーはまだある?」
「うん! あるよ」
2人の会話がみるみる遠のいていき、
私は間もなく意識を失った。




