2話
暗い。ここは…どこだ?
ゆっくりと目を開く。黒く、深い海の中を…俺は、落ち続けている。
手を動かそうとする。動かない。足も…動かない。感覚が、繋がっていない。
「もう後戻りはできないぞ」
その言葉が、頭からこびりついて離れない。俺は、何に成った?
目を覚ました。見慣れた天井。
だが…耳の奥でまだ水音がする。
あの後の記憶が曖昧だ。あれから、俺は…?
ああ、そうだ、意識がなくなって倒れたんだった。じゃあ、だれが俺をベッドまで運んだ?
家にはだれもいないはずだ。
とりあえずスマホを開くと、ミスってインカメを開いてしまった。
顔にあったはずの黒い模様は、消えている。髪の色も元に戻っている。
驚きながらもスマホをいじっていると予想外のニュースが目に飛び込んできた。
小さな陥没事件…?写真を拡大すると、見覚えのある景色が映っている。これ、俺ん家の前じゃん。
まだ、感触を憶えている。あの衝撃。
俺が、やったんだ。
いつも通りの、夏の朝。相変わらず暑い。地球温暖化は深刻な問題だな、なんて。
いつの間にか玄関のドアは治っていた。ベッドまで運ばれていたのも謎だし、何が何だか。
攫われはしなかったかけど、今のところ俺は何一つ理解しちゃあいない。疑問ばかりが、残る。
考えながら足を運んでいると、気づいたらもう学校に着いていた。
上履きに履き替え、階段を登る。教室のドアを開ける。
もう一度言う。いつも通りの、朝。昨日のことが嘘のように、日常に戻っている。
席に座ると、友人が近づいてきた。
「なあなあ、この事件、龍斗ん家の前だよな?何あったんだ?」
「よくわかんねーよ。寝てる間になんかあったらしい。朝来るのちょー大変だったんだぞ」
一瞬心臓が跳ねたが、すぐに誤魔化せた。なかなか嘘上手っしょ、俺。
いつもの、退屈な授業。大学とかどーしよーねほんと。何も考えてないわ。
黒板の文字が、眠気を誘う呪文のように並んでいる。
毎度のことのように、窓の外を眺める。俺の席は窓側の後ろから一個前の席だから、暇な時外見れるのはいいよな。
その時ーー
ーートプン。
空の色が、鈍く濁る。深い。暗い。
なんじゃ、こりゃ…。驚いて瞬きをすると、元通りになっている。
気のせい、だと思いたいけどなぁ…。昨日のことを考えると、絶対何かある。
「チッ、よりにもよって未確認個体が現れやがった」
放課後。今日も退屈な学校をやり過ごしたぜ…やっと帰れる。
帰路に着くと、夕方の光がやけに赤い。
また。この、言いようのない違和感。
周りの人の気配が、一人として感じられない。
昨日と同じ、あの感覚。だが、昨日と似ているようで、何かが違う。
一度奇妙な出来事を体験したなら、二度目は慣れっこだな。
トプン。聞こえるはずのない、水音。
地面が、じわりと濡れていく。
べちゃ、べちゃ…。そんな音が、どんどん近づいて来ている。
俺の頬から、汗が一筋垂れる。
曲がり角からーーそれが現れた。
化け物、と呼ぶべきか。いや、そう呼ぶには少し違うかもしれない。
人のような、人ではない姿。
だが、部分的に人ならざる形をしている。
目はない。だが確実にそいつは、俺を捉えている。
次の瞬間、俺の視界に、濁った色の空が映っていた。
慌てて手足を動かすが、何にも触れれない。そうか。
宙を、舞っているのか。
ーーは?何が、起きた。あいつは、動いた……のか?
瞬き一回分の時間も与えられず、いつの間にか俺は、空にいる。
ドッ!!
鈍い音を出しがながら、背中から地面に叩きつけられた。
痛い。息が荒くなる。鼓動が早くなる。
ふーー…。
なんで俺なんだよ。なんで俺がこんな目に遭わなきゃならねえんだよ。
俺はただ、普通に生きて普通に死にたいだけなのに。考えれば考えるほどイライラしてきた。
怖い、はず。なのに、胸の奥が、じわじわと熱くなるのを感じる。腹の底から、何かが湧いてくる。視界が、揺れる。
昨日感じた、あの黒い何かに包まれる感覚と同じだ。
いや…違う。
あの時よりも、鮮明に感じられる。
「後戻りできないなら」
無意識に、声が出ていた。
「…使ってやるよ。」
「おーおー、成長速度が怖いこった。もうそこまで引き出すか。
崩れなきゃ、いいがなあ」
化け物が、動く。だが、今度は見える。はっきりと。
腕の振り抜かれる軌道が、読める。
避けれる。
頭を下げて避けると、この化け物がーー動きを止めた。目がないくせして、変な顔するな。
驚いてンのか。そう読み取れた。
腕を振りかぶった後に大きな隙が生まれる。
全力の拳を、腹のような部分に叩き込んだ。俺の拳が、化け物の体にめり込む。
硬いのか柔らかいのか。変な感触だな。
一拍遅れて、衝撃が爆ぜた。
入った。もう、一撃…!!
瞬間、気付く。化け物はぴくりともしていない。
その次の瞬間、俺の身体は壁まで吹き飛ばされていた。
…自惚れていた。視界が赤く滲んでいる。温かいものが、額を伝う。頭から、血が出ているのか。
「ばっかだなあ。敵との力量の差も測れないようじゃ、まだまだ半人前にも満たねーよ。」
黒い影が、目に映った。
「所詮はまだただの高校生ってとこかね」
誰だ?視界がぼやけていてよく見えない。何を喋っているかもよく聞き取れないけど、こいつ絶対今俺のことバカにしたな…
「そこで寝てるか、黙って見てろよ。」
言葉が終わるよりも早く、男は俺の視界から消えた。一瞬で。
…疾い。目が、追いつかない。こいつは、何者なんだ?
駄目だ。意識が、朦朧とする。
なんだ?また、夢と同じ、黒い海が見える。
その底で、何かが笑った。




