第11話:騒動の後
カミラは水を含んだ布巾をしぼり、
処置を行う私たち三人の額や首筋を
何度もぬぐってくれた。
魔法の影響で周囲には熱気が漂い、
私やメロディは気付かないうちに
滝のような汗を流していたらしい。
二十分ほど経った頃だろうか、
婦人の身体に現れていた紫の斑点は徐々に消え
皮膚の下から溢れ出ていたゲルもすっかり治まった。
激しかった息遣いが落ち着き
苦悶の表情はやがて安らかな寝顔へと
変化していった。
「もう大丈夫……だと思う」
私がそう言うと、
じっと顔色を窺っていたメロディと
パン屋の魔女がため息と共に
その場で脱力した。
「この人をお風呂に入れてあげて。
その後煎じた薬草を首筋に塗り込んで、
目が覚めたらたくさんの水を
飲ませてあげてください」
誰に言えばいいかわからず、
私はひとまず一番近くで聞いていた
カミラに頼んだ。
「聞いたかい?
修道院まで運ぶのを手伝っておくれ」
カミラの声を聞くと、
押し車と共にパン屋の従業員が
こちらに駆け寄り、停車させた荷台の上に
婦人をゆっくり乗せた。
その光景をぼんやりと眺めていた私の肩に、
ポンポンと小さな振動が伝わってきた。
それは処置を手助けしてくれた魔女だった。
「私はヘレナよ。あなたの名前は?」
「アルマ……」
「さっきの治療、凄かったね!
まるで魔法みたいだった」
まるで魔法……よりによってこの私に
そんなことを言うヘレナが面白くて、
気の緩みから笑ってしまった。
ヘレナは不思議そうに私を見つめた後、
気付いたように辺りを見回した。
「魔物は見つかったかな?」
そう、肝心の蜘蛛蛇はまだ見つかっていない。
その特性上、一度毒を注入した後は
しばらくどこかで身体を休めているはずだ。
獲物が確認できる程度の距離から
じっと様子を窺うのが彼らのセオリー。
放置すればまた新しい犠牲者が
出てしまうだろう。
「まだそれほど遠くにはいないはず。
路地裏や物陰を探した方が良いかも」
「ねぇ、ちょっと休もうよ!
私たちあんなに頑張ったんだから!」
メロディは不満げに言うと
その場に仰向けに倒れ込んだ。
が、その直後に勢いよく飛び起きて
突然私に抱き着いてきた。
「あそこ!!」
メロディは私の右肩に頭を伏せながら
指だけでどこかを差している。
それは先ほどの婦人を乗せて
今にも動き出そうとしている押し車の下だった。
じっと目を凝らすと荷台の裏側に
何本もの足を器用に折り畳んで
身をひそめる蜘蛛蛇の姿があった。
今はコンパクトに収まってはいるが、
全長を計れば数メートルにはなるであろう
黒い産毛に覆われた筋肉質な脚が
見え隠れしている。
「カミラ! 離れて!」
カミラは私の声に即座に反応すると
側で押し車を掴んでいたパン屋の従業員の
襟首を引っ張り、二人でその場から
距離を取った。
その反動で押し車は大きな音を立てて
地面に荷台を叩きつけ、上に寝転ぶ
婦人の身体を揺らした。
蜘蛛蛇もその衝撃に驚き、
荷台の下からぬっと姿を現す。
目撃した人々は絶叫し、周囲を見張っていた
兵士たちがすぐさま集まってきた。
「早く殺して!」
誰かが金切り声を上げる。
しかしこの混沌とした状況に反して
蜘蛛蛇の動きに俊敏さはない。
のそのそと重そうな身体を引きずるようにして
二歩三歩進んでは動きを止めた。
まだ体力が戻りきっていないのだろう。
一人の兵士が槍で勢いよく蜘蛛蛇を突くと
青紫色の体液が体の内側からドクドクと
流れ出てくる。
攻撃に対して防御態勢こそ取るものの、
その動きはまるで酔っぱらったように
締まりのないものだった。
やがて蜘蛛蛇は数人の兵士の槍に貫かれ、
少しだけ痙攣した後にピタリと動かなくなった。
その瞬間周囲から歓声が上がる。
「……」
これで魔物の脅威は去った。
それはそれで良いことなのだが、
あの弱弱しい動きを思い出すと
私はとても歓声を上げる気持ちには
なれなかった。
彼は確かに婦人を狙い、食べようとしたが
それは生きるためであり、自然の摂理なのだ。
そもそも蜘蛛蛇は人里に降りてくることは
滅多にない。仮に迷い込んだとしても
こんなに騒がしい場所で人間を獲物として
狙うことがあるのだろうか。
ヘレナが立ち上がり、蜘蛛蛇の死骸の側に
手をかざすと、黒い煙が身体から沸き上がり
みるみるうちに死骸は炎に包まれた。
パキパキと何かが弾ける音と
獣と草を織り交ぜたような鼻につく臭いが
辺りに充満する。
メロディはやっと安心したように私から離れ
揺らめく炎をじっと眺めていた。
その後教会へ婦人を送り届けてきた
カミラは、そのまま地面に座る私たちの前に
仁王立ちになり、買い物の続きに
付き合うよう促した。
「ねぇ、待って。この子たちに御礼をさせてよ。
うちのパン、好きなのを持っていって
良いからね!」
ヘレナが横から私たちの間に割って入ってきた。
カミラは少し面倒そうな表情をしたが
「早くしな」と呟くと、独りで野菜の店頭販売へ
足早に戻っていった。
「何でも良いの!?」
メロディが嬉しそうな声を上げると
ヘレナはその頭をポンポンと撫でた。
「もちろん! 私一人じゃあの人を
助けられなかった。あなたたちのお陰よ。
ありがとう!」
その言葉に思わず顔が熱くなる。
あのとき咄嗟に動けた自分自身を
褒めてあげたい。
ヘレナのパン屋に招待された私たちは
想像以上に歓迎され、拍手で迎えられた。
騒動のお陰かパン屋には人だかりが出来ており、
奥で従業員が忙しそうに動き回っている。
私とメロディは店頭に並ぶ数々の
魅力的なパンに目を奪われながら、
それぞれ好きな商品を手に取ってヘレナに渡した。
メロディはたっぷりのデーツジャムが
挟まれたカラチ、私はお店の看板商品だという
大きなスーシュカ
(中にはベリーシロップが入っている!)
を選んだ。
「また近くに来たら寄ってね!
私はいつもここにいるから」
ヘレナはパンを薄手のハンカチに包んで
渡してくれた。そこには月桂樹のような
不思議な模様が描かれており、
それが何か質問すると“美味しくなるおまじない”
と言ってニッコリ笑って見せた。
私たちがヘレナと別れて大通りに出ると
そこには再び仁王立ちでこちらを見つめる
カミラが居た。




