第12話:メロディと魔導書
「買い出しは終わりだよ」
カミラの隣には荷物で一杯になった
手押し車が準備されている。
現実を突きつけるその一言は、
手元から漂って来る甘いパンの香りすら
すっかり忘れてしまうほどだった。
もうこの町ともお別れ……
メロディの方をチラリと見るが、
そこには絶望を隠し切れない
引き攣った笑顔があるだけ。
城下町と聞いたときの
メロディのはしゃぎ様が、
今になってようやく理解できる。
ここに居るとなんだかほんの少し
嫌なことを忘れることが出来た。
「アルマ」
カミラが私に話しかけた。
「今日は良くやったね」
それは予想を裏切る言葉だった。
隣に居るメロディの口からも
「えっ」という小さい声が漏れだす。
「……」
なんと答えればいいかわからず黙っていると
カミラは続けた。
「あの騒動を野菜屋の店主が見ててね、
うんと安くしてくれたよ」
「そう……」
私の様子を見てカミラは業を煮やしたように
ぶっきらぼうに言い放った。
「察しが悪いね。願い事の一つや二つないのかい?
私がお返ししてやるって言ってるんだ」
「お返し……」
茫然とする私の肩をメロディが叩いた。
「バカね! 何でも良いからお願いしてよ!
カミラの気が変わらないうちに!」
そう言われても突然のことで頭が真っ白だった。
そこに運良く通りがかったのは……
「城下町ルイーザ・ベルへお出での皆様!
踊り子ルルと吟遊詩人を引き連れて
今宵はキャラバンが来るよー!
一夜限りの旅の想い出に、
ビール片手にぜひご照覧あれ!」
馬車に乗った一団が広場で大声を上げている。
私は咄嗟に我に返った。この町に来て
最初に見入ってしまった看板の絵。
それは民族衣装を着たジプシーらしき
美しい女性が踊っている姿だった。
「私、キャラバンが見たい!」
カミラは無表情でこちらをじっと見つめている。
メロディも小さく頷きながら
私に同意している様子だ。
「……ダメだ。暗くなると帰り道が危ない。
ほかのものにしな」
そっけない返事に落胆しながらも、
今日歩いたけもの道を重い押し車と一緒に
暗闇の中帰るのは確かに無謀に思えた。
「じゃあ……」
何か魅力的な物を探すため
辺りを見渡すと、目に入ったのは
書店の看板だった。
本のマークが彫られた巨大な木製看板と、
少し高い入口へと続く石段。
表には年代物の木箱が並び、
中に敷き詰められた分厚い古本の
背表紙が見えた。
「本が欲しいです!」
「本か……いいよ。どれか一冊選びな」
「やったー!」
メロディが自分のことのように喜んでいる。
私は本が特別好きなわけではないが、
あの家に戻ったところで得られる娯楽はない。
本さえあればあの居心地の悪い家でも
少しは現実逃避が出来るだろうと
咄嗟に閃いたのだ。我ながら
良い思い付きだったと思う。
私たちは書店のドアを開き、
ぞろぞろと中へ入って行った。
一歩踏み入れるとそこは外の喧騒とは
打って変わって静寂に支配されており、
あのカミラでさえ靴音を抑えるように
歩みを優しくゆっくりに変えたほどだ。
紙とインク、新しい樹の匂いと
バニラのような甘い香り。
興奮した気持ちを優しく撫でられるような
心地良さと懐かしさを感じた。
中には数人のお客が居たが
どの人物も年配で、私たちのような
子どもの姿は見当たらない。
店内も同様、子ども向けの書籍は
端に追いやられているだけで、
ほとんどは大人用の専門書ばかりだった。
これは失敗したかもしれないと
穏やかではなかった私に反し、
メロディは何かを探しながらウロウロと歩き回り、
とある本棚の一画の前でぴたりと止まった。
行く当てのない私も後に続くと
そこは魔法に関する書籍が
ずらりと並ぶスペースで、
色鮮やかな背表紙の柄が眩しく光っている。
メロディが背伸びをして取ろうとしているのは
紫の下地に金の箔押しが施された綺麗な本。
なんとか手が届き、彼女のもとまで降りてくると
美しい装丁が施された表紙が露になった。
『閃光と炸裂の魔法について』
タイトルの周囲には火花が飛び散るような
激しい金の文様が描かれている。
「魔導書?」
「見てて」
メロディが表紙に手をかざすと、
表面の文様が脈打つように輝き始める。
思わず見惚れてしまうその幻想的な光。
ただ、メロディがそのままページを捲ろうとすると
急に表紙が重くなったように微動だにしない。
「……」
その後もメロディは眉間に皺を寄せながら
なんとか本を開こうとしたが、
最初の一頁すら動かせない様子だった。
両眼を閉じて一瞬固まった後、
メロディは光が消えた魔導書を
元あった場所へゆっくり戻した。
「今日は調子が悪いみたい。
きっと寝不足のせいね」
その声にはいつものような張りがなく、
妙に大人びた悲し気な雰囲気があった。
かつて私も両親から事ある毎に
魔導書を手渡され、ページが開けるかどうかを
試されたことがある。
魔導書はいわば魔法使いの通過儀礼で
これを開けるかどうかが
一つの魔力の基準になっていた。
もちろん私の場合は光が灯る事すらなく、
まるですべてのページが接着されたように
微動だにしなかったものだ。
正当な魔法使いの血を引かない者や、
一般の人々には永遠に開くことが出来ない代物。
その反面、少しでも魔力があれば
子どもでも本は開けるはずなのだが
メロディの場合は何故かそれが出来ない。
“光が灯るだけ”というケースは
聞いたことがなかった。
それからメロディは口を閉ざし、
俯き加減で先に書店を出て行ってしまった。
彼女にもきっと何かの事情があるのだろう。
結局私はとある冒険者が各地を訪れて
見聞きした伝承を綴った手記を手に取り、
カミラに渡した。
カミラばぶっきらぼうに本の表紙と裏を
交互に見返した後、無言で店主に差し出し
代金を支払ってくれた。
私たちが書店を出ると
厳しい表情のまま押し車に背を預けて、
地面を見つめているメロディの姿が目に入る。
短い城下町旅行はこれで幕を閉じ、
待っていたのは行き以上に厳しい帰り道。
沢山の食材が乗った押し車を
私とメロディは懸命に押し続け
スタスタと前を歩くカミラを追いかけた。
メロディは文句の一つも言うかと思ったが
黙って私の隣で押し車を押してくれた。
楽しかったし、衝撃的だった城下町での時間が
頭の中をぐるぐる巡っており、
筋肉の疲労を多少麻痺させてはくれたが、
家に着くころにはさすがにへとへとで
裏の草地に車を停めた私とメロディは、
大の字にその場で倒れてしまった。




