第10話:蛇の毒
手押し車も大分詰まってきたところで、
最後に来たのが農家の店頭販売だった。
大きなカボチャや真っ赤なトマト、
様々な根菜がずらりと並んでおり、
人だかりが出来ている。
カミラが鋭い視線で野菜を目利きしている間、
私とメロディは手押し車を端に寄せて
石壁に背中を預けながら待った。
ここにきてようやく城下町を
ゆっくり見渡せる時間が出来た。
アコーディオンを奏でる演奏者と
それを取り巻く観客。馬車に乗り
通りの中央を走り抜けていく修道士。
屈強な剣を背負った傭兵らしき男。
道の端に座って楽しそうに話す貴婦人たち。
煌びやかに光が反射する世界は
私がこれまで過ごしてきた
小さな村の中とは大違いだった。
とはいえ、これまでに何度も
ここを訪れているであろうメロディの
うっとりした表情を見ると、この町が
他とは違う特別な場所であることは
間違いなさそうだ。
ここには何か……それこそ魔法のような
人々を魅了する不思議な力が
宿っているのかもしれない。
「誰かー!」
喧騒の間を縫うように女性のかすれ声が聞こえる。
最初は誰も気に留めなかったが、
それが複数回繰り返された時、周囲の視線が
ある一か所へ一斉に集まった。
そこには足首辺りに血を滲ませた
顔面蒼白の婦人が蹲っていた。
ぽつぽつと人が周囲に集まり、
状況を観察している。
「これはひどい……蛇の毒だ!」
「どこで噛まれた? まだ近くにいるかも!」
ざわざわと騒がしくなり、
やがて野菜の店頭販売を見ていた人々も
視線を騒動の中心地へ向ける。
そんな中、カミラは顔色一つ変えず
野菜棚を穴が開くほど見つめ続けていた。
「なんなの?
たかが蛇に嚙まれたぐらいで……」
メロディは面倒そうに言ったが、
その声はほんの少し揺らいでいた。
「どうしたの?」
その声と同時に近くのパン屋の奥から
エプロン姿の若い女性が表に出てきた。
「あの人、毒蛇に噛まれたみたい」
「それは大変! 私が見るわ!」
女性はエプロンをその場でほどき、
ほとんどうつ伏せに倒れてしまっている
婦人の元へ駆け寄った。
手には小さなナイフを持っている。
「魔女さんが行ったみたい」
「魔女さん?」
「あの人、炎を扱う魔女なの。
パン屋でかまどの番をしてる風変わりな人よ」
私はなんだか胸騒ぎがして、
無意識にその魔女の後を走って追いかけた。
メロディが私を呼び止める声が
どんどん後ろに遠ざかっていく。
遠くから見た分には誰かが毒蛇に噛まれただけ。
すぐに処置をすればきっと問題ない……そう思えた。
しかしすぐそばまで近付いて
目にした光景は壮絶だった。
蛇に噛まれたであろう婦人の右足は
通常の二倍以上に腫れあがり、皮膚表面には
気味の悪い紫の斑点が見受けられる。
それは足だけでなく既に首元にまで広がっており、
周囲がいくら声をかけても婦人に反応はない。
「これは毒蛇じゃない……魔物の仕業だ」
魔女はそういうと、小さく呪文を唱えながら
右手のナイフを握りしめる。徐々にブレードが
オレンジ色に輝きはじめ、周囲に蒸し返すような
熱気が漂い始めた。
「腫れを切って血を出す! 下がって!」
彼女の一声に周囲を取り囲んでいた人々が
後ずさりする。今にもそのナイフを
女性に向けて振り下ろしそうだ。
「待って!!」
私は急いで声を上げた。
「血を外に出しちゃダメ!
免疫が下がればすぐに死んじゃう!」
「子ども? 危ないから下がって!」
魔女の制止を振り切って私は叫んだ。
「あなたはこの人の身体を暖めて!
炎の魔法を使うのなら出来ますよね?」
魔女は一瞬驚いた表情をしたが
急を要すると判断したのだろう。
婦人の横にすっと身を引き、背中をさすり始めた。
スグに暖かい太陽のような匂いが漂い始める。
「あなたは何者……?」
「……」
私は問いには答えず、女性の腫れた太ももに触れた。
どろりとした粘液が表面を覆い始めている。
“蜘蛛蛇”の仕業であることはすぐにわかった。
彼らは獲物をスグには殺さず、
体内に毒を注入して麻痺させる。
毒は獲物の体表を溶かしてゲル状に変化させ、
繭のように覆い隠すことで鮮度を保つ役割を果たす。
獲物はゲルに覆われて呼吸が出来ずに死に至り、
蜘蛛蛇は全体が固まった頃に巣へと運んで
ゆっくりと味わう。これは私がかつて
両親から学んだ知識だった。
ドレインの家系は生まれて間もなく
毒や呪いといった類の知識を教えこまれる。
自身が相手の精気を吸い取る技を使うからこそ、
それに近しい自然界の事象については
細かな部分まで理解をしなければならない。
いわば毒を以て毒を制すといった感じだ。
私は婦人の口を開け、中まで入り込もうとしている
黄色い粘液を搔き出した。
魔女が体温を上げてくれているおかげか
粘液が固まる速度はかなり遅いものの、
身体の部位によってはゼリー状に
固まり始めているものもある。
「誰か手伝って!
粘液が固まる前に剥がして!」
私が叫んでも周囲にいる人々は
怪訝そうな表情をしながら遠巻きに眺めるだけだ。
気持ちはわかる。粘液自体に毒はないとはいえ、
誰だってこんな気持ちの悪いものに
触れたくはないはずだ。
とにかく大切なのは喉を詰まらせないこと。
私は小さい手でひたすら口周辺や、
既に喉まで入り込んでいる粘液を搔き出し続けた。
その度に嗚咽とか細い息が口元を通過していく。
「ねえ! どうすればいいの!?」
背後から聞こえたのはメロディの声だった。
息を切らしながら私の隣に膝をつき、
見様見真似で身体の表面の粘液を取り除いている。
「表面の粘液が固まる前に取り除いて!
服は背中から破いて!」
「わかった!」
メロディが勢いよく布を切り裂くと、
中からドロドロとした粘液が
勢いよく溶け出てきた。
本来であれば既に固形になっていても
おかしくはないが、炎の魔法のおかげで
まだ柔らかい状態のままだ。
メロディが激しく手のひらで
婦人の背中をこすると、辺りに粘液が飛び散る。
周囲の人々は小さな悲鳴を上げながら
さらに後ずさりした。
「このままではきりがない。
どうすれば……」
力なくつぶやく魔女の額からは
大粒の汗がポロポロと零れ落ちている。
「大丈夫……この毒は短期型だから、
すぐに収まるはず……」
そう言ってはみたものの、正直自信はなかった。
毒については昔に両親から教わった知識であり、
実際に体験したことなんてないし、
その症例を目で見た経験もない。
本当にこの処置で合っているのか?
そんな不安が付きまとう。
「大丈夫だよ、自信を持ちな」
力強い声の正体はカミラだった。
いつの間にか私たちの後ろに仁王立ちになり、
辺りを鋭い目で見つめている。
「魔物はまだ周りにいるよ!
衛兵どもは突っ立ってないで探しな!」
カミラの怒鳴り声に町の角に
等間隔で配置された兵士たちが背筋を伸ばし、
散り散りになって周囲を警戒し始めた。
「あんたらもだ! 野次馬してる暇があったら
水でも布巾でも持ってこい!
気が利かないねぇ」
よく通る声がざわざわとした喧騒をかき消す。
カミラの言葉に何人かが反応し、
清潔な白い布巾や水の入った桶を持ってきてくれた。




